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木曽三川の分流など、明治の治水で活躍したヨハネス・デ・レーケの堰堤が現存する脇町大谷川へ行きました。 吉野川南岸を走り穴吹町三島から潜水橋で脇町へ。この道、歴とした徳島県道199号線です。 |
うだつが上がった家々。 |
美馬市脇町南町は「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。 |
オデオン座(脇町劇場)は1934(昭和9)年の建造。 |
オランダ人土木技師ヨハネス・デ・レーケは明治6年来日。帰国まで30年に渡り、砂防や治水の近代化に尽くしました。 |
木曽三川の改修とは異なる小作品。資料は残っていないようです。 |
稲田家の家臣(明治維新後、徳島藩士が襲撃した)が多く住んだあたりから撫養街道沿いの建物。 |
帰路は北岸を走る。第十堰の上流にある第十樋門。旧吉野川の起点。 |
吉野川第十堰。洗堰で問題なし。 |
ここに可動堰をつくれば風景が一変した。 |
北島まで戻り、麺喰い屋澤で塩山椒。熱中症リスクのあるサイクリング。今日の場合は、“腹を満たす“でなく塩分で“命をつなぐ“。 |
94.6km。 |
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1966年から1974年まで運行していた姫路市営モノレール(1.6km)の廃線跡に沿って、ウインク体育館へ行ってきました。 市営なのに、放置されたままの橋脚が多数残っています。 |
2017年まで放置されていた大将軍駅跡。杭基礎の掘り出しが難しく、空き地に。 |
「姫路南部」1/25000 1969年発行。 |
船場川に沿うレール。 |
手柄山駅は、手柄山交流ステーションと名を変え、ほぼそのまま保存されています。 |
ジオラマ充実。動きます。 |
2018/3まで営業していた回転展望レストラン「手柄ポート」 昔の未来予想図。 |
ウインク体育館。清瀬天太選手は、元WBC世界王者、WBAランカーにTKO勝ち。これで、世界ランキング入りか。清瀬クンは華があるので大きく羽ばたいて欲しい。成田佑美選手も、日本タイトルが射程内に。 |
歩き 5.8km |
日越交流45周年を記念してベトナム国立交響楽団(VNSO)の日本公演。六本木のサントリーホールに、ハノイの佐藤さん達と行ってきました。VNSOは2016年、ハノイのオペラハウス以来の2回目。 |
アークヒルズとサントリーホールの間の広場。谷だったのか。
佐藤さんとは初めてベトナムをサイクリングした2009年、「ハノイ自転車友の会」に連絡を取った時からのお付き合い、ベトナムサイクリングも6回を数え知人も増えてきました。 今回も、映画「ベトナムの風に吹かれて」の原作者、小松みゆきさんとお会いすることができました。NHKで放送された「遥かなる父の国へ~ベトナム残留日本兵家族の旅~」のコーディネートもしていた方です。 天皇皇后両陛下が、隣のボックスに来たのにはびっくり。この近さは、生涯レコードとなるでしょう。 公演のあとは、佐藤さんの手引きで指揮者の本名さんを訪ねて楽屋へ。佐藤さん、第2バイオリン奏者とかもお友達みたいです。 |
歩き 1.8km |
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高校のクラス会。東京タワーに歩いて上り、その後日比谷公園のオクトーバーフェストでドイツビールを飲むという企画。 第一展望台(メインデッキ)までなので、高度は140mほど。暑くなければ適度な運動。 |
記憶が不鮮明ですが、初めてのような気がします。 |
1階には「ALWAYS 三丁目の夕日」時代の、丁寧な作りのジオラマがありました。 |
メインのオクトーバーフェスト。ミュンヘンでは秋の開催ですが、東京では夏。とんでもなく暑い日なので、ビールが美味い。東京タワーに上る必要はなかったような気がします。 |
GPSログを Google Earth に貼り付けて立体感を表してみました。実際は、Google Earth の起伏の強調と同期を取るため、高度を手作業でいじっています。 |
歩き 4.8km |
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明治村から予定より早く帰ってきたので名古屋駅周辺を散策。先ずは、まるや本店でひつまぶし。美味しい、味の変化も楽しめる。ただ、かき混ぜたり、だし汁をかけたりって、家でしたい。5時20分に店を出たとき、既に行列ができていました。 |
名古屋駅至近に柳橋中央市場。名古屋駅自体が町外れだったためでしょうか。鉄道支線の跡地を活用して発展したようです。 |
大正12年の名古屋城。地図記号は、師団司令部(第三師団)、旅団司令部(歩兵第5旅団)。注記は歩兵6連隊、輜重第3連隊、野砲兵第3連隊、騎兵第3連隊。名城公園は練兵場です。 |
ドラマチックモードの名古屋城。 |
駅への戻りは、微妙にカーブする円頓寺(えんどうじ)本町商店街。 |
カーブの具合から川跡と思いましたが、田んぼの畦道。小川が流れていたかも知れません。 |
駅に戻り大名古屋ビルヂング。初代は1965年竣工、2代目は2015年竣工。東京の丸ビルみたいに、低層部は建て替え前を模したものと思っていましたが、デザイン的にそうではなさそう。戦後20年経っての竣工で "大名古屋" という名称も謎。名古屋だからか。 |
大名古屋ビルヂング、機械式駐輪施設が4台並んでいました。 |
歩き 5.8km |
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名鉄で犬山へ。名古屋鉄道の総営業距離は444.2km、275駅。東急は97.5kmなので、足元にも及びません。 |
犬山駅から城下をお城へ。 |
商家が大きい。奥行きも相当あります。 |
"国宝犬山城" の営業は9時からなのは知っていましたが、天守への入場時間だと思っていました。本丸へ入れず。木曽川のライン大橋から望む。 |
この橋、正式名は犬山頭首工(いぬやまとうしゅこう)、ライン大橋は通称。宮田用水、木津用水、羽島用水など両岸から取水している木曽川の堰です。連日の豪雨で中央部は逆巻いています。左岸が愛知県犬山市、右岸が岐阜県各務原市。 |
川岸から見上げる犬山城。 |
駅に戻り路線バスで博物館明治村へ。とんでもない田舎にありますが、日本全体が前のめりだった高度経済成長期の1965年に開設したのは慧眼。 三重県庁。 |
西郷従道邸。目黒から移設。 |
宇治山田郵便局。 |
帝国ホテル。ここは内部と備品がいい。 |
夏晴れだったのが14時過ぎから激しい雷雨。村内の京都市電も全面運休。建屋はすべて見ることができたので、直通バスで名古屋へ。 |
8.4km |