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KHS F20-R451

KHS F20-R451
2015年、台北で購入。そのまま阿里山、塔塔加へ。

KHS F20-T3

KHS F20-T3
2012年、台北で購入、そのまま中部横貫公路越え。

Bianchi Lupo

Bianchi Lupo
イタリア製と思いきや台湾製。基本パーツはSHIMANO TIAGRA。クロモリです。

KHS F20-T2

KHS F20-T2
2009年、台北で購入、そのまま一周。予想に反して、けっこう走れます。

mayfly 2

mayfly 2

MARIN Pine Mountain

MARIN Pine Mountain
1992年 米国製。SHIMANO DEORE DX は20年間ノートラブル。
 
 

記憶に残る土木10撰

2019年1月19日土曜日

 1/14に聴講した法政大学デザイン工学部建築学科の東京発掘プロジェクトの研究発表は建築より土木寄りでした。建築重視を悔い改め、記憶に残る土木画像を10件選んでみました。
 ◆宇津谷隧道 <2010/4/3>
 旧東海道の蔦の細道。明治から平成まで4本のトンネルが並ぶ。1876年(明治9年)開通の「明治トンネル」も現役ですが、1930年(昭和5年)開通の旧国道1号線(静岡県道208号線)は優美な断面を持っています。
 ◆豊稔池堰堤 <2010/7/27>
 香川県観音寺市。1930年(昭和5年)に完成した豊稔池堰堤は石積みの多連式アーチダム。堤高30mの小ぶりのダムですが、堰堤直下に行けるので間近に見ることができます。堰堤脇を上ると天端ギリギリまでの満水だったのでびっくり。
 ◆大分県道11号線(由布岳山麓) <2012/10/3>
 大分空港へ航空機輪行。杵築から別府を経て、盆地の由布院へ快適ダウンヒル。この先、由布院から阿蘇までが "やまなみハイウェイ" と呼ばれていますが、「道」としてはここが最高。
 ◆丸亀城石垣 <2016/6/20>
 うどん県。「谷川米穀店」(うどん屋です)の営業時間にあわせたため目的地の琴平に早く着きすぎ、予定外の丸亀城へ。総高66mの石垣は高度感抜群でした。
 ◆筑後川橋梁 <2016/10/17>
 久留米から佐賀経由、国鉄佐賀線跡の自転車道を走ると秀美な筑後川橋梁。あいにく閉鎖日(月曜日)だったので走れず。要再訪か。
 ◆大河津分水 <2010/9/12>
 中越震災復興プランニングエイドの、法末 「へんなかフェ」に泊まった後、小千谷駅から新潟駅まで輪行。弥彦山の海側を走り大河津分水へ。山を開削した分水路を遡上すると、2000年に通水した二代目洗堰(可動堰)。ここは地形を変える土木工事。初代洗堰、洗掘と戦う第二床固も記憶に残ります。
 ◆吉見百穴地下工場跡 <2017/6/9>
 日本海サイクリングの初日の寄り道。古墳時代につくられた埼玉県の吉見百穴は昭和の観光地ですが、その地下は戦争末期に中島飛行機の移転先として碁盤の目に開削されました。
 ◆水戸市水道低区配水塔 <2017/6/24>
苫小牧からフェリーで大洗へ。自転車乗りは5人。米国人は土浦、カタルーニャ人カップルは霞ヶ浦、若い日本人は葛飾、私はいちばん近い水戸へ。建屋ですが土木学会選奨土木遺産なので、水回りは土木の範疇のようです。
 ◆角島大橋 <2018/4/20>
 日本を代表する観光スポットとなった山口県の角島大橋。2000年に開通、総工費149億円。やはり、選んでしまった。
 ◆大谷川砂防堰堤 <2018/7/30>
 木曽三川の改修で有名なオランダ人土木技師ヨハネス・デ・レーケは明治6年に来日、帰国まで30年に渡り、砂防や治水の近代化に尽くしました。うだつの町、徳島の美馬市脇町に残る小作品。
 最後まで迷って選外となったのは、神戸の布引五本松ダムと高知の魚梁瀬森林鉄道、法恩寺跨線橋。

古道から見る歴史講座/持田谷

2019年1月17日木曜日

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 川崎市宮前区主催の古道から見る歴史講座。「ホントに歩く大山街道」の著者、中平龍二郎さんが講師の8回講座に参加しています。5回目は初の野外実習で、宮前区役所に近い持田谷(もちだやと)を歩きました。
 (A) 宮前区役所の横にある土橋第一公園。土地造成以前の高さを感じることができます。
 (B) 持田谷の谷頭部へ上る。自然地形は残っていません。
 (C) 持田谷の北側斜面。宮崎第四公園。
 (C) 持田谷の南側斜面の下を流れる川。
 (D) 宅地造成の空白部。原地形が残っていると思われる一角。
 (E) 大山街道。消失部分。
 跡形もなく、マンションの敷地になっています。
 1/20000 「溝口」明治39年測図、42年製版。持田谷には細長く水田が続いています。橘樹郡宮前(みやざき)村の村役場、現在は馬絹交差点の宮前(みやまえ)地区会館。
 歩き 5.8 km (解散後の宮前区役所までを含む)

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 「足元に埋もれているお宝を発掘し、東京の未来像を妄想しよう!」をコンセプトに、東京スリバチ学会が「江戸東京研究センター」と進めてきた『東京発掘プロジェクト』
 法政大学市ヶ谷田町校舎5階マルチメディアホールでの第1回研究発表に顔を出しました。発表するのは法政大学デザイン工学部建築学科の院生。昔の工学部はデザイン工学部、理工学部、生命科学部になっています。
 会場は市ヶ谷。外堀端の南北線市ヶ谷駅構内には江戸歴史散歩コーナーがあります。
 発表は8グループ。「目黒千代が池復活計画」 「霊岸島・新川の水景観再生」など。発表後は高村雅彦教授、東京スリバチ学会皆川さん達と缶ビールで講評?
 帰路は、あまり意味もなく青山一丁目駅まで夜散歩。住居表示法未実施の左門町、須賀町を抜け夜間も工事中の国立競技場。
 歩き 5.0 km

横浜元町など

2019年1月13日日曜日

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 何度も行ってる横浜ですが元町の崖上は未走です。途中の大倉山とあわせ、未知の場所を拾っていくことにします。
 横浜市大倉山記念館。横浜市が購入する前は、東洋大学学長などを務めた大倉邦彦によって創設された大倉精神文化研究所。現在も大倉精神文化研究所が使用しています。
 プレ・ヘレニック様式と言う建築様式。内部も重々しい。ただし、大倉精神文化研究所FAQ はゆるい日本語。
 横浜中華街を抜け、元町商店街。通りの裏は壁。ここに「百段」がありました。
 国土交通省の「重ねるハザードマップ」では、山麓堆積地形(崖崩れや土石流などによって土砂が堆積)となっています。
 台地上の起伏も激しく、階段公道が頻出する自転車の難所です。
 横浜地方気象台。現地で知りましたが、左の新館は安藤忠雄設計。狭い丘の上に建っているので、引いた写真が撮れません。
 港の見える丘公園の見落とし物件、山手111番館。1926年(大正15年)建築。J.H.モーガン設計。
 山手資料館。1909年(明治42年)建築。
 エリスマン邸。1926年(大正15年)建築。アントニン・レーモンド設計。1990年に元町公園に移築。
 ベーリック・ホール。1930年(昭和5年)建築。J.H.モーガン設計。
 関東大震災で崩壊した「百段」上の浅間神社跡は元町百段公園になっています。
 階段の遺構は見つかりませんでした。
 山手公園の管理センターとなった山手68番館。1934年(昭和9年)建築。1986年に山手公園に移築。
 山手イタリア山庭園の「外交官の家」。ブラジル公使などを務めた旧内田定槌邸。1910年(明治43年)建築。ジェームズ・ガーディナー設計。渋谷区南平台からの移築。国の重文です。
 ブラフ18番館。大正末期築。1993年にイタリア山庭園に移築。
 カルロス・ゴーン・スタジアム。1998年開設。横浜国際総合競技場のネーミングライツを得て、日産スタジアム。
 56.5km

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 新宿までを1駅づつ歩く、多摩武蔵野スリバチ学会の 「中央線シリーズ」 の多分第一回に参加しました。12:30 のスタート時は、みぞれまじりの冷たい雨が降っていましたが参加者は50名あまり。荻窪の「明治天皇荻窪御小休所」からの街歩きです。
 先ずは暗渠の善福寺川高野ヶ谷戸支流を抜け大田黒公園。紅葉ライトアップ時に来たことがありますが、昼間は初めて。
 今日はスリバチ感の少ないルートですが、国土交通省の 「重ねるハザードマップ」 に描くと元水田の浅い谷をたどったルートが読み取れます。
 角川書店の創設者である角川源義の旧邸宅から、昭和史の重要ポイント荻外荘(近衞文麿旧宅) 共に南向き斜面の効立地です。
 善福寺川と支流。善福寺川に掛かるのは、忍川(おしかわ)橋、忍川上橋。暗渠となった支流の合流点には河床の防御板。
 本隊を見失い、光明院はパスして荻窪白山神社で合流。中抜け(行方不明)自在なのも、スリバチ学会の魅力です(^_^)
 善福寺川と妙正寺川の微妙な分水界あたりの六叉路。昭和初めの1/10000地形図に初めて現れるので、関東大震災後の宅地開発で生まれた道でしょう。宅地の地図記号は「樹木に囲まれた住宅地」
 妙正寺川沿いの微高地には、本天沼稲荷神社、三角地帯の三峯神社、大弁財天、蓮華寺。
 中杉通りの旧道を南へ。かつては、細長い陸軍用地が気球隊営、通信学校から日大第二中・高へ続いていました。
 阿佐ヶ谷神明宮。広い敷地に能楽殿を持っています。本殿の全景が見られる稀な神社です。
 この辺り、歩く経路は暗渠。お決まりの銭湯もありました。
 阿佐ヶ谷駅近くの阿佐谷弁天社。並ぶのは学校より大きな相沢家。阿佐ケ谷駅開設(1922年)にも力を発揮したようです。ちなみに、荻窪駅は1891年開設。
 2003年に改装された阿佐ケ谷駅で解散。24名で反省会へ。
 歩き 11.7km。

LABELS


mail: boso.cycle@gmail.com