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武蔵から木馬道だった車道を下り「歴史民俗資料館」へ。村役場の向かい、十津川屈曲部の台地に建っています。解説もしてくれました。 |
この手の資料館は広告代理店の雛形に沿ったものが多いですが、十津川はその枠に収まりません。壬申の乱、南朝、幕末の天誅組、明治の大水害、熊野古道等々。神話時代を含めれば神武東征も八咫烏に導かれ、この辺を通った由。 |
資料館のお隣にある十津川護国神社。幕末動乱期の戦没者数が、日清日露の合算の2.5倍。満州開拓団でも大勢亡くなっています。明治大水害後の北海道移住も屯田兵的な考えも強かったようです。 陸軍皇道派の荒木貞夫大将(陸軍大臣、文部大臣)は、A級戦犯釈放後の1967年、講演で訪れた際に十津川荘で亡くなっています。 |
昭和20年代まで村役場のあった小森集落は、正面の稜線あたり。 |
今日の行程は、近場の十津川温泉(大字平谷)。玉置神社の裾を巻くルートですが、比高850mの上りは、計画時にあきらめました。 |
宿は二食付きの十津川山水。広い露天風呂がありました。夕食のメインは鮎。一人客を受け入れる日本旅館はもっと増えないと、今後増々厳しくなるのでは。 |
21km。 |
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