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KHS F20-R451

KHS F20-R451
2015年、台北で購入。そのまま阿里山、塔塔加へ。

KHS F20-T3

KHS F20-T3
2012年、台北で購入、そのまま中部横貫公路越え。

Bianchi Lupo

Bianchi Lupo
イタリア製と思いきや台湾製。基本パーツはSHIMANO TIAGRA。クロモリです。

KHS F20-T2

KHS F20-T2
2009年、台北で購入、そのまま一周。予想に反して、けっこう走れます。

mayfly 2

mayfly 2

MARIN Pine Mountain

MARIN Pine Mountain
1992年 米国製。SHIMANO DEORE DX は20年間ノートラブル。
 
 
 
 

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 好天が続きます。走り出しさえすれば、こっちのもんなんだが、そこまでが大変です。
 国連大学前の青山通りを進み、ホテルニューオータニで紀尾井坂を下り、千鳥ヶ淵。近代美術館工芸館(旧近衛師団司令部庁舎)を過ぎると、
 「漂流ものがたり」展を開催中の国立公文書館。
 中浜万次郎漂流記、土佐国赤岡浦の長兵などから聞き取った鳥島の地図、日本へ漂着した、うつろ舟の「蛮女」 など。
 北槎聞略(ほくさぶんりゃく)。大黒屋光太夫らの体験を、幕府奥医師の桂川甫周が聴き取ったロシアの地誌・見聞録。重文の本物。撮影可でした。
 常設展示には、こんなものも。文化財ではありませんが、公文書のようです
 帰路は目黒不動。初めて来ました。毎月28日は縁日とのことで、賑わっていました。
 ここへ来た目的は目黒競馬場。1907年(明治40年)から1933年(昭和8年)まで、ここにありました。
 何も残っていませんが、外周路がそのまま道になっています。
 57.69km、4h06m

多摩市の"からきだ菖蒲館"

2017年1月24日火曜日

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 所用で多摩市へ。ベトナム以来 KHS F20-R541 に乗っていないのでビンディングをはめて出走。
 昭和の残照。
 最近、旧河道づくしなので気になりますが、今日は素通り。かんがい排水事業完成記念碑など。祠も移動させたのでしょう。
 自然が残る町田市と、ニュータウンになって久しい多摩市を結ぶ小野路。
 からきだ菖蒲館。バブル感満載の多摩市総合福祉センターと違って、感じのいいデザイン。
 図書館併設のからきだ菖蒲館にあった唐木田の昔の姿。今は、切土、盛土で大地からして跡形ありません。
 36.17km、2h15m

荒川ロックゲートと小名木川

2017年1月18日水曜日

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 地図の旅愛好会フィールドワークの下見で、江東区旧中川から小名木川から錦糸町へ。
 旧小松川閘門。閘門なので2つセットですが、現存するのは1つ。荒川改修により旧中川との水位差が生まれ、昭和5年に竣工。
 2005年10月に完成した荒川ロックゲート。震災時には、救援物資輸送路としても利用される予定。ようするに普段は使わないということか。
 荒川側から。
 小名木川。運河なので真っ直ぐです。塩田のある行徳からの塩の運搬のため、江戸初期に開削されました。
 小名木橋梁。JR越中島支線(貨物線)の鉄道橋。1929年(昭和4年)竣工。
 1947年(昭和22年)発行の1/25000「東京首部」。小松川閘門は現役のようです。
 1967年(昭和42年)発行の1/25000「東京首部」。工場が多く、地盤沈下が激しかったころ。
 越中島支線は、鉄道用レールの輸送を一日2便行っているようです。レールをどこから持ってくるのかは不明。この日は、空荷?
 砂糖工場~東芝~現:第四砂町中脇にある住宅・都市整備公団の基準点。形状が台湾の三角点にそっくりでした。
 最後は、砂町銀座から街区多角点。都内最低地らしい。(未確認です)
 11.5km(歩き)

東京凸凹地形展と薫風

2017年1月17日火曜日

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 「東京凸凹地形展」が行われている東京都立中央図書館へ。平日の有栖川公園は長閑として、駐輪場もガラガラでした。
 東京の特徴的な地形としてピックアップされていたのは、川、暗渠、坂、スリバチ・微地形、地形と地名。「暗渠」「スリバチ・微地形」も認知されていました。関連図書のリストを頂けたのは、ありがたい。
 2011年に南洋堂書店のミニギャラリーで展示されていた微地形模型が、御厨貴の「権力の館を歩く」と連動したプロジェクトマッピングで展示されていました。いまいち、ピンときませんでした。
 東京都立中央図書館の建つ有栖川公園はスリバチ状。渋谷川支流の笄川(こうがいがわ)の水源のひとつでした。
 江戸期はの盛岡藩下屋敷。
 ドイツ大使館との間の急坂は南部坂と呼ばれています。
 帰路は目黒方面へ。恵比寿と目黒の間にある長者丸踏切。山手線の踏切は第二中里踏切だけで、ここは山手線の下をくぐって、山手貨物線の踏切。貨物線ですが、埼京線、湘南新宿ラインが走っています。
 昼食は、信頼できる筋からの情報に基づき、目黒線不動前の "薫風" 。美味い。美味いが、六根には及ばず
 43.80km、3h11m

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 多摩武蔵野スリバチ学会のフィールドワーク。入間川(いりまがわ)の上流編。下流編は不参加だったので、野川への合流部から自習。
 糟嶺(かすみね)神社からの入間川。糟嶺神社は、武蔵国多磨郡的矢荘入間村の鎮守。地図は明治39年測図の 1/20000。
 昭和30年ごろまでは、陵山と呼ばれた神社から見えるのは、田圃と川だった。
 現在は、住宅地のなか、コの字状の放水路となった開渠が続きます。
 調布市立仙川南駐輪場に自転車を停めて、多摩武蔵野スリバチ学会集合場所の仙川駅前へ。知り合いも増えてきたので、新年のご挨拶など。
 基本、暗渠の遡上です。民家の裏を抜けるルートもあり、英国のようにフットパスとして認定して欲しいものです。
 微妙な高低差を表現できる赤色立体地図。なにげに各分野の専門家が参加しているスリバチ学会ですが、今日は、赤色立体地図の発明者の千葉さんも加わっています。
 kmzファイルも提供して頂いたので、Google Earth に重ねることも。赤色立体地図は高低差を相対的に表すので、微妙な段差も見える化できます。
 入間川源流地跡に到着。明治初めの迅速測図だと、川はもう少し続いています。
 復路は深大寺用水東堀。入間川と並行して谷戸の西斜面に開削されています。が、よくわからなくなってきました。
 赤色立体地図で黒く表されている完全スリバチ。下手側は宅地化するため盛土されています。
 つつじヶ丘駅で解散。私は、自転車を停めている仙川へ。
 25.06km、1h57m、+ 11.8km(歩き)

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 Sさん、Kさんと習志野駅で待ち合わせ、第一空挺団の降下訓練始めへ。3年前に初めて来た時 は晴れでしたが、今日は曇り。観客も随分少なかったです。

 そのまま、薬園台の寿司屋で新年会。地元のオヤジの話では、近年はテーマが島嶼奪還になって、面白みに欠けるとのことでした。
 8.2km(歩き)

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 スリバチ学会群の河道歩き。4回に分けた烏山川編、今回が最終回です。私は、2016/6/12 の "宮の坂から八幡山まで" に続く2回目の参加です。
 前回同様、スタート地点までは自転車。多摩川を多摩水道橋で渡ってからは松原通りを真っ直ぐ、仙川の商店街を抜けて、R20の旧道、甲州街道を東へ。千歳烏山駅前の烏山地下駐輪場(6:00 - 25:00)
 12:30 集合。総勢30名ほどでしょうか。地味なルートですが、動員力は抜群です。劈頭、街中に荒れた墓地がありびっくり。川筋の道を経て、みなさん集まっているのは古烏山川(門九郎堀)などの水路が合流していたあたり。
 甲州街道を暗渠で横切る古烏山川。車道にソイルマーク(嘘)、左中央には橋の欄干が残っています。
 暗渠マニア垂涎。
 給水塔マニアも満足。
 次いで、烏山寺町。関東大震災後の1923年(大正12)ごろに浅草、築地、本所、荒川などにあった寺院が集団で移転してきたもので、全部で26寺院。
 関東大震災前、1917年(大正6)測図の1/25000地形図には、寺院はありません。
 思っていたよりずっと大きな寺が並んでおり、驚きました。
 「蕎麦を許さず」の碑。極楽寺称往院。
 『当寺は慶長元年(1596)白誉称往上人により湯島に創建されたが、明暦の大火で浅草に、さらに関東大震災により昭和2年当地に移転した。本尊は丈六の阿弥陀如来である。浅草のころ当寺は、寺内の道光庵庵主のつくるそばが有名となり「そば切り寺」として知られたが、修行の妨げになるとして天明6年(1786)「そば禁制」の碑が当寺住職により建てられた。この碑は同庵にあった俳人宝井其角の句碑・墓とともに現在、当寺に残されている。』(世田谷区教育委員会)
 玉川上水まで僅かな高低差を上り牟礼橋。 牟礼村と久我山村の村界碑から庚申供養塔(道標)。私はここで離脱。品川用水跡っぽい小径を歩き烏山の駐輪場へ。
 暗くなる前に、多摩川は越せました。
 26.85km、2h03m、+ 8.4km(歩き)

LABELS


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