かるく越境 |
布多天神社は格式の高い式内社 |
「春の奉納ピアノコンサート」能登半島地震で被害を受けた神社の復興支援活動です。 |
神楽殿。ベヒシュタインはドイツのピアノメーカーとのこと。 |
奏者は桐朋学園の学生さん。巫女姿の音響もおそらく桐朋の学生。 |
神社に隣接して桐朋学園大学音楽学部 調布キャンパス |
insta360動画(0:48) 27.5km |
北総鉄道の北国分(きたこくぶん)駅。江戸川を渡り下総台地に入るとトンネル。駅部分は掘割と思われます。 |
初めて下車した北国分駅。総勢30名あまりでゆるゆる出発。 |
新緑が映える堀之内緑地。 |
堀之内貝塚は縄文後期から晩期。地表に見えてるこれらの時代は・・、昭和中期かしら? |
じゅん菜池緑地 |
国府台天満宮 |
なんかいる。「辻切り」とは、悪霊や悪疫が集落に入るのを防ぐため、藁で作った大蛇を村の四隅に置く民族行事。 |
江戸川越しの東京スカイツリー。この後、予期せぬ本降りに。 |
なんかいる。 |
雨もあがり、弘法寺(ぐほうじ)仁王門 |
迫力ある仁王様。「阿」 |
「吽」 |
大門通り(弘法寺参道)を抜けヤマザキプラザ市川。市川は山崎製パン発祥の地とのこと。 |
市川駅前で解散の後、市川市のアイ・リンクタウン展望施設へ。江戸川下流方面 |
北西方面。右に総武線江戸川橋梁、左に東京スカイツリー。 |
北北西。江戸川屈曲部。 |
国府台、スタート地点の北国分駅。 |
明治後期。1/20000地形図。 |
11.7km |
明治半ばの地形図+地形分類(自然地形)+今日のルート。「横浜鉄道」の建設予定線が描かれています。 |
久しぶりの開催となる神奈川スリバチ学会。12:30 東横線菊名駅集合。定員の25名でスタート。鶴見川の氾濫域の水田を避け、狭隘な谷間に作られた菊名駅。画像中央のコンクリート張り部分が、東横線と横浜線の接続線の痕跡。 |
横浜市三千分一地形図画像「篠原」「東寺尾」(昭和38年10月修正)を切り貼りしたもの。東横線と横浜線の接続線が見えます。 |
横浜線寺尾隧道を上から。足元が開通当時からの単線トンネル。 |
謎の空間。何かの跡地と思いきや、 |
首都高神奈川7号横浜北線の馬場IC |
2007年航空写真だと、謎の空間を含み、全体が森 |
横浜市みその公園「横溝屋敷」。獅子ヶ谷村で名主を務めた横溝氏の屋敷 |
「横溝屋敷」にあったジオラマ。 |
明治初めの迅速測図を重ね、同じ角度にしたもの。 |
「横溝屋敷」にあったジオラマの今。 |
擬木のひみつ |
師岡熊野神社。権現造の拝殿は明治17年(1884年)建造。 |
大倉山記念館(旧大倉精神文化研究所本館) |
大倉山を下り、東横線大倉山駅へ。平坦地はほとんどありませんでしたが、神奈川スリバチにしては、楽なルートでした。16:30 到着。 |
8.8km |
横浜ハンマーヘッド(新港ふ頭客船ターミナル)、1914年完成の荷役専用クレーン。 |
赤レンガ倉庫 |
大さん橋停泊中の パシフィック・ワールド(77,441t、261m) |
運航会社は、ピースボートクルーズとな。 |
明治初め。吉田新田の埋め立ては4代将軍徳川家綱のころ。 |
正面の高架橋は首都高神奈川3号狩場線。左の長い階段は清水ケ丘公園へ続くらしい。 |
大原隧道。1928年竣工の水道幹線路併用の人道トンネル。全長254m。 |
自転車は押し。 |
大原隧道北口。 |
こちらは、東隧道。1930年竣工の水道幹線路併用トンネル。狭いけど車道。全長168m。 |
相鉄西谷駅あたりの帷子川。 |
帷子川分水路トンネル取水口。 |
横浜駅西口付近の派新田間川に接続し、横浜港へ流す洪水時のバイパス。総事業費1100億円、1997年通水。 |
明治初め |
明治初め。蛇行する帷子川。 |
52.3km |