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KHS F20-R451

KHS F20-R451
2015年、台北で購入。そのまま阿里山、塔塔加へ。

KHS F20-T3

KHS F20-T3
2012年、台北で購入、そのまま中部横貫公路越え。

Bianchi Lupo

Bianchi Lupo
イタリア製と思いきや台湾製。基本パーツはSHIMANO TIAGRA。クロモリです。

KHS F20-T2

KHS F20-T2
2009年、台北で購入、そのまま一周。予想に反して、けっこう走れます。

mayfly 2

mayfly 2

MARIN Pine Mountain

MARIN Pine Mountain
1992年 米国製。SHIMANO DEORE DX は20年間ノートラブル。
 
 
 
 

吉原、玉の井、鳩の街

2018年2月12日月曜日

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 スリバチ系 "暗渠つばき" さんの旗振りで、カフェー建築の残る、吉原、玉の井、鳩の街を歩きました。
 カフェーと言うと喫茶店のことと思いますが、風営法第二条一では「キヤバレー、待合、料理店、カフエーその他設備を設けて客の接待をして客に遊興又は飲食をさせる営業」と規定されています。
 風営法の直近の改正は2017年。風俗の流行を追い、無店舗型性風俗特殊営業、映像送信型性風俗特殊営業など、法律用語の苦心が伝わります。
 総勢十数名、日比谷線三ノ輪駅からスタート。
 先ず、江戸幕府公認だった吉原。明治初め(左)の地図では、「お歯黒溝(どぶ)」に囲まれた区画が日本堤に面して設けられています。明治末(右)では、「お歯黒溝」に橋が掛かり、吉原病院(1911年開設)、酉の市(とりのいち)で有名な鷲神社(おおとりじんじゃ)も神仏分離に伴い登場。
 純喫茶と混同しない、カフェーとして特徴ある外見と言うことですが、現在の感覚では古いモルタル住宅。意匠も凡庸に感じます。
 都バスで白鬚橋を渡り、玉の井。明治末(左)の地図では寺島村、湿田の中に街ができ始めています。東武線が通じていますが、この時期駅はありません。(短期間「白鬚駅」として開業した後休止。1924年に「玉ノ井駅」として復活、1987年に東向島駅に改称) 地図の枠外では鐘淵紡績工場が表れ、荒川放水路の工事が始まったころ。
 昭和初め(右)では、たまのゐ駅が登場。時代的には、永井荷風の「濹東綺譚」で描かれたころ(読んでませんが)。
 カフェー建築の本場でしたが、戦災後、多くは鳩の街に移転。私道らしき路地、行き止まりが多数ありました。東向島駅に改称して30年経ちますが、駅の案内板には "旧玉ノ井" の注記が。
 最後は、東武鉄道伊勢崎線鐘ヶ淵駅から曳舟駅まで2駅乗り、鳩の街へ。昭和30年代(左)では家屋密集地。昭和末(右)では水戸街道と交差した商店街となっています。
 私道らしき路地多し。スカイツリーも近いですが、賑わいとは無縁の住宅密集地です。
 歩いたルートを 1/25000「東京首部」(昭和7年発行)に載せたもの。街歩きの空白地帯を一気に埋めることができました。
 とうきょうスカイツリー駅(旧業平橋駅)と押上〈スカイツリー前〉駅を間違え、憮然として帰宅 (笑)
 16.7km (歩き+バス+鉄道)

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 東京野良スリバチ学会「石神井川いにしへの流路で化石谷なう」で、上中里周辺を歩くのに合わせ、上野不忍池から石神井川の旧流路説のある谷田川を歩きました。
 高低差的には石神井川が飛鳥山を開削して隅田川へ流れるのは解せない。・・、ただ、この手の地形はときどきあります。
 妙に寒々しい冬の不忍池。
 今は細い暗渠になっている谷田川。この流路が文京区と台東区の境界線となっています。
 左が文京区根津~千駄木、右が台東区池之端~谷中。蛇行する谷田川、藍染川とも呼ばれていました。
 いわゆる谷根千、外国人観光客も歩いています。
 団子坂下の枇杷橋跡、道灌山下と窪んだ川跡を進んでいくと新たな区境が迫ってきます。正面の三角地帯から左が文京区千駄木、奥のマンションは北区田端、路地(川跡)から右が荒川区西日暮里。
 山手線駒込駅東の鉄橋、元々は川に架かっていました。このあたり、区界は川から100mほど離れます。駒込は豊島区。
 駒込で昼食のあと、霜降銀座商店街から染井銀座商店街。豊島区駒込と北区西ケ原の境界も、入り組んだ路地です。霜降銀座の由来は谷田川に架かっていた霜降橋とのこと。平塚神社のあたりは、豊島郡衙跡か。
 台地を下り上中里駅。ここから、東京野良スリバチ学会がスタート。参加者は50名あまり。UR(都市再生機構)のシャレール西ヶ原には西ヶ原貝塚の一部が保存されています。
 霜降銀座商店街から染井銀座商店街を復習し、東京外大だった「西ヶ原みんなの公園」。東京外大の前は海軍火薬製造所でした。
 海軍境界石も幾つか残っています。ただし、右の横須賀海軍水道道(大正期)の方が彫りと彩色でまさる。
 飛鳥山公園では、自由時間を取って、各自博物館ほかへ。次いで、国の重文「旧醸造試験所第一工場」 1905年に明治政府が設立した研究施設。
 石神井川の元の蛇行部分は音無緑地公園として残されています。
 房総丘陵なら川廻しで水田にする地形。ただし、今の石神井川は3面コンクリートです。ここで、川廻しトラップ。本隊とはぐれ以降、単独行に。
 北区中央図書館は旧東京砲兵工廠銃包製造所の砲丸鉛身場(倉庫)を改修したもの。内部にはラチス柱や鉄骨トラスが残っています。GPSログを見ると、本隊とニアミスしていますが、微妙な差で気付かず。野良スリバチ学会の解散場所は王子駅ですが、埼京線十条駅から帰宅。
 19.5km(歩き) GPS計測がゆれているので、実際より長め。

市川法華経寺と東京駅夜景

2018年2月6日火曜日

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 西船橋から千葉街道を歩き、市川法華経寺へ。下総国府の置かれていた国府台に続く台地の裾に沿う昔からの道です。1/20000「船橋」明治36年測図、明治40年製版。
 途中、小栗原城跡と伝えられる小栗原稲荷神社に寄り道。ちょうど初午祭が行なわれており、甘酒と御供物をいただきました。
 法華経寺は日蓮宗大本山、日蓮の筆写した「立正安国論」(国宝)が保管されています。
 知人と会ったあと、CASIO Exilim EX-ZR4000 の夜景チェックに駅前広場の工事が終わった東京駅へ。 丸ビル 5F テラスから。"HS夜景" モード(HSはハイスピード連写を合成)
 JPタワー(旧東京中央郵便局)方面。
 KITTE屋上庭園から。
 超広角19mmでも、駅前広場からでは全景は無理でした。
 次いで夜の皇居。"HSナイトショット" モードだとまるで暗視カメラ。

 OLYMPUS TG-860 落下でシャッターの反応が不安定になったので、超広角 19mm のCASIO Exilim EX-ZR4000 を購入。建物を撮る場合が多いので広角重視です。後継のEX-ZR4100 が出ていますので型落ちになりますが、ZR4100との差異は美肌加工だけ? 
 ベンチマークに使っている日本民家園で、4代を比較しました。
<Sony DSC-TX5>
 広角側25mm、光学4倍ズーム、3m防水、1.5m耐衝撃、1020万画素
<FinePix XP70>
 広角側28mm、光学5倍ズーム、10m防水、1.5m耐衝撃、1640万画素
<OLYMPUS TG-860>
 広角側21mm、光学5倍ズーム、15m防水、2.1m耐衝撃、1600万画素。
<CASIO EX-ZR4000>
 広角側19mm、光学5倍ズーム、- 防水、- 耐衝撃、1210万画素。
 以下、CASIO EX-ZR4000。
 夜景や逆光での高速連写合成が役立ちそう。だだし、サイクリングで使うことが多いので落下が心配です。

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 境界協会の「船橋市飛地・まるっと丸山へ参る!境界と地形、ご覧あれ! with 千葉スリバチ学会」 に参加しました。集合は、東武野田線 馬込沢駅、参加者は60名弱、facebookでの告知からに加え、船橋ミライ会議繋がりの方もいます。
 今日のテーマは多彩で、 (1)谷戸(谷津)に延びる鎌ヶ谷市に切り離された船橋市の飛び地境界 (2)飛び地(丸山)の高低差 (3)習志野鉄道連隊が残した橋脚 (4)団地内の境界線 (5)河川争奪 等々。
 馬込沢を挟んで細長く延びる幅100mくらいが鎌ヶ谷市。
 高台は船橋市、足元は鎌ヶ谷市。
 船橋市に降った雨は両岸から鎌ヶ谷市へ/100%純粋階段
 純度75%くらいの純粋塀/人柄の見える化
 もう、どこを歩いているかわからなくなったころに陸軍境界標石が登場。
 次いで、鉄道連隊橋脚。津田沼にあった第二鉄道連隊が訓練のために敷設した津田沼・松戸間の遺構です。
 戦後、買い取った京成電鉄が新京成線とする際、短絡するため切り残した部分です。流路から取り残された三日月湖。
 土地を造成した大成建設が寄贈した境界石(奥)。舗道の線も寄贈か。
 河川争奪説のある北金杉川と南二和川。現地で見ても造成地が多く判断がつきません。高低差を色分けすると北金杉川の侵食力が強そうに思えますが、現在の分水界は移動していない気もします。
 歩いたルートを昭和30年前後の1/25000 にトレース。北東から南西に延びるのは木下(きおろし)街道。利根川河岸の印西市木下から市川市行徳に続く街道。利根川の水運と行徳から小名木川(運河)を結ぶ陸路で、一部の区間では東葛人車鉄道(明治42年~大正7年)が営業していました。
 まもなくゴールというところで、突然現れたニコニコ横丁飲食店街。不思議な建屋、前の道が市境で店は鎌ヶ谷市。短い飲食店街を抜けるとニコニコ湯。銭湯学派の人達が、ざわついていました(笑)
 定刻の17時に馬込沢駅で解散。大多数が反省会へ向かう中、反省しない2名と木下(きおろし)街道へ。船橋法典駅手前で単独となり、船橋送信所跡を経由して西船橋駅へ。
 何度か名称は変更されていますが、最終的には海軍無線電信所船橋送信所。真珠湾攻撃部隊に「ニイタカヤマノボレ1208」の電文を送信した施設です。記念碑に書かれた名称は船橋無線塔。実は、往路も歩いており、その際は中央の記念碑へ。周回道路の脇にあるのは昭和37年通水の船橋高架水槽。
 夜になった帰りは、3/4 ほど通信所の周回道路を歩きました。海軍境界標石は暗くて見つかりませんでした。
 歩き 22.8km

LABELS


mail: boso.cycle@gmail.com