| 尻手黒川道路から一山越えて麻生区の細山神明社と高石神社。 |
| 麻生区高石。かつては幅40mほどの細い谷戸田。今は両斜面にマンション群。 |
| 斜面マンション。鹿島建設の施工で1986年竣工。 |
| 細山神明社。尾根の突端にありますが、山側に参道があり拝殿へ下って行く珍し配置。 |
| 同じような配置の谷保天満宮は、甲州街道の付け替えによるものですが、ここは一夜にして向きが変わったらしい。新編武蔵風土記稿に「逆大門」とある。 |
| 高石から五反田川を挟んだ細山の香林寺。 |
| 高石神社。こちらは山のてっぺんにあります。 |
| 昭和九年会という芸能人親睦団体があったのはわかりましたが、高石神社とのかかわりは不明です。 |
| 18km |
| 行きの途中、赤坂で坂の復習。 |
| 「1964 高度成長と東京オリンピックの時代」 "緊急事態宣言" 後は休館のもよう。 |
| ワシントンハイツ、返還交渉の資料。 |
| これは常設展。以前は展示してなかった。 |
| 日比谷に回り、駐輪。下段は満車でした。位置的には、ここが三信ビル跡地。 |
| 東京ミッドタウン日比谷は、2018年開業。旧日比谷三井ビル、三信ビル跡地に建設されました。 |
| かつてのスカイラインが帝国劇場ライン。 |
| パークビューガーデンの開放は、11時から。 |
| 目黒不動前の麺屋 薫風でつけ麺・・の予定でしたが、居抜きで、纏(新橋まとい)とやらに。そこそこ賑わっていたので、つけ麺。美味いが、これだけのために目黒へ来るほどではありません。帰宅度調べると、薫風は年末に店舗賃貸契約満了。今後は、未定とのこと。 |
| 干渉色標高図の弱点(ルートを重ねると見づらい)を補う、二重描写(白:10px、赤:3px) |
| 58km |
| 「地図で辿る思い出のふるさと ~柿生、岡上の歩み~」(2008) 川崎市麻生区の飛び地、岡上(おかがみ)と、飛び地を選ぶほど関係深かった柿生のものがたり。発行者は柿生・岡上百年会。良書。 |
| 往路の王禅寺 日吉神社。比高23m。 |
| 琴平神社本殿への参道。比高20m。 |
| 琴平神社本殿は2011年に再建。かつて、渡辺崋山の筆と伝えられている六十三枚の天井板絵があった。焼失後復元。 |
| 琴平神社本殿から。谷戸を隔てて神奈川県立麻生養護学校。 |
| 籠口ノ池(ろぐちのいけ) 雨水の溜池。昭和初めには、養鯉組合があった。 |
| 真福寺と麻生駅を隔てる下駄切り坂。1951年、川崎市唯一のトンネルが開通。現在は掘り下げて切り通し。 |
| トンネルがあったころの残照は、ゴミ集積所名に。 |
| 岡上神社。 |
| これは、神様? 農耕神につながる土地の神様だと思う。 |
| 岡上の農地。奥は東京都町田市にある小田急線鶴川駅。 |
| 飛び地の岡上地区は農業を選んだ。地図記号は、田、果樹園、畑。建物類似の構築物(ここではビニールハウス) |
| 帰路。鶴見川と真光寺川の合流点。水遊びできそう。 |
| 22km |
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鶴川街道、芝溝街道で相模原市立博物館へ。 途中の町田市忠生の忠魂碑集積地。何度も側を走っているが知りませんでした。町田市設。旧忠生村の由来は「新田義貞の身代わりとして湊川の戦いで討ち死にした小山田高家の墓所」があるから。 |
| 新田稲荷神社。文政元年(1818年)創建。台地上であるために地下水位が低く原野、草刈り場だったのを江戸後期に開発。ただし、開墾後も水田でなく畑地。 |
| 相模原市立博物館、到着。お向かいは宇宙科学研究所。 |
| 畑作、養鶏、養蚕。 |
| 戦前は、陸軍施設が集中していた。 |
| ジオラマが充実。入場無料。 |
| 博物館も、向かいの宇宙研も元は米軍淵野辺キャンプ。その前は、陸軍機甲整備学校。 |
| 帰路は、長い林間コース。一時は桑畑だった台地。 |
| 地図を見ずに適当に走っていると縄文時代の住居に遭遇。名前が本町田遺跡だったので、町田にいることがわかる。 |
| 44.41km、2h41m |































































