このブログを検索




BLOG ARCHIVES

DAHON K3

DAHON K3
2019年購入。14 inch,7.8kg,3速。

KHS F20-R451

KHS F20-R451
2015年、台北で購入。そのまま阿里山、塔塔加へ。

KHS F20-T3

KHS F20-T3
2012年、台北で購入、そのまま中部横貫公路越え。

Bianchi Lupo

Bianchi Lupo
イタリア製と思いきや台湾製。基本パーツはSHIMANO TIAGRA。クロモリです。

KHS F20-T2

KHS F20-T2
2009年、台北で購入、そのまま一周。けっこう走れます。2019年、退役。

mayfly 2

mayfly 2

MARIN Pine Mountain

MARIN Pine Mountain
1992年 米国製。SHIMANO DEORE DX は25年間ノートラブル。2017年、退役。
 
 

R193 土須峠と鷲敷ライン

2011年8月31日水曜日

標高グラフ付きの大きな地図を見る

 今日は、神山経由、土須(どす)峠を走ります。
 いきなりですが、雲早(くもそう)隧道を含む峠前後は徳島県道253号のようです。ですので、土須峠は R193 ではないことになりますが、峠には何故か「おにぎり標識」がありました。
 何か事情がありそうですが、ややっこしいので R193 とします。
 さて R193、昨年、江田の棚田(菜の花)を見に行った際、幅員2mほどの国道への分岐が記憶にあり、山に入るとどんな道になるのかと思っていましたが、見かけた個所が最も狭い部分で、自転車で走るのに問題はありません。取り付きの傾斜がきついですが、中腹以降は5%ほどの坂が続きます。ほぼ稜線まで上り切ったところで、土須峠(990mくらい)、長さ123mの雲早隧道です。

 トンネルを抜けると、すぐ剣山スーパー林道と交差し、釜ヶ谷川に沿ったダウンヒルが続きます。川の様子は神山側と一変し、巨岩が川に山積になっています。

 素掘りトンネル手前の「大釜の滝」。滝壺の深さは15mとのことです。

 県道16号線で勝浦川流域の上勝町へ抜ける計画でしたが、法面崩壊による通行止めなので、鷲敷ライン沿いにルートを変更します。距離が20Kmほど長くなりますが、600mの登坂が無くなります。
 優美な「大轟の滝」を過ぎると、20Kmぶりに人里が現れます。自販機は30Kmぶりかも知れません。

 後半戦は、蛇行する那賀川にそって R195(鷲敷ライン)を走り、丁度100Km地点の太龍寺ロープウェイ山麓駅で大休止。那賀川左岸の県道19号線は、広からず狭からずの自転車向けの道で、疲れていても快適な道です。

134.08Km

標高グラフ付きの大きな地図を見る

 大歩危駅まで輪行し、かつて有料道路だった祖谷渓道で祖谷川に転じ、京上トンネル手前からR439を高知県側へ走ります。分岐から14Kmの登坂、県境の京柱峠は標高1130mです。
 坂はずっと5%くらいなので、踏める坂です。峠手前では傾斜は緩くなり、稜線に沿って前方に見える県境の鞍部を目指す豪快な峠越えです。四国のサイクリストなら一度は行かねばなりません。珍しく峠の茶屋が健在で、しし肉うどん800円です。

 峠からは豊永駅直前まで下り、吉野川を400mほど上から見下ろせる谷間豊永林道などを大歩危まで走ります。このコース、どなたかのサイトで知りましたが、400m-500m の等高線に沿うように走り、吉野川中流を高角度で眺められる素晴らしい道です。

 標識が皆無なので、調子に乗って走っていると、集落内の道に入り、あっという間に200mくらい下ってしまいます(泣)
県境もわかりませんでした。

(右が大歩危方面、左は吉野川右岸へ下る道、対岸の国道へ渡る橋なし)

 累積標高 2187m でしたが、 頂き物ものの GODIVA 塩入りチョコの効き目で、足つりなしでした。

81.39Km

R438 川井峠から穴吹周回

2011年8月27日土曜日

標高グラフ付きの大きな地図を見る

 先週、雨で延期した、神山から川井峠を抜け穴吹川を穴吹まで下り、徳島へ戻るルートです。今週は、みなさん鈴鹿や乗鞍へ遠征しているので単独走行です。
 まずは、R438 を鮎喰川に沿って源流域までつめていきます。倉羅峠へのR193と別れてから 10Kmで500mの上り、この間、人家はありますが自販なしです。
 峠が近づくころ、鐘の音が聞こえてきます。この鐘、目的は不明ですが完全自動化されています。

 峠のトンネルを抜けると、木屋平から剣山が見えるはずですが、今日は雲の中。 足元の集落が見えますが、高度差を感じます。

 木屋平の穴吹川水系に転じ、木屋平経由、穴吹までは長いダウンヒルが続きます。 四国一の清流、穴吹川。見た目の透明度も、とても高いです。

 穴吹まで、5Kmまで下りましたが、まだまだ山深いです。平地に近づいている気がしません。

 穴吹からは暑さと向かい風、うどん屋も見つからずハンガーノックぎみでした。

120.00Km

坪尻駅と雲辺寺

2011年8月23日火曜日

標高グラフ付きの大きな地図を見る

 阿波池田駅まで輪行し、R32を高松方面へ走り坪尻駅へ。三好市の中心部からわずか3駅ですが、有名な秘境駅です。
 国道に「坪尻駅 600m」の標識がありますが、駅への道がありません。
 あるのはガードレールの隙間から延びる山道だけです。
この短いガードレール、Wikipedia 「坪尻駅」の 2008年の写真にはありません。車で降りようとした人がいたのでしょうか。

 不法投棄の粗大ごみを避け、倒木をまたぎ、山道を下っていきます。

 高低差90mほど下るとようやく駅が見えてきます。

 線路と駅舎は谷底にありますが、意外と広い平坦地です。スイッチバックの退避線に駅があるので、気動車の馬力の上がった現在では多くの列車が通過します。

 この平坦地は房総半島でよく見られる「川廻し」により確保された土地です。

 川をトンネルで短絡することにより、元の河床を駅に使っています。

 「地図の旅愛好会」
 養老渓谷へ川廻し地形を見に行く

 山道を上りかえしSPDの泥を払って、旧道の猪ノ鼻峠を目指しますが、国道をそれて少し走るといきなりダートです。 先週、飲んだ や まさんのサイト にしっかり書かれていました。確認しておけばよかった。
 トンネルで峠を抜けても面白くないので、予定を変更し鮎苦谷川を遡行して、雲辺寺へ上ることにします。
 天候の優れない平日ですが、大勢お遍路さんがいました。

 雲辺寺から徳島、香川県境の稜線を走ります。眺望はありませんが、快適な高原道です。昭和初期までは借耕牛の道だったと言う曼陀峠を越え、阿波池田へ戻ります。山を降りたら突然の豪雨でびしょぬれ。いい季節にまた走りたい道です。

 54.52 Km

大坂越え 旧道探索

2011年8月17日水曜日

青線は現県道1号線。紫線は、今回歩いた登山道。

 大坂峠の県道1号線(徳島引田線)は大正9年に国道として開通しました。いわゆる大正国道で、荷馬車が通れるよう、ゆるい勾配の線形を持ちます。
 この経路は長い歴史があり律令期の南海道にあたります。明治8年開通の旧道もあり、峠の北側は「四国のみち」としてハイキングコースとなっています。
(注)最頂部は旧道から外れあせび公園へ続いています。旧道は、現県道の5mほど上部の木々の中に残っています。(2015/5/8 追記:現県道の上部の路面は、100mほどで欠落。)
 不明なのが徳島県板野町側の旧道で、今回 1889(明治32)年製版 1/20000地形図を iPhone の DIY-GPS に落とし、探索しました。

 大坂口御番所跡から上り始めます。道幅は2mくらいです。ほとんど押しましたが、MTBなら県道との交差まで乗車可能です。

 谷を詰め、短い橋で谷を渡ります。

 県道との交差地点からは尾根を巻くルートのはずですが、尾根自体が見つかりません。山道は一部階段で直登しています。

 結局、今回も最頂部の旧道は見つかりませんでした。峠は切り通しで、地形図の標高も278m が 270m まで削られていますので、旧道跡は消滅しているのかもしれません。峠にある旧道の開通記念碑は、よくあることですが、移設していると思います。

 Google Earth で傾けて見ると。

65.66km

鮎喰川 川下り

2011年8月13日土曜日

標高グラフ付きの大きな地図を見る

 ツールドフランスのエタップから帰国した や まさん と、ダウンヒルならぬ川下りです。鮎喰川を、昨年より 2Kmほど上流から下ることにします。
 2人の縦乗りなのでタンデム車ですが、パドルは推進力だけでなくハンドルにもなるので、制御が難しいです。
 わずか 11Kmですが、自転車と違って半日遊べます。



九度山、高野山、和歌山港

2011年8月11日木曜日

標高グラフ付きの大きな地図を見る

 今日は、一昨年慈尊院で遭遇した九度山人の引きで高野山へ上ります。
 まず仙人の秘密基地を見せてもらいます。仙人はメカ系、稼働状態だけで7-8台はありそうです。
 ルートは丹生川沿いに回り込む 26Km,750m のヒルクライミングです。お寺は忙しい時期ですが早朝は車も少なく、九度山町の沿革などを伺いながら、のんびり上ります。

 1976年に休校となった杖ヶ藪小学校の校舎が残っていました。紀州材がふんだんに使われていることでしょう。

 仙人が駆るのは BD-1 、相当改造が入っています。

 摩尼トンネルを抜けると、奥の院。大名家の墓が並んでいます。無縁になると、更地にされ、別の誰かに販売されるとのこと。最強ビジネスモデルです。

 天保5年(1834)再建の西塔。大規模箱物群のなか、地味目の建物です。
 ダウンヒルの途中で、わたしと同じ色の KHS F20-T2 見つけてびっくり。なぜ驚くかと言うと、台湾で購入したパールホワイトは日本では販売されていません。持ち主は、台湾からのサイクリストでした。
 花坂で仙人と別れ、海南経由和歌山へ。下界は暑い。

 100.03Km

奈良 山の辺の道と今井町

2011年8月10日水曜日

標高グラフ付きの大きな地図を見る

 今日は奈良から和歌山県の九度山まで走ります。暑くなる前にできるだけ走りたいので5時台に出立します。
 奈良盆地東の丘陵を天理まで南下し、フットパス "山の辺の道" を走ります。山の辺の道は、万葉集にも歌われている道ですが、古道が残っているわけではありません。しかし、古墳群をぬいながら丘陵を歩く趣のある道です。
 平日なので人が少なく自転車で走れましたが、混んでいるときは、避けた方がよいと思います。道としては95%位乗車できます。

 いたるところに古墳があります。環濠が民家と接しています。

 三輪山が近づき、先ずは元伊勢とも呼ばれている桧原神社。この神社、神殿も拝殿もありません。箱物仏教の影響を受ける前の、原始的な姿でしょうか。

 大和国一宮の大神(おおみわ)神社は、拝殿だけで神様は三輪山です。

 三輪素麺で腹ごしらえをして、条理余剰帯っぽい直道を走り中世の町並みが残る今井町へ。
 重要伝統的建造物群保存地区として、面的な動態保存がなされています。環濠も含め、厚みのある建造物群です。ただ、ヨーロッパだと、こういう町がデフォルトなので、木造中心のアジアの限界を感じてしまいます。

 宿は九度山の日本旅館を取りました。たまたま真田庵で盂蘭盆の「せがき」が行われていました。

 79.25Km

標高グラフ付きの大きな地図を見る

 青春18キップで徳島まで帰省するのは、早朝から深夜まで普通列車に乗りづくめになります。若干の鉄分の入っている私ですが、ちょっとつらい。途中下車して、未知の関西地域を走ることにします。
 今回は、未乗の関西本線を名古屋駅から加茂駅まで乗り、奈良方面へ走ることにします。
 関西本線は、中央部の亀山駅から加茂駅が非電化単線で、1両編成の鄙びたローカル線です。
 なじみのない加茂駅周辺を調べてみると、意外にも山城国分寺跡があることが分かり、寄り道して奈良へ向かうことにします。
 ここは、京都府の南端に位置しますが、平城京から平安京への遷都の間の一時期、都が置かれ、その後山城国分寺とされた当時の大都会です。

 七重塔礎石が残っています。

 奈良へ向けて、関西鉄道大仏線の痕跡を探しましたが、どうも現地案内道しるべが分かりづらく(廃線跡ではなく、近隣の寺社を訪ねる散策ルートを表記している?)断念し、奈良坂を越えて東大寺へ走りました。
 ダンプの先に大仏殿。

 昨年まで平城遷都1300年祭が開催されていた平城京跡は、静まり返っていました。
 24.61Km

安倍峠、大谷崩 DNF

2011年8月6日土曜日

標高グラフ付きの大きな地図を見る

 今日の計画は、青春18キップで身延まで輪行、安倍峠まで22Kmで1280m上って県境を越え、梅ケ島金山温泉まで下った後、宝永地震(1707年)で山体崩壊したという "大谷崩れ" を詰め、その後安倍川沿いに静岡まで下るダイナミックなルートです。
 R52から分岐した豊岡梅ケ島林道は 5Kmほどで大城川から別れ高度を増し、通行止めのゲートからの11Kmは、8%の坂が峠まで続いています。道路崩壊のため当分の間通行止めとのことですが、自転車なら大丈夫でしょう。

 このあたり、フォッサマグナの脆くて古い地層帯です。20mくらいの滝は珍しく無いようで、名前も付いていません。

 峠まで2Kmのところで、土砂崩れで道路が覆われていますが、この程度は折り込み済みです。念のため、自転車を置いて偵察に。

 ・・・、ちょっと無理っぽいです。無理して崩落面を横断しても、対岸で道路に登れそうもありません。トラバースするにも傾斜がきつく、自転車を担いでは登れません。

 R52まで引き返し、たらたら清水方面へ走ります。この道「みのぶ道」などという優美な名前が付いていますが、その実「ダンプ街道」です。
 どうも DNF のショックから集中力を欠いているきらいがあるので、東海道線まで走らず、身延線井出駅から輪行で帰ります。

 61.59Km

LABELS


mail: boso.cycle@gmail.com