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KHS F20-R451

KHS F20-R451
2015年、台北で購入。そのまま阿里山、塔塔加へ。

KHS F20-T3

KHS F20-T3
2012年、台北で購入、そのまま中部横貫公路越え。

Bianchi Lupo

Bianchi Lupo
イタリア製と思いきや台湾製。基本パーツはSHIMANO TIAGRA。クロモリです。

KHS F20-T2

KHS F20-T2
2009年、台北で購入、そのまま一周。予想に反して、けっこう走れます。

mayfly 2

mayfly 2

MARIN Pine Mountain

MARIN Pine Mountain
1992年 米国製。SHIMANO DEORE DX は20年間ノートラブル。
 
 

横浜元町など

2019年1月13日日曜日

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 何度も行ってる横浜ですが元町の崖上は未走です。途中の大倉山とあわせ、未知の場所を拾っていくことにします。
 横浜市大倉山記念館。横浜市が購入する前は、東洋大学学長などを務めた大倉邦彦によって創設された大倉精神文化研究所。現在も大倉精神文化研究所が使用しています。
 プレ・ヘレニック様式と言う建築様式。内部も重々しい。ただし、大倉精神文化研究所FAQ はゆるい日本語。
 横浜中華街を抜け、元町商店街。通りの裏は壁。ここに「百段」がありました。
 国土交通省の「重ねるハザードマップ」では、山麓堆積地形(崖崩れや土石流などによって土砂が堆積)となっています。
 台地上の起伏も激しく、階段公道が頻出する自転車の難所です。
 横浜地方気象台。現地で知りましたが、左の新館は安藤忠雄設計。狭い丘の上に建っているので、引いた写真が撮れません。
 港の見える丘公園の見落とし物件、山手111番館。1926年(大正15年)建築。J.H.モーガン設計。
 山手資料館。1909年(明治42年)建築。
 エリスマン邸。1926年(大正15年)建築。アントニン・レーモンド設計。1990年に元町公園に移築。
 ベーリック・ホール。1930年(昭和5年)建築。J.H.モーガン設計。
 関東大震災で崩壊した「百段」上の浅間神社跡は元町百段公園になっています。
 階段の遺構は見つかりませんでした。
 山手公園の管理センターとなった山手68番館。1934年(昭和9年)建築。1986年に山手公園に移築。
 山手イタリア山庭園の「外交官の家」。ブラジル公使などを務めた旧内田定槌邸。1910年(明治43年)建築。ジェームズ・ガーディナー設計。渋谷区南平台からの移築。国の重文です。
 ブラフ18番館。大正末期築。1993年にイタリア山庭園に移築。
 カルロス・ゴーン・スタジアム。1998年開設。横浜国際総合競技場のネーミングライツを得て、日産スタジアム。
 56.5km

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 新宿までを1駅づつ歩く、多摩武蔵野スリバチ学会の 「中央線シリーズ」 の多分第一回に参加しました。12:30 のスタート時は、みぞれまじりの冷たい雨が降っていましたが参加者は50名あまり。荻窪の「明治天皇荻窪御小休所」からの街歩きです。
 先ずは暗渠の高野ヶ谷戸支流を抜け大田黒公園。紅葉ライトアップ時に来たことがありますが、昼間は初めて。
 今日はスリバチ感の少ないルートですが、国土交通省の 「重ねるハザードマップ」 に描くと元水田の浅い谷をたどったルートが読み取れます。
 角川書店の創設者である角川源義の旧邸宅から、昭和史の重要ポイント荻外荘(近衞文麿旧宅) 共に南向き斜面の効立地です。
 善福寺川と支流。善福寺川に掛かるのは、忍川(おしかわ)橋、忍川上橋。暗渠となった支流の合流点には河床の防御板。
 本隊を見失い、光明院はパスして荻窪白山神社で合流。中抜け(行方不明)自在なのも、スリバチ学会の魅力です(^_^)
 善福寺川と妙正寺川の微妙な分水界あたりの六叉路。昭和初めの1/10000地形図に初めて現れるので、関東大震災後の宅地開発で生まれた道でしょう。宅地の地図記号は「樹木に囲まれた住宅地」
 妙正寺川沿いの微高地には、本天沼稲荷神社、三角地帯の三峯神社、大弁財天、蓮華寺。
 中杉通りの旧道を南へ。かつては、細長い陸軍用地が気球隊営、通信学校から日大第二中・高へ続いていました。
 阿佐ヶ谷神明宮。広い敷地に能楽殿を持っています。本殿の全景が見られる稀な神社です。
 この辺り、歩く経路は暗渠。お決まりの銭湯もありました。
 阿佐ヶ谷駅近くの阿佐谷弁天社。並ぶのは学校より大きな相沢家。阿佐ケ谷駅開設(1922年)にも力を発揮したようです。ちなみに、荻窪駅は1891年開設。
 2003年に改装された阿佐ケ谷駅で解散。24名で反省会へ。
 歩き 11.7km。

港区立郷土歴史館

2019年1月8日火曜日

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 昨年秋(2018/11)にオープンした(東京都)港区立郷土歴史館。昭和13(1938)年に建てられた公衆衛生院を改修したものです。建物の設計は内田祥三(よしかず)。東大安田講堂などの設計者で「内田ゴシック」といわれるデザインの建物を数多く設計しました。
 今回は、展示物は見ずに建物だけを見てきました。

 耐震補強。どうやって施工したんだろうか。
 三田用水堰堤遺構に寄り道。100年前、台地は寺院、谷戸は水田でした。
 帰路、目黒本町の町内会掲示板。元は碑衾町碑文谷字月光町。町会名は今も「月光町会」 月光原小学校などにも残っています。
 43.0km

勝沼堰堤

2019年1月5日土曜日

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 青春18きっぷ5枚目。新宿のドボ博で、なんじゃこりゃ~と思った勝沼堰堤へ。
 9:06 山梨市駅着。駅前の「街の駅やまなし」でレンタサイクル(内装3段、100円)を借り勝沼方面へ向かいます。山梨市は旧東山梨郡。甲斐市、甲州市、中央市、南アルプス市と違って、由緒正しい市名です。
(左)1/50000 「塩山」1915年発行、(右)「御岳昇仙峡」1952年発行
 山梨市駅は1903年に日下部駅として開業。1962年より山梨市駅。東山梨郡役所(地図記号:楕円)は日下部村に置かれ、郡制廃止後に日下部警察署(地図記号:×)に転用。(右)の根津橋は根津嘉一郎の寄付によるもの。
 明治村へ移築された東山梨郡役所。国の重文。
 スイッチバックだった勝沼駅。旧駅は駅前甚六公園となり EF64-18電気機関車が設置されています。
 スイッチバックの終端部。ここに橋が架かっていました。
 旧大日影トンネル。遊歩道として開放していましたが現在は閉鎖。銘板を新しく「大日影トンネル遊歩道」とした段階で魅力は半減。
 柏尾古戦場跡。慶応4(1868)年3月5日、近藤勇率いる幕府軍 sv 甲府城に無血入城した板垣退助率いる官軍の戦い。総崩れとなった幕府軍は江戸に向けて敗走した。解説板が判官贔屓でないのは幕府軍が町や橋を焼いたためか?
 さて、内務省直轄砂防事業として1917年に竣工した勝沼堰堤。
 「蛇行した河道を石積み堰堤で遮断し、蛇行点に突出した岩盤の後部を掘削して河道とし、堰堤幅38.5m、岩盤上河道幅45.5m、堤高19.4mの巨大堰堤とした特異な構造を持っている」とのことですが、すっきりとは理解できません。特殊な砂防ダムということか。
 半分氷結。中央の穴は水通し。
 誰もいなかったので、ドローン。備忘:パンはゆっくり、上下はすばやく。
 帰路の寄り道は、甲斐国一之宮浅間神社。名神大社。一之宮にしては、小ぢんまりしている。
 甲斐奈神社。旧村社だが式内社。氏子のおばあちゃんの話では、神楽殿は現役で地元の保育園児が使うとのこと。
 隋神門の注連縄が豪快。
 笛吹川支流の日川、重川を渡り「街の駅やまなし」へ。特色のある民家の注連飾り。今年の初自転車はレンタサイクルとなりました。
 30.4km (レンタサイクル)

LABELS


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