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KHS F20-R451

KHS F20-R451
2015年、台北で購入。そのまま阿里山、塔塔加へ。

KHS F20-T3

KHS F20-T3
2012年、台北で購入、そのまま中部横貫公路越え。

Bianchi Lupo

Bianchi Lupo
イタリア製と思いきや台湾製。基本パーツはSHIMANO TIAGRA。クロモリです。

KHS F20-T2

KHS F20-T2
2009年、台北で購入、そのまま一周。予想に反して、けっこう走れます。

mayfly 2

mayfly 2

MARIN Pine Mountain

MARIN Pine Mountain
1992年 米国製。SHIMANO DEORE DX は20年間ノートラブル。
 
 
 
 

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 自転車なので、明らかにウォークではありませんが、一応続きと言うことで(笑)。
 渋谷まで自走。ハチ公前(足だけですが)から再開。原宿駅の北には「宮廷ホーム」があります。最後に使われたのは2001年5月。いちばん近づけるのは、山手線内回りの車窓からになります。
 裏参道ガード(これ正式名称)をくぐり、山手線の外側へ。ドコモタワーを見ながら線路沿いに進むと代々木駅。新宿駅南口で再度、山手線の内側へ。
 新大久保駅、高田馬場駅から神田川を渡り、学習院下からの坂を上ると目白駅。
 池袋駅を過ぎると路線は90度カーブし、東へ向います。山手線の外側へ回り、できるだけ線路脇をたどっていきます。
 見えてきたのは大塚駅。巣鴨では今回唯一の寄り道で、とげ抜き地蔵の巣鴨通り商店街へ。商店街の道筋が旧中仙道にあたります。線路沿いに戻り駒込駅。
 駒込、田端間には山手線にただ一つ残る「第二中里踏切」
 京浜東北線、東北線、新幹線が集中してきて線路がえらいことになり田端駅。すぐに西日暮里駅。またすぐに日暮里駅。
 長い跨線橋を渡り鶯谷駅南口。北口とは、駅舎も客層も違います。上野駅は、駅舎以外も意匠が凝っています。
 御徒町駅、秋葉原駅、神田駅、ゴールの東京駅は出発とは逆側の八重洲口へ。
 近年、話題にのぼるのは丸の内口ばかりですが、八重洲口も大きく変わっています。
 74.75km

山手線一周ウォーク(DNF)

2015年5月30日土曜日

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 君津のWさんたちと東京駅で待ち合わせ、山手線一周ウォークへ。百名山サミッターやトライアスリート、市民ランナーの皆さんなので、離脱せずについていけるのでしょうか。
 有楽町、新橋、浜松町とクリア。
 田町には、江戸開城会見の地の碑がありました。ここは薩摩藩蔵屋敷跡。
 田町から品川。明治初めなら、八ツ山橋からお台場が連なって見えたはずです。
 唐木橋で、山手線は北にターン。
 大崎(これは認定されないか?)から五反田。
 五反田から目黒は、路線に沿って歩くことができます。ほどなく、恵比寿ガーデンプレイス。
 恵比寿で早めの昼食。ちょっと足が・・。
 渋谷駅新南口。埼京線、湘南新宿ラインの出入口です。山手線の渋谷駅より400mほど南にありますが、明治期の渋谷駅はこのあたりにありました。
 取り壊しが進む東横線旧渋谷駅。ここに、埼京線、湘南新宿ラインのホームが移設される予定です。
 ここで、私は離脱。限界ではありませんが、渋谷へ来ると帰りたくなります。メンタル面の弱さが露呈しました。
 15.4km。
 全29駅の内、東京~渋谷は11駅、営業キロでは 34.5kmの内 14.0km。

両国公会堂

2015年5月28日木曜日

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 「両国公会堂が89年の歴史に幕、夏から解体作業」 とのこと。
 両国は、何度も行ってますが、ニュースで見た特徴のあるドームの記憶がありません。平日の都心を抜け、見に行くことにします。
 東京タワーの足元から、芝公園にある伊能忠敬測地遺功表。測量の起点が高輪の大木戸だったので、東京地学協会が建立とのことです。高輪大木戸跡は、ずいぶん離れているんだが。
 市政会館。裏から見ると日比谷公会堂。竣工日が同じ昭和4(1929)年10月19日なので、一つの建物なのだろう。近代化産業遺産(経済産業省)認定。
 日比谷野外小音楽堂。日比谷野音って、こんなに小さかったっけ?と思ったら、小音楽堂でした。
 丸の内を抜け、神田小川町で右折、両国橋を渡り、旧安田庭園の両国公会堂へ。ここ、駐輪場ありません。 大正15(1926)年に完成、設計は森山松之助。森山は、諏訪市の片倉館も設計しています。
 昭和30年代だと隅田川からもよく見えました。今では、首都高、両国国技館、江戸東京博物館に囲まれ、ステルス化しています。
 帰路は、地図を見ずに走ったため迷走しています。東京女学館横の急坂は、渋谷川支流の "いもり川" へ下る道です。感化院には湧水池がありました。女学館が感化院の跡地なのも少し驚き。
 ハンドルポスト、ようやくカットしました。
 66.09km

バン・チャット貯水池

2015年5月25日月曜日

 海外を走っていると、時々ピンチになる時があります。2013年10月にベトナムのサパへ行った帰路、QL279(国道279号線) が湖になっており、行き先不明の渡し船に乗るか否かの決断をすることになりました。
2013/10/23 Than Uyen - Mu Cang Chai
 ベトナム北部。中国国境のラオカイからは2日行程の場所です。
 最近更新された Google航空写真(いちばん上)では、予定していたルートはダム湖に水没しています。Thủy điện Bản Chát と言うダムが2013年5月に出来上がったようです。高さ125メートル、ベトナム第2位の大きなダムです。
 私が、スマホにダウンロードして海外で愛用する Open Street Map(左)、Google Map(右)とも、今もダム湖は描かれていません。

伊能図 南海、四国中央部

2015年5月21日木曜日

徳島大学附属図書館伊能図
 徳島大学附属図書館が、精密な伊能図(大日本沿海図稿 南海)をwebで公開したとのニュースを5/20の報道で知りました。2月末から公開していたようです。
 伊能図は線の測量図なので、主として海岸線と街道の位置を表しています。今回公開されたのは徳島藩が所蔵していたもので、描かれている街道は土佐北街道。5/6に野鹿池山を走った時のルートに一部重なります。
 現在の地図と並べてみると伊能測量隊は文化5年(1808)、笹ヶ峰から、現在の徳島県道5号線あたりを南下し、川口から吉野川沿いに本山まで上り、国見峠(赤荒峠あたり)を越え高知へ向かっています。
 当然、立川番所には顔を出したでしょう。泊まったかも知れません。
 土佐北街道を歩いたはずなので、天満宮の前を通っています。
 吉野川左岸を測量しているので、歩いたのは対岸の道。
 なお・・・、調べていてわかりましたが、四国縦断測量を行ったのは別働隊の坂部貞兵衛らとのことです。坂部は、1813年五島列島測量中に病没。
 100年後の明治39年(1906)測図の1/50000 にトレースすると。立川郵便局は現在も同じ場所にあります。当時の郵便局記号は、メール風です。

KHS F20-R451 でヤビツ峠

2015年5月17日日曜日

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 2015/2 台湾で購入した KHS F20-R451 で、初ヤビツ。20インチながらひとまわり大きいホイール、451化の効果は如何に。
 5月の好天。大勢走っています。女性もずっと増えた気がします。アウター固定で、上っている(たぶん2本目)普通のお姉さんなど、以前では考えられません。
 さて、結果は・・。
 ぜんぜん、遅い。特に、上部の緩斜面でスピードを上げられませんでした。
 年月日 機材 ホイール ギア タイム
10/4/18 KHS F20-T2
(11.8kg)
PowerTools
20(406)
(F)50/34
(R)11-30(8)
59m25s
12/4/15 KHS F20-T3
(11.8kg)
PowerTools
20(406)
(F)52/42/30
(R)11-26(9)
65m29s
14/4/27 同上  FAXSON
20(406)
 同上 63m16s
15/5/17 KHS F20-R451
(10.4kg)
Quasar
20(451)
(F)53/39
(R)11-28(10)
65m16s
 どうも、ギア比が重くなるにつれ、遅くなっているようです。傾斜のきつい部分はインナー・ローで走っていますが、踏めない感覚はないので、遅さをギア比に限定することはできません。
 ただ、麓の名古木までのR246の平均時速は、
往路 19.0km/h、復路 21.3km/h で、F20-T3/FAXSON で走った2014年の
往路 18.3km/h、復路 18.8km/h より、大幅に改善しています。
 やはり、私の脚力では軽いギアが足りないのだろうか。

 往路に寄り道した高部屋神社。よく走るR246の直ぐそばですが、宅地化で樹木を伐採したため気付きました。式内社。本殿と拝殿が繋がっていない様式には驚きました。拝殿は茅葺き。
 氏子?の方のお話では、江戸初期に建てられた本殿が関東大震災で傾き、昭和4年に部材を組み直して再建した。拝殿は慶応年間のもの。
 121.99km

いちょう団地のベトナム食材店

2015年5月13日水曜日

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 外国籍の住民が2割を超すと言う神奈川県営いちょう団地。ベトナム食材店があるらしいので、買出しサイクリング。
 横浜市の最奥部なので、農地も多くあります。本興寺と言う大きな寺院の前を走り、いちょう団地へ。
 児童数減少で昨年(2014年)統合された、いちょう小学校は多言語初等教育で実績がありました。一時期は児童数2000名を越えていましたが、閉校時は161名。外国籍、元外国籍児童が7割いたそうです。
 団地前のアジア食材タンハー "THANH HA" 。食堂併設のベトナム食材専門店です。店の前のモーターバイクが並ぶのは、ベトナムと同様です。
 購入したのはベトナムコーヒー。ネットでの最安値より安かったです。VINAMILKのコンデンスミルクは500円、350円の森永製と棚に並んでいました。航空便で輸入するので、高くなるとのことです。
 「羽太郷土資料館」の案内板があったので行ってみましたが、民設民営(個人)で10年前から閉館。しかし、資料館(普通の住宅)の前に、興味深い地図が。
 1/20000 迅速測図(明治前期)で確認すると、境川に沿う昔からの集落で、鎌倉上の道というのも頷けます。大規模県営団地は、境川の河川敷に建てられたこともわかりました。
 47.42km

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 大坂峠(県境)、大坂越え(鳴門市、板野町境)は、(1)江戸時代の道 (2)明治8年開通 (3)大正9年開通 の3世代のルートがあります。(引田歴史民俗資料館)。 (3)は、現在の県道1号線です。
 過去の探索は下記。
引田と大坂峠旧道(明治8年道路)2010/12/12
讃岐街道と大坂越え(明治8年道路、徳島側)2010/12/15
大坂峠 旧道探索 2011/8/14

 今回の探索は、1889(明治32)年製版 1/20000地形図 に描かれているルートの内、大坂越え(鳴門市、板野町境)の鳴門側部分です。
 <課題>香川県側は、「四国のみち」として整備されている明治道であるが、徳島県に入ると「四国のみち」は明治32年地形図ルートから外れ、あせび公園へ向かう純然たる山道となる。明治32年の1/20000地形図に描かれている道は、現存するのか。  具体的には、下記(い) の道は、どこまで続いているのか?
 ビンディングを外し、県道から小径を上る。明治32年地形図ルートへ取り付いたところ。木や竹が生えているが路面はしっかりしている。
 木々から毛虫がたくさん下がっており、まとわりついてくる。
 法面はしっかりしている。ただし、コンクリートっぽく見えるのは土。
 200m ほどで道がなくなり引き返す。
<あっけない解>
 合点がいかないまま以前の資料を調べていると、香川県が "四国のみち" 展望休憩所脇に立てた「大坂峠みちの移り変わり」の地図にルートが描かれていました。
 今回藪こぎしたのは、(A) から (B) の部分。なお、現状の "四国のみち" は、ピンク。
 私の仮定:明治道="四国のみち" と言われているのは間違いで、別途明治道がある。
 解:明治道="四国のみち" だったが、"四国のみち" が、尾根側に付け替えられた
 大坂越えには、明治13年の道路開通碑があるので、(C) から大坂越え切り通りまでは、明治13年に開通し、大正9年の旧国道へ引き継がれたと思います。ただし、道路開通碑が移設されていないかぎり。加えて、大坂越えの標高 278m(明治32年地形図)、260m強(現在)の差は謎。謎は増えてる気がします(笑)
 帰路は吉野川橋で帰りました。長さ 1071m、1928(昭和3)年竣工。17連曲弦ワーレントラス橋。
 80.30km

LABELS


mail: boso.cycle@gmail.com