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KHS F20-R451

KHS F20-R451
2015年、台北で購入。そのまま阿里山、塔塔加へ。

KHS F20-T3

KHS F20-T3
2012年、台北で購入、そのまま中部横貫公路越え。

Bianchi Lupo

Bianchi Lupo
イタリア製と思いきや台湾製。基本パーツはSHIMANO TIAGRA。クロモリです。

KHS F20-T2

KHS F20-T2
2009年、台北で購入、そのまま一周。予想に反して、けっこう走れます。

mayfly 2

mayfly 2

MARIN Pine Mountain

MARIN Pine Mountain
1992年 米国製。SHIMANO DEORE DX は20年間ノートラブル。
 
 
 
 

台湾 2017 泊まったところ

2017年3月22日水曜日

<2/8,9> 松山(台北)
 初の Airbnb。いわゆる民泊です。松山機場近くの集合住宅の一階で、シャワー、トイレが2部屋で共用。妙齢の女性オーナーは、意識高い系。お隣は高雄から来た若い女性で、長期滞在しているようでした。オーナー共々英語がとても上手かったです。2泊で、6060円。コーヒー自由に飲めました。
<2/10> 苗栗
 お祭り(元宵節?)の日。一軒目の駅前のホテルは、空きが一部屋で眺望が悪かったのでパス。高そうなので一旦見送った高層ホテルが、思ったほど高くなかったので、部屋を見て決定。14階、バスタブ付き。朝食はバイキングで、6282円。
<2/11> 高美湿地
 東亜のウユニ塩湖として売り出し中の高美湿地。宿が少ないのはわかっていたので、内陸の市街地(清水)でホテルを探しましたが、まったく見つからず。湿地近くで看板を見て民宿へ行きましたが、シャワー、トイレ共用で、湿地も見えないのに 7000円と強気。結局、海岸からは4km離れた宿へ。Booking.com ではドミトリの情報でしたが、ツインルームもありました。朝食付き、3850円。
<2/12,13> 台中
 旧模範街のホテル。Booking.com で予約しました。70%引きなので、かえって不安でしたが、改装工事によるものでした。内装はピカピカ。2泊で、7471円。
<2/14> 埔里
 3軒目で夕日の見える部屋を選びました。WIFIはフロントだけと言われましたが、宿のおにいちゃんが怪しいルーターを持ってきて、低速ながら部屋でも繋がりました。夕日は、雲の影響でいまいち。3850円。
<2/15> 廬山温泉
 急に温泉に泊まりたくなり、当日朝に Booking.com で予約しました。完全に昭和の温泉地。寂れた感じがありましたが、これは、2008年の水害で大きな被害を受け、温泉街まるごとの廃止(移転)が決まっているため。バイキングの朝食付きで、4709円。
<2/16> 合歓山
 合歓山の松雪楼(3130m)。登坂でリソースを使い果たしていたので、泊まれなかったら大事でした。合歓尖山正面のバルコニー付き。全館暖房、2食付き、9818円。今回の最高値ですが、雲海の下から昇る朝日は、素晴らしかった。また泊りたい。
<2/17> 梨山
 梨山賓館のある台湾を代表する高原リゾート。ですが、泊まったのは旅客中心(ビジターセンター)で紹介された、驪山姥姆宮と言う道教寺院。寒かったです。今回、唯一のWIFI無し。1100円(300元の寄進)。
<2/18> 留茂安(宜蘭県大同郷)
 荒々しい蘭陽渓の川べりの一軒宿。WIFIが無かったが、タブレットを車に置いて部屋の前に停め、デザリングしてくれました。2食付き、6240円。
<2/19> 礁渓
 温泉街から少し離れた眺望の良い汽車旅館。モーテルは設備が良いので、わざわざ選びました。温泉です。朝食(仕出し物)は2人分(笑) 5645円。
<2/20> 新店(台北)
 台北市街の南端にあたる新店の商務旅館(ビジネスホテル)。探せば、もっと良いホテルもありそうですが、気力がありませんでした。広いが、くたびれている。バイキングの朝食付きで、7800円。

標高グラフ付きの大きな地図を見る
 神奈川スリバチ学会、多摩武蔵野スリバチ学会共催の 「こどもの国フィールドワーク」 に参加しました。
 こどもの国は、1965年に当時の皇太子成婚記念として、米軍に接収されていた田奈弾薬庫跡地に開設。当初は国営で、1981年に社会福祉法人こどもの国協会へ移管。
 現地までの自転車ルートと園内の散策ルート。1/25000「原町田」「荏田」(昭和32年発行)を Google Earth に重ねたもの。
 長津田からの弾薬庫への引込線が分岐していた地点。尾根の先端にある住吉神社から恩田川支流の奈良川。 「多摩川水系・入間川を遡上する」で見た、糟嶺(かすみね)神社からの入間川と同様の風景です。
 入園料(600円)を払って園内へ。今日の参加者は17名。家族連れで賑わっていますが、入り組んだ谷戸を生かした、東京陸軍兵器補給廠・田奈部隊填薬所でした。
 けっこうな戦争遺産なんですが、"こどもの国" と言うことで、弾薬庫口も無造作に。
 内部のようす。
 みなさんがソフトクリームを食べてる間に、外周道路からフラワーシェルターへ。黒川紀章設計の「花びら休憩舎」も、子どもファーストなので放置プレイ状態です。
 次いで、園内限定免許で走っていたダットサンベビーの捜索。
 居ました。隙間からカメラだけを差し入れて撮影。
 この土台は、黒川紀章設計の「アンデルセン記念の家」のものらしい。アンデルセン、東屋になっています。
 唐突にあった「無名のスカウト戦士」の像。調べてみると、一旦は米軍に拒否された田奈弾薬庫の返還に際し、ボーイスカウト人脈による逆転劇が演じられたらしい。
 イサム・ノグチの遊技類。これには、説明板がありました。やはり、子ども達が遊んでこそ。
 1960年代初めの航空写真。
 1/3000地形図 昭和30年1月、横浜市作成。画像クリックでリンク先へ。
 28.17km、歩き 5.8km。

台湾 2017 スライドショー

2017年3月16日木曜日

 2/8 - 21 の台湾 (台北 - 台中 - 合歓山 - 梨山 - 宜蘭 - 台北) のスライドショー作りました。(4:15)

「草間彌生 我が永遠の魂」

2017年3月13日月曜日

 国立新美術館の「草間彌生 我が永遠の魂」展へ、ゴルフが中止になったSさんと。平日ですが、混んでいます。
 1973年にニューヨークから帰った後の作品は松本市美術館所蔵が多い気がする。地元との繋がりが切れていなかったから再生したかもしれない。
 珍しくおみやげ買いました。東京ミッドタウンでフォー。本場で50食以上食べていますが、一番美味しかった。困ったものだ。

武蔵野市よくばり微地形

2017年3月11日土曜日

標高グラフ付きの大きな地図を見る
 多摩武蔵野スリバチ学会の 「武蔵野市よくばり微地形フィールドワーク」 に参加しました。
 集合場所は中央線武蔵境駅。自転車で北上し駅前の駐輪場へ。ますます人気のスリバチ学会、地味なルートですが、総勢40名あまり。
 先ずは、花の通学路。名前は ??、ですが、玉川上水からの境村分水跡の道。自然河川の仙川とは立体交差していました。台地上を流れる仙川は、普段は涸川で、大雨の度に流路が変ったそうですが、今は完全に固められています。
 米陸軍(進駐軍)の1/12500地形図(1946)がテキサス大図書館で web公開されているので、手書きでルートを書き加えました。ルートデータと重ねたいところですが、測地系の違いなどから地図の位置合わせが難しく断念。
 武蔵野市の上水道は、80%が深井戸からの地下水で、ここには12本の深井戸があります。すぐそばに、濾過池が並ぶ東京都水道局境浄水場がありますが、無関係。
 梶野分水築樋。境村分水と同じく玉川上水からの分水で、仙川との立体交差部分。こちらには、高さ4m、長さ230m にわたった築樋の一部が残っています。
 1946年の米軍地図では、立体交差は表現していませんが水路の交差が描かれています。カラーなのは、アメリカさんのおかげ。
 こちらは、下を流れる仙川側から。
 玉川上水まで北上。これは、北へ流れる千川分水の旧取水口。
 次いで、品川用水の旧取水口(北側から撮影)。玉川上水が「幹」だったことが良くわかります。
 境浄水場へ濾過用の砂利を運んでいた引込線の橋台跡。
 品川用水の水路だった中央線地下道。
 三鷹で昼食の後、鉄ならずとも色めき立つ跨線橋を渡り、武蔵野競技場線跡を歩きます。
 ここで、午後2時46分。みなさんで黙祷。
 短命で終わった武蔵野競技場線ですが、三鷹駅との接続部以外は、中島飛行機武蔵製作所への専用線を流用しています。
 網掛け部分が Bombed areas なので、ここでは軍需工場を的確に爆撃したようです。残った Final engine assembly (エンジン組立工場)は、戦後米軍住宅に使われました。
 最後は、微妙なスリバチをチェック。成蹊大学本館は1924年(大正13年)竣工。安倍首相の出身校。日の丸が掲げられているので、早とちりの政党がブーメランを投げそうですが、これは 3.11 の半旗です。
 武蔵野八幡宮は初めて来ました。吉祥寺にこんな大きな神社があるとは。
 JRで武蔵境駅まで2駅戻り、夜間走行で帰宅。
 2016年の日本建築学会賞を受賞した「武蔵野プレイス」(2011年竣工)。台湾の 台中図書館 と比べると・・・。
 35.90km、歩き 18.5km。

 台中の真ん中、台中駅と市役所の間にある西区模範街、民権路は、かつては大和村と呼ばれていました。
 米陸軍作成の1/8000(1945)を見ると、市街地の外れ、梅川と土庫渓に挟まれた水田の中に、整然と区画された宅地が造られています。
 「大和村建設志」(台中図書館所蔵) 全89ページの冊子には、「荒涼たる田圃叢原に槌音勇ましく広漠三万坪の文化住宅区が完成した時、市民は驚異の眼をみはった」とあります。
 台中州内務部長佐治氏らの旗振りの元、組合方式で「八十余戸の文化住宅軒を並べ・・・市内唯一の文化部落を形成」したのは昭和17年3月のことでした。
 各戸、それぞれ趣向を凝らした設計で、幾つかの図面も収録されています。
 日治二萬五千分之一地形図(1921,大正10)で見ると、「大和村建設志」がうたうように、郊外の田んぼの中に忽然と建つ住宅街だったことが想像できます。
 数奇な運命をたどった旧大和村。昨年(2016年)出版されたリービ英雄の著作 『模範郷』 の地であり、今回台北を案内してくれた、旧知のE女史が生まれた街でもあります。彼女の家族は今も台中に住んでおり、私の案内のために来てくれました。謝謝。
 模範郷のもう一つの歴史。1954年、中華民国陸軍総司令だった孫立人は、クーデターを画策したとの嫌疑により免職、模範郷の一角に軟禁されました。軟禁を解かれたのは1988年、その2年後91歳で亡くなっています。
 死後、名誉回復された孫立人が軟禁されていた旧居(日本家屋)は、孫立人将軍記念館となり公開されています。
 『模範郷』 でも印象的に語られている、塀の上のガラス片は、孫立人将軍旧居にもありました。
 次いで、同じ町内のE女史旧居(笑) 何世帯かを経て、現在は空家です。
 完成からわずか3年半、中華民国政府に接収された大和村は、政府高官や米軍顧問団の住居として使われました。
 日本式表札の跡。子供の頃から、この状態だったとのことです。
 E女史のおじいさんが民権路(大和村)に住んだのには、もちろん理由があります。蒋介石より年長で、国民党の重鎮。wikipedia によると、元々は張作霖系で張学良と共に国民党へ加わった大物で、青島市長、山東省政府主席を歴任。若い頃には、日本に留学しています。
 E女史のお母さん、超美人。モーターバイクに乗せて案内してくれた E女史も、お嬢様だったのかぁ。
 ここの塀にも、ガラス片がありました。
 門の鍵が閉まっていて入れませんでしたが、2年前にE女史がお母さんと潜入した時の写真。
 1970年代の家の周り。まだ、戒厳令下(1987年まで)です。
 日治時代の大和村は通称名で、住所は後壠子(きょりゅうし)でした。その後、模範郷、模範村、アメリカ人は Model Village と呼んでいました。現在の地名は、模範街、民権路。民権路の北にある大和路も、旧大和村のエリアですが、民進党政権時代にできた新しい地名で、国民党員は「(日本へ秋波を送るようなことは)勘弁してよ~」 と思っているかも。

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