| 国立競技場(WEリーグ)から裏道を渋谷へ歩き納め。国立競技場、入るのは2回目。 |
| 神宮第二球場は解体され、国立競技場2Fから神宮球場が直視できました。左手の建国記念文庫がある森は、まだ木々が残っていました。 |
| 隈さん物件。見た目、劣化は感じません。 |
| WEリーグ、クラシエカップ決勝。INAC神戸 vs サンフレッチェ広島。パスが通らない、ファールが多い。人気が出ないのも納得。澤、宮間、川澄、岩清水、大儀見がいた頃は別格だったのか。 |
| 知っている選手は、共に控えの福本(広島)、高瀬(神戸)。高瀬は後半途中から投入。 |
| 裏道を渋谷へ。 |
| 渋谷川屈曲部の台地に立つ穏田神社。明治時代の地図では第六天社とある。 |
| 宮益坂の御嶽神社。 |
| 明治天皇が駒場野練兵場へ行く際の休憩所。いわゆる「聖蹟」 |
| 「三田」1/10000(1958年発行) |
| ゴールは桂花で太肉麺納め。 |
| 4.3km |
| 清澄白河駅 IN/OUT で、葛西臨海公園~清澄庭園。圧迫骨折後半年ぶりの輪行です。自転車は秋口から乗れましたが、駅構内などで自転車を担ぐのが怖くて自重していました。 |
| 略称はMOTなの? 東京都近代美術館。 |
| 清砂大橋で荒川渡河。 |
| 欧米のサイクリストが不思議がる善意の? 障害物。 |
| 京葉線 荒川放水路橋梁。川の名前は荒川放水路→荒川になっています。 |
| 葛西臨海公園到着。初めて来ました。 |
| 展望広場レストハウス。12月16日に亡くなった谷口吉生の設計。 |
| 展望広場レストハウス(クリスタルビュー)内部。温かい。 |
| 旧江戸川から左近川へ |
| 帰路は葛西橋で荒川渡河。 |
| 亀久橋。1929年架設の震災復興橋梁。 |
| 清澄庭園。元は岩崎さんの別邸。 |
| 葛西臨海公園あたり。明治初め。 |
| 葛西臨海公園あたり。196X年。 |
| 葛西臨海公園あたり。現在。 |
| 31km |
| 眉山山頂。以前はかんぽの宿。紆余曲折を経て民間の海月グループが取得し、眉山海月。ここに2泊しました。 |
| ロープウェイに乗らず歩きで下山。 |
| 西新町。アーケードを取り壊すもよう。 |
| いちばんの繁華街だった東新町。今はシャッター街。 |
| つけ麺の六根が臨時休業で、しかたなく徳島ラーメン麺王。ただし、うまい。 |
| 阿波の青石(緑泥片岩) |
| 新町川、JR四国牟岐線。 |
| 三河家住宅。国の重文。昔は産婦人科医院でした。 |
| 更地になった徳島東警察署跡。三河家住宅が見えるようになりました。 |
| 徳島城御殿。再建、市の博物館。 |
| 帰路の登りはロープウェイ。一緒だった台湾人ソロ女性は山頂滞在15分、最終便で下降。日本は5回目、明日は鳴門の美術館とのこと。日本語も英語もだめっぽいですが、精力的に一人旅しています。 |


















































