2024年12月13日金曜日

武蔵国府、国分寺

「国分寺」「山谷」1970年 1/3000(東京都首都整備局)
文化財ボランティア講座、第6回は武蔵国府、国分寺の実地研修。まずは、府中本町駅横の武蔵国府跡。いつのまにか、こんなものが出来ています。
Mt. FUJI この角度だと律令時代と変わらない。
柱は実測、建屋はミニチュア。
軽いので幻燈機式と思いましたが電子式。音声も出ます。
公園内、4か所ごとにVRが見られます。前後左右。画像はスコープを接写したもの。
下を向くと足元。地面もバァーチャル。これがリアルなら汎用性が高まりますが、そこまでは行ってませんが、可能性を感じます。
武蔵国府跡。これも、いつのまにか出来ています。知りませんでした。
関東で木簡が出ないのは、文字を知らなかった(笑)のではなく、関東ローム層で酸化し土に戻っため。
押型、印型、へら型で作成郡を記した瓦。
午後は、国分尼寺跡から国分寺跡。宅地や畑地となっていたものを買い上げ、復元中。
国分寺金堂基壇外装。瓦が流用されている箇所がある。(復元)
七重塔跡。835年に消失、その後再建、10世紀前半までは存続した記録がある。高さは不明、基壇の大きさから最大7重塔。5重塔か?
塔跡は2か所見つかっているが、1か所は瓦が出ないので基礎工事だけかも。そこに3億円事件で奪われた現金輸送車が乗り捨てられていた。
武蔵国分寺跡資料館。おたかの道湧水園の中にあります。有料の庭園と思い入っていませんでした。
国分寺の瓦は、武蔵国内で作られて納品された。橘樹郡は「橘」の押型。
国分寺の正式名は「金光明四天王五穀之寺」、今の国分寺とは全く関係ない。
国分寺の国分寺崖線を上る。
伽藍地(寺院地)北辺の区画溝跡。国分寺の外周は塀でなく溝だった。

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