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KHS F20-R451

KHS F20-R451
2015年、台北で購入。そのまま阿里山、塔塔加へ。

KHS F20-T3

KHS F20-T3
2012年、台北で購入、そのまま中部横貫公路越え。

Bianchi Lupo

Bianchi Lupo
イタリア製と思いきや台湾製。基本パーツはSHIMANO TIAGRA。クロモリです。

KHS F20-T2

KHS F20-T2
2009年、台北で購入、そのまま一周。予想に反して、けっこう走れます。

mayfly 2

mayfly 2

MARIN Pine Mountain

MARIN Pine Mountain
1992年 米国製。SHIMANO DEORE DX は20年間ノートラブル。
 
 
 
 

03 石打丸山 - 新潟

2017年6月11日日曜日

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 まさかの「ホテルわんわん倶楽部」ですが、ペット同伴無しフロア、設備も良く靴も乾かすことができました。朝の石打駅方面。
 石打丸山スキー場。昔の印象はプリンス系と違って純朴な雰囲気のあるスキー場で、何度か来ています。
 「北越雪譜」を書いた鈴木牧之の案内板があったので、塩沢で旧道へ。三国街道に面して生家がありました。
 電柱がないので、空が広い。
 田んぼの地下から新幹線が姿を表すところ。
 信濃川を妙見堰で渡ると六日市。
 長岡ではコスプレイベントを行っていましたが、街に元気はありません。町おこしで賞をとったという「おがわ」のレバニラライス。丁寧に下ごしらえしたと思えるレバニラ炒めは珍しい。
 ひたすら北上。萬代橋の先に予約しているホテル日航新潟が見えてきます。お部屋は、佐渡汽船側の24F。
 部屋にはタイムラプスをセットし、31Fの展望台へ。
 信濃川河口(佐渡汽船のりば)方面。
 新潟駅のある沼垂方面。
 信濃川上流方面。
 新潟(日本海)方面。夕日は、最後に失速。
 夜の萬代橋。
 萬代橋から県庁方面。
 132.04km、6h52m。

02 前橋 - 石打丸山

2017年6月10日土曜日

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 前橋市街で、群馬県庁昭和庁舎、明治期に迎賓館として建てられた臨江閣、バンクのあるグリーンドーム前橋をちら見して、利根川沿いに北上。
 沼田の河岸段丘(利根川側)。沼田駅のある下段と市役所のある上段は70mの段差。
 後閑駅からの谷川連峰。ここで、清水峠をくぐる鉄路と別れ、三国峠へ向かいます。
 1959年竣工の相俣ダム。三国街道(佐渡街道)の猿ヶ京関跡。温泉観光地ですが、地元の人向けの公衆浴場もあります。
 農作業をしていた爺さん(所謂、土地の古老)の話では、江戸期からの三国街道は杉林の奥。今も道跡ありました。杉は、婆さんが嫁に来た時に植えたもの。
 R17 旧道。苗場スキー場が出来た1960年代始め、スキーバスがこの道を通っていたとのこと。今は、橋が落ちて、この先は進めないらしい。
 現国道へ戻り登坂。カーブに番号が降られていました。全部で55。傾斜は4%強なので、淡々と上れる坂です。
 戊辰戦争では、官軍の越後侵入を阻止すべく会津藩兵40名、郷士兵100名が、高崎、前橋諸藩の1200名と戦いました。墓は地元永井住民が埋葬した白虎隊 町野久吉少年のもの。(墓が建てられたのは昭和35年)
 永井宿。中央が三国街道。
 1959年開通の三国隧道、全長1218m。標高は1083m。路面も荒れた危険トンネル。ここに備えて蛍光ベストを持ってきました。
 トンネルを抜けると天気予報どおり小雨。苗場で足湯に浸かっていることは余裕がありましたが、走り出すと強い雨。温まった体も一気に冷えて、震えながらの下降。更に、1962年開通の二居トンネル、全長1295m。路面の悪さ、暗さとも極悪です。
 魚沼市まで行きたいと思っていましたが、ずぶ濡れになり湯沢から宿探しモードに。石打丸山で「ホテルわんわん倶楽部」に大幅想定外のチェックインただ、雨があがれば眺望は良さそうです。
 103.76km、7h07m。

01 吉見百穴、前橋刑務所

2017年6月9日金曜日

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 日本海側を東北へ向かいます。折りたたみ車ですが、折りたたまずに走ろうという事で、新潟へ向けて前橋へ。2週間程度の旅となる予定で、2月に台中で頂いた Topeakのパニアバッグで走ります。
 川越までは、断片的に一度は走っている道。東松山で吉見百穴へ寄り道してみます。百穴のそばにある、懸造りの岩室観音堂。
 吉見百穴は、古墳時代の末期(6世紀末~7世紀末)に造られた横穴墓。入場料300円。発掘の経緯をエンドレスに流されていたのには閉口しました。完全に昭和のまま。
 戦争末期、中島飛行機武蔵野工場の移転先として、地下は碁盤の目に開削されました。
 百穴のある傾斜地の麓、市野川左岸に東松山市域が張り出しているのは、地下工場建設時に市野川を直線化したことに寄ります。
 次いで、経路にある群馬県立近代美術館。1974年竣工、磯崎新の設計。
 前橋到着。市街地の中にある前橋刑務所。網走と並び監獄イメージに合致するため、ロケに使われるとか。
 122.89km、6h41m。

旧陸軍登戸研究所と生田緑地

2017年6月3日土曜日

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 神奈川スリバチ学会主催の 「旧陸軍登戸研究所と生田緑地」 に参加しました。生田駅集合~登戸駅解散なので、登戸駅の駐輪場まで走り、小田急で2駅乗り生田駅へ。
 少し早く着いたので、川崎市多摩区役所生田出張所。ここ生田村時代の村役場があった場所でしょう。日露戦争の記念碑が並んでいました。
 12:20 生田駅南口から出発。この辺の小田急線は狭い谷戸に伸びています。駅を出て階段を上ると五反田神社。五反田は昔の字名です。
 上り下りを繰り返し、明治大学生田キャンパスへ。ここには農学部と理工学部があります。
 登戸研究所資料館は2013年に一度来てます が、今回は山田館長の解説付き。充実していました。
 空からも目立つ施設ですが、何故か空襲は受けず。戦犯に問われた関係者は皆無。米軍に雇用された研究者は多数いるとのこと。
 昭和28年発行の1/25000「溝口」 明治大学が購入したころ。登戸研究所の建屋は、そのまま残っています。南端の細長い建物は元の印刷工場。
 中華民国紙幣の信頼性を揺るがす目的で作成した偽札は、信頼性を揺るがすことなく使えたので、物資の購入に使ったそうです。戦時謀略と言うより経済犯かも。
 終戦間際に移転した長野で、最近になって偶然見つかった棒状の放火用器具など。関係者による証言は、戦後40年経った1985年ごろまで、全く行なわれませんでした。元所員間の交流もなかったようです。
 次いでキャンパス内の案内を行っていただきました。
 通称弾薬庫(実際の用途は不明)。2011年まで残っていた印刷工場跡。日本陸軍の星章(五芒星)付きの消火栓。花壇となった防火水槽。
 動物慰霊碑の背面には「昭和一八年三月 陸軍登戸研究所建立」の文字が刻まれています。
 生田緑地から登戸へ、上り下りや暗渠を経て、反省会はトレインビューのお店で。5種類の小田急ロマンスカーが通ったそうです。
 歩き 7.8km、自転車 11.7km。

伊豆大島(後半)

2017年5月29日月曜日

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 右回りで周回道路を走ります。波浮までは、だいたい山の中です。
 時々、海や溶岩流跡。筆島は、かつてあった筆島火山のマグマ通りで固まった岩石。「アンコ椿は恋の花」の波浮港、元は火口湖。
 間伏地層切断面。周回道路沿いに、800m 続いています。
 さて、時間がない。島での唯一の食事は野菜炒め定食。海の幸は、次回のお楽しみとして、登坂開始。2013年の土砂災害から昨年(2016年)復旧した御神火(ごじんか)スカイラインを上ります。
 外輪山の縁にあたる御神火の、山頂口展望台。火口間近まで行けますが、遊歩道は自転車乗車禁止。歩くと往復で2時間以上かかるので断念。
 外輪山の稜線を走ると、1986年B火口列を望む新火口展望台。
 都道207号を下り、帰りの便が着く元町港へ。大型客船は、今朝着いた岡田港または元町港に寄港。風向きによって不定です。埠頭まで走って行けたので、輪行袋をかかえてのアプローチは、30mくらいで済みました。
 14:30 出帆。
 大井ふ頭のコンテナターミナル。
 東京タワーが見えると、まもなく竹芝桟橋。定刻の19時に到着。竹芝からは地図を見ずに走ったため、幾分大廻り。今回は、買い物車として余生を送っているフラットペダルの F20-T2 で走りました。
 91.34km、6h35m。 内、大島島内は 63.77km、4h40m。

LABELS


mail: boso.cycle@gmail.com