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国会図書館から大嘗宮。見どころの始まりで団子状態になるが、その先に本当のビューポイントがあるので、団子をすり抜けるのが吉。ただし、乾通りの公開が始まる明日以降は行かないのが吉? |
国会図書館では、五新線(未成線)の痕跡を求めて 1/25000 「五條」「富貴」など。 |
5.8km 歩き |
2019/7 より試験公開中の「地理院地図 vector」をいじってみました。地理院の提供する様々な地図を組み合わせて、学校教育や防災で活用できるオジリナルな地図を作成するwebサービス。多機能な分、パラメータは複雑です。 現時点で提供されているのは、20万分1地勢図「宇都宮」「水戸」「甲府」「東京」「千葉」の範囲。まだまだ試行錯誤中ですが、事例紹介。 |
◆多摩ニュータウンと小野路:切土と高い盛土で造成した多摩市のニュータウンと自然地形の残る町田市小野路。ベース地図:標準 地形分類(人口地形) 不透明度 100% 地形分類(自然地形) 不透明度 75% |
◆鷺沼、たまプラーザ:自然地形が、ほとんど残っていない地域。鷺沼は切土中心、美しが丘は細かな谷戸を高い盛土で造成。陸軍射撃場だった国学院のグランドは、明治期の低湿地。
ベース地図:標準 明治期の低湿地 不透明度 100% 地形分類(人口地形) 不透明度 75% 市区郡界:強調 |
◆君津:市街地は全面盛土。畑沢の高台も谷を埋めた造成地。
ベース地図:標準 地形分類(人口地形) 不透明度 100% 地形分類(自然地形) 不透明度 75% |
◆西大井、大森周辺:尾根はそのままで、崖を緩やかに削って谷を埋めたのだろうか。
ベース地図:標準 地形分類(人口地形) 不透明度 100% 陰影起伏図 不透明度 40% |
◆川崎駅周辺:盛土だらけ。自然地形が残るのは旧東海道沿いと旧河道の自然堤防。
ベース地図:標準 地形分類(人口地形) 不透明度 100% |
◆新宿荒木町界隈:荒木町は盛土していない。地形的には、手付かずの谷頭。
ベース地図:白地図 地形分類(人口地形) 不透明度 100% 陰影起伏図 不透明度 25% 公称(町字名):強調 |
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多摩武蔵野スリバチ学会の「清瀬~柳瀬川の河岸段丘と清戸の小さな谷を歩く~」 に参加しました。集合は新秋津駅 12:30、総勢30名あまり。あいにくの雨ですが、初参加の人も多く見受けられました。 秋津神社から出発。秋津神社の下をくぐるのは、JRと西武の連絡線。元の貨車中継線で、現在は新車搬入等に使用されています。 |
1/25000 「所沢」大正14年(1925年)発行、「志木」大正8年(1919年)発行 武蔵野鉄道(現西武池袋線)が開通したのは1915年。清瀬駅の開設は1924年。柳瀬川北岸は埼玉県入間郡松井村、南岸は北多摩郡清瀬村。清瀬村役場は志木街道沿い。水田は柳瀬川の氾濫平野だけで、畑作を中心とした純農村地帯です。人家のない樹林帯を抜ける武蔵野鉄道は、貨物輸送を主体としていました。 |
1/25000 「所沢」昭和42年(1977年)発行、「志木」昭和42年(1977年)発行 東京外環貨物線として計画された国鉄武蔵野線が部分開業し、新秋津駅が開設されたのは1973年。1950年より所沢市となっている柳瀬川北岸の低地の宅地化が進んでいます。南岸の都営野塩団地は1963年に開設。清瀬駅周辺の宅地化も進んでいます。清瀬市の成立は1970年。市役所は市域の中央に近い中里5丁目に置かれています。 |
国土交通省「重ねるハザーとマップ」で見ると、台地と浅い谷が入り組んだ地域で、凹地・浅い谷に農地が残っていることがわかります。青線は、2018/11 の「野火止用水、膝折宿」(埼玉スリバチ学会)で歩いたルートです。 |
秋津駅は、東京都東村山市、 東京都清瀬市、埼玉県所沢市にまたがる位置にあります。1963年に開設された都営野塩団地は、老人いこいの家がある場所です。 |
清瀬中里緑地(柳瀬川回廊)を経て、中里氷川神社~中里の富士塚。台地の縁、昔から集落があったあたりです。 |
崖下は柳瀬川の氾濫域? かつての水田。 |
柳瀬川左岸の金山調節池。旧河道で都県境が現在の北岸に張り出している場所。ここで、河原の宅地を守ります。台風19号では、冠水しなかったようです。 |
畑地を歩き、日枝神社 水天宮。ここは山王鳥居(画像は公式サイトから)。境内社の御嶽神社の狛犬は、完全に戦う態勢。 |
最後は清瀬市郷土博物館。宅地化が急に進んだ昭和末期には、柳瀬川も汚かった。工業地帯でなくても、このありさま。昔はよかった・・わけではない。終日雨が降り続きましたが、清瀬駅で無事解散。 |
11.36km。 |
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川崎市宮前区の歴史地図が更新されました。今回から、スマホ版も加わったので、区境を中心に位置情報を確認してきました。 使用するアプリは Avenza Maps、紙地図を制作した武揚堂が提携しているカナダの会社です。マップ名は「宮前区歴史ガイドマップ」 。アプリ、マップとも無料です。 横浜市都筑区(旧都筑郡)、川崎市(旧橘樹郡)の境界の王禅寺道。 |
横浜市なのに、宮前区の地名、鷺沼を名乗る。珍しい事例。 |
崖下が横浜市域。 |
旧野川村なのに、第三京浜を境に川崎市高津区に残った東野川。宮前区は1982年に高津区から分区しました。 |
影向寺(ようごうじ)。国指定文化財(史跡)"橘樹官衙遺跡群" の一部。 |
ここは高津区。郡衙(ぐんが)+正倉跡を郡家(ぐうけ)と呼び、郡寺跡の影向寺と合わせて橘樹官衙遺跡群。 |
第三京浜をまたぐ影向寺台橋。ここが区境になっていたら、影向寺も高津区だった。 |
多摩区との境界。多摩区側は向ヶ丘遊園跡地。 |
麻生区との境界。正面で行われている工事は、リニア新幹線、大深度地下トンネルとなる都市部トンネルの立坑。開通後は非常口。駐輪場付きの駅になってくれれば助かるんだが。 |
横浜市青葉区との境界。 |
30kmくらい。 |
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新宿の土木コレクション2019 から、東京野良スリバチ学会r の「落合・目白崖線の凹凸を歩く」に参加しました。ドボコレは3年連続。 |
今年は、オリンピック関連の TOYUO 1964として環状七号線の建設のようすが特集されていました。 |
思い出横丁を抜け大久保から目白駅へ。「落合・目白崖線の凹凸を歩く」の参加者は40名弱。目白の台地を削る谷を上り下りし、水害地帯だった神田川、妙正寺川の合流点から高田馬場へのルートです。 |
明治初めの迅速測図では、台地上には畑、薬王院下に集落、水田の中をくねくね流れる仙川用水(妙正寺川)と神田上水(神田川)。 |
初見の箇所。新宿区立中村彝(つね)アトリエ記念館。 |
落合四小下。斜度も曲がりも出色。 |
氷川神社(下落合氷川神社)ここは、狛犬でなく狛獅子。獅子なので、「獅子の子落とし」 |
薬王院横のつづら折り。名前がない坂。 |
初見の箇所。新宿区立佐伯祐三アトリエ記念館。地図は「下落合事情明細図」(大正15年)。 |
この辺り、坂の密集地。 |
石橋湛山旧邸。現住家屋のようです。 |
見晴坂を下り、妙正寺川の河岸にある「染の里二葉苑」へ。神田川にかけて染物屋が多かった川辺りです。 |
東京都下水道局の "せせらぎの里公苑" を抜け、妙正寺川と神田川(オーバーフロー分)の合流点。この辺り、かつては氾濫域(遊水地)でしょう。 |
最後は宮田橋公園で解散。先達の方々、ありがとうございます。 |
14.87km (含む新宿~目白) |