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今日は峠越えでイタリアへ。天候回復。 |
峠の標高は1350m。比高 650mほどの上りです。 |
峠近く、スノーシェッドのない旧道があったのでそちらへ。柵越え(閉鎖されてる旧道を走った)を手伝ってくれたオーストリア人一家。おやじは、SAKEは入ってんのか、と聞いている。 |
オーストリア、イタリア国境。碑に書かれている国名はITALIA と OSTERREICH 。やはり路面の舗装が違う。 |
イタリア。 |
この奥(見えない)へ向かえば当初の目的地 "ドロミテ山塊" ですが、気温が低すぎるので見送ります。 |
壁。 |
ポルシェ軍団には抜かれましたが、快適な下り。 |
アドリア海へそそぐタリアメント川渡河、1回目。 |
タリアメント川渡河、2回目。 |
この日は走行距離が読めず、宿は予約せず飛び込みで決めました。オゾッポ(Osoppo)という町の由緒ありげなホテル、朝食付き52 EUR。宿の裏がナポレオンの軍事施設だったらしい。ここは、別途。 |
75.59km、4h57m |
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オーストリア2日目も雨。昼食を食べられない可能性が高いので、朝はしっかり頂きます。 |
小降りになりましたが、連日の雨で川は増水しています。 |
昼過ぎには雨は上がり、合羽から開放。泉で水補給。 |
宿に着いた17時には待望の青空。 |
B&B "Il ritrovo dei 199" は、朝食込み、47 EUR。カーリングの夏季練習場が隣にありました。 |
宿はイタリアンレストラン。近所のGSのお兄ちゃんは、昨年日本へ行ったマンガ好き。ウィーンからの一家は、カヌーとマウンテンバイク。奥様は医者で、オーストリアのオペラ公演に帯同し4回来日、地方都市(富山、大津、高知)も行ったとのこと。 |
80.33km、5h08m |
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雨、3日目。無難に走りたいところですが、単純なミスコースとルート計画のミスで時間と体力を無駄に失います。 |
弱気になり、11:35 にイェヤニツェ(Jesenic)駅でオーストリアへの列車の時刻を地図を示して尋ねると、駅員のおばちゃんが電卓で答えてくれますが、16時とのこと。 |
路盤のしっかりした廃線跡っぽい自転車道が車道と並行しているのが見えたので、そちらを走ることにします。 |
前方からサイクリスト。ベルギー人の Stefさん、この先の道の様子をきけて一安心。最終目的地はインドネシアとのこと。若いのに、 グレッグ・レモンがいた Z プジョーのキャップをかぶっていました。 |
廃線跡は間違いなし。鉄橋の傍らにはトーチカ。 |
サバ川を遡上しています。山はずっと雲のなかですが、雪がだいぶ残っています。クランスカゴーラ(Kranjska Gora)からは北に転じ国境へ。標高は 1080m、18%の標識もありましたが、坂は短く助かりました。 |
スロベニア、オーストリア国境の道標。1919年なのでオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊した翌年。かつては共産圏、資本主義圏の境界でしたが、今はEU内でフリーパス。 |
1kmくらい進むと、戦車が停まっていました。ソ連製のT34か。説明ありません。謎です。 |
峠を下りフィラハ郊外、Godersdorfの Hotel Zollner。濡れ鼠で着くのがわかっていたので、出歩かずにすむ二食付きのホテルを前日に予約しました。96 EUR。 |
お味はいまいちですが、全く不満はありません。 |
62.57km、4h53m |
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雨。徒歩5分なので、一応、首都を代表する三重橋へ。 |
しっかりした雨ですが、ポンチョで走っている人も見かけます。上下合羽でスタート。 |
2時間あまりで靴の中までズボズボに。路肩のない走りにくい道だと思ったら、自転車走行禁止。走ってきた国道211号線は、気づかなかった箇所を含め多くの自転車走行禁止区域があります。知っていれば、川沿いの道を走ったのですが。 |
クラーニからはサヴァ川沿い。 |
雨の天気予報を受けて、前夜予約したバスタブ付きの Pr Klaudiji Guest House Bled 着。朝食付き 57.80 EUR。冷えた体にバスタブはたまりません。隣にスーパーマーケットがあり助かりました。 |
62.37km、4h28m |
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朝食、充実しています。直前割引で朝食付き 47.95 EUR ですが、質量とも満足。肉厚のパプリカは、ドレッシングなしで美味しいので、この後スーパーマーケットでの購入アイテムになりました。 |
気温、湿度とも快適。路面は日本と同等。 |
白バイが交差点を封鎖。旧共産圏のなごりの要人先導かと思ったら、自転車レース。あまりレベルは高くありません。パトカーの停車位置につられてミスコースする選手を誘導する予想外の活躍も(^_^) 道標。Ljubljana まで 43.390km。 |
登坂車線はセンター側。 |
謎の建屋があったので、通りがかりの若いお父さんに尋ねると「ユーゴスラビア時代の食物倉庫。今は空っぽの負の遺産。ユーゴ時代、スロベニアは食物生産地とされ・・」流暢な英語で説明してくれました。私の英語力ではついていけませんでしたが、横にいた12歳くらいの娘さんは理解できたようです。 |
首都リュブリャナ(人口28万)の郊外に入り、レコード盤をモチーフにしたメニューの喫茶店。カフェラテ 1.40 EUR。 |
旧市街の古い建屋をリノベした宿にチェックイン。宿の前は、竜の橋(Zmajski most)とリュブリャナ城。 |
お城へはケーブルカーで上ります。片道 2.20 EUR。 |
小ぶりなお城です。人口規模から言っても高知城クラス。 |
宿は 54.78 EUR、自転車はガレージに保管。H2Ostel と言う町おこしグループの若い人達が運営しています。部屋は半地下ですが、窓からお城が見られます。 |
77.18km、4h40m |