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KHS F20-R451

KHS F20-R451
2015年、台北で購入。そのまま阿里山、塔塔加へ。

KHS F20-T3

KHS F20-T3
2012年、台北で購入、そのまま中部横貫公路越え。

Bianchi Lupo

Bianchi Lupo
イタリア製と思いきや台湾製。基本パーツはSHIMANO TIAGRA。クロモリです。

KHS F20-T2

KHS F20-T2
2009年、台北で購入、そのまま一周。予想に反して、けっこう走れます。

mayfly 2

mayfly 2

MARIN Pine Mountain

MARIN Pine Mountain
1992年 米国製。SHIMANO DEORE DX は20年間ノートラブル。
 
 
 
 

14 台北新店 - 松山機場

2017年2月21日火曜日

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 最終日。帰国便は 15:30 なので、初日に行った大稻埕で買い物をして空港へ向かうことにします。
 歩道の一部を自転車道にしている個所もあります。日本と違って交差点でも真っ直ぐなのは、巻き込み事故防止に役立ちます。
 ただ、左折モーターバイクの待機エリアがある場合は、直進する自転車も、一旦右へよける必要あり。
 古い町並みが残る大稻埕は、台北が大都市になる前からの繁華街です。
 1921年の地形図で見ると、台北城域、艋舺(万華)と大稻埕で形成されていたことがわかります。
 大稻埕の "1920s書房" は、その名のとおり台湾の古い時代に関する書籍を揃えています。鳥居龍蔵の著作もありました。
 買ったのは「隠蔵地図中的日治台湾真相」 表題はおどろおどろしいですが、扉の説明は「日本民族は精緻な工藝を好み、美しい地図を作った、云々・・」。吉田初三郎らの鳥瞰図の章は「これって、地図なの?」
 空港へ向かう民権西路で獅子舞に遭遇。上元の祝い事なのでしょうか(0:53)
 帰国時の悩みのタネ、空港でのダンボール調達もうまくいき、無事羽田へ帰国。
 15.91km、1h08m

13 礁渓 - 台北

2017年2月20日月曜日

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 礁渓の夜明け。残念ながら海からは遠く、台湾東海岸かどうかはわからない。(0:41)
 台北へは、三貂角経由の海沿いも面白いですが、今回は山越えの9号線です。中央は亀山島。
 交通量が少ないのは、北宜高速公路の雪山隧道(12.9km)が2004年に開通したためです。
 坪林で昼食。淡水魚が名物のようです。
 500mの峠を2つ越えて台北市街地の南端にあたる新店到着。中心部へは入らず、郊外で宿を探すことにします。一軒目の商務旅館(ビジネスホテル)。古いが広い、2000NTD。
 夜は旧知のSくんが、「マンションを買った、間もなく賃貸に出すので見せたい」とのことで見学に。築40年で外見はくたびれている。今のレートで5500万円。バスルームと別に、シャワールームがあった。英語での意思疎通がうまくできなかった感があるが、不動産が右肩上がりなのは当然、建て替えの発想無し。バブルが弾けたデフレ国家から見ると心配です。
 65.52km、4h54m

12 留茂安 - 礁渓

2017年2月19日日曜日

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 蘭陽渓、河口まではまだ50kmあるんだが。飛行場ができる広さ。
 天狗渓との合流地点で左岸に渡ります。
 秦雅大橋手前で「羅東林鉄八号隧道」を探しますが、見つからず。村の人達も知らないようです。ここは、2011年に逆コースで休憩した集落で、記憶が甦って来ました。
 鉄馬駅站(自転車補給点)の案内が出ていた警察署で空気入れを借りました。当たり前のように、仏式、空気圧計付き。
 橋を渡り太平山林鉄天送駅跡。日治大正10年(1924)創建。駅舎も転車台も残っていました。
 台湾なら当たり前。
 路線跡も残っていたので、蘭陽渓岸の九弓湖まで走ってみました。三星のご一家。4月に結婚するとのこと。
 "日本語少し" と言う奥さんが、九弓湖駐在所事件の案内板を指して "同じ、同じ" と言ってたのは、なぜだろう。
 三星は葱が名物、行くべしと蔡くんから指示を受けていた「味珍香卜肉店」は行列で断念。行かないと後悔すると言われた「正常鮮肉小籠湯包」はお休み。羅東の一番有名なお店「林場肉羹」でようやく昼食。最初に口を付けた時は??でしたが、結局おかわり。二杯で70NTD。
 羅東文化工場。台湾のホープ、黄聲遠(田中央工作群)の設計。
 遠くから見ると威圧感が無いわけではないが、近づくと敷居は低い。市民の憩いの場。
 羅東から宜蘭。(五福眼科、羅東駅、宜蘭駅) 礁溪戸政事務所は、台湾の沢田マンション? こちらは、れっきとした役所の建物。
 礁溪は有名な温泉地、迷った末、眺望の良い汽車旅館。モーテルですが温泉です。夕食は、葱油餅と奕順軒のパン。奕順軒礁溪店は中国人団体客で異常に混み合っていましたが、パンはすこぶる美味い。
 72.19km、4h37m

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 梨山の夜明け。東(右)からの朝日が大甲渓を挟んだ雪山連峰に射して来ました。主峰の雪山は 3886m。台湾第2の高峰です。
 300NTD 寄進した、道教系と思われる驪山姥姆宮を出て、大甲渓へ下り。
 支流の南湖渓に架かる清泉橋は、数奇な運命を辿ったようで、案内板には 「フランスがベトナムの鉄道橋の為に西ドイツで作ったが、ディエン・ビエン・フーの敗北でタイに送られた。その後米国が購入して台湾へ送り、中部横貫公路の橋になった」 とあります。
 環山集落を尾根道で巻いていきます。日治五萬分之一蕃地地形圖(1907年)だと、シカヤワ社。
 観光バスが次々と到着する武陵農場櫻花季(桜まつり, 160NTD)。日本人的には、大した事ないです。
 台湾の大分水界ちかくの鞍部に「谷中谷」(河川争奪)の案内板がありました。太平洋側と台湾海峡側の境界、標高2000mの場所で河川争奪が行われたのでしょうか。
 地形図で調べて見ると、県境の稜線の北側、太平洋に流れていそうな羅葉尾渓が、県境の鞍部で台湾海峡側へ流れる有勝渓に繋がっています。
 ここが争奪の現場?.. 奪った方なんだが。(地理と台湾語の詳しい人に確認したい) 河床の高くなった有勝渓の浸食が弱まると、再逆転が演じられるかも。
 県境の鞍部を越えると蘭陽渓まで、標高差 800m を一気に下ります。
 何だ、これは。河川敷の農地への導水管のようです。農家個人が引いているのだろうか。
 久しぶりの村落、南山。蕃地地図では、ヒヤナン社。本来、農耕できる土地ではなさそうです。
 馬諾源で蘭陽渓を右岸へ渡ります。下流方向。
 蘭陽渓沿いに泊まりたいが、人家が少ない。四季薫(シキクン社)に民宿があり、部屋も見せてもらいましたが、夕食が出せない。街に食堂も無いので断念。留茂安の川べりの一軒宿に二食付きで宿泊。Wifiが無かったが、タブレットを車に置いて部屋の前に停め、デザリングしてくれました。
 71.27km、5h07m

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 雲海の下から昇る日の出。驚きました。すごかったです。息をのむ光景。
 空気の透明感も際立っていました。
 雲海が輝いていたのは、わずか数分。その後、雲は暗くなり日の出。
 疲れは残っていますが、ホテル正面の合歓尖山(3217m)に登ることにします。夕食で知り合った劉さんの話では、往復40分くらいとのこと。ビンディングを外して出発。
 右が劉さんが登る合歓山東峰(3421m)、左奥の建屋が松雪楼。
 北北東に目立つのは中央尖山(3703m)
 これから走る、石門山方面。石門北峰(3278m)
 劉さんが望遠で撮ってくれた合歓尖山登頂。登ったのは 100mほどですが、私的にはキナバル山、富士山に次ぐ生涯第3位の高峰。ただ、昨日の武嶺の方が高いですが。
 10:42 遅い出発。アップダウンしながら、南投県、花蓮県の県境稜線を走ります。振り返えると右に合歓山主峰(3417m)、左に合歓山東峰(3421m)。
 大禹嶺で梨山方面の R8 へ。真っ直ぐ下ると太魯閣です。
 梨山は果樹園に囲まれた高原観光地ですが、季節がら何も実っていません。梨やリンゴを売ってましたが、地の物ではないと思います。
 桜祭をやってると聞いていたのですが、何も見つからず梨山賓館前の旅客中心(ビジターセンター)で尋ねると、桜祭は20kmほど下った武陵農場とのこと。宿の相談をすると「梨山は観光地なので、どこも高い。街外れの temple なら、300NTD だ」で、車で連れて行ってもらうことに。
 快適とは思えませんが、脱水機が使えるのが決め手となり決定。欧米人を連れてくると喜ばれるらしい。
 領収書代わりの「感謝状」 寺院に寄付する形式のようです。洗濯して、ハノイ自転車友の会ジャージを干していると、部屋を案内してくれた住んでる?女性が、自分はベトナム人だと言ってきました。指先会話帳の漢字が読めないように見えた理由が分かりました。"ハノイ" へのリアクションがネガティブに思えたので、ボートピープル系かも知れません。
 今日は延々下りましたが、まだ標高2000m。たらふく食って、台湾のレッドブル "保力達" で寒い夜に備えます。
 39.90km、2h33m

LABELS


mail: boso.cycle@gmail.com