| 宿からの朝焼け。全面に朱が広がったのは数分。ちょっと凄かった。 |
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石垣が続く厳原の武家屋敷跡。半井桃水館は、伝 半井桃水生誕の地。大正15年まで生きたのに"伝"。 石積みで広い面が表に出ているのは、鏡積み(かがみづみ)という技法で、地震がほとんどない対馬なので多用されている。 |
| 厳原に3泊。空港~厳原は何度も走っているので、最終日はトンネルを走らず旧道から。島中至る所で見た蜂箱。ミツバチは天然ものらしい。蜂堂(はちどう)と呼ぶ。 |
| ワナにかかったイノシシ。初めて見ました。なぜ、3頭同時に。 |
| 根緒(ねお)、根緒島。 |
| 鶏知浦(けちうら)の高浜漁港。 |
| 帰路も長崎空港(大村)まではボンバルディア DHC-8-400(74席)弱い追い風でしだが、南東へ離陸。北西へ上がり浅茅湾で旋回するのは、冬の強風時だけとのことです。CAに聞いたら、パイロットに確認してくれました。 |
| 大村湾。針尾送信所の3つの塔も見えました。 |
| 長崎空港で羽田便へ乗り換え。佐賀平野西部、蛇行する六角川。 |
| 淡路島。大鳴門橋と明石大橋が同時に見える。 |
| 環八に近い第3ターミナル(国際線)まで巡回バスで移動し、羽田からは自走。一応、自己ルールにしています。 |
| トータル170kmくらい。上島内はバス輪行(おそらく、本来は禁止)、海岸沿いに道がないので周回コースは取れず常に往復。 |
| 対馬空港離陸 ボンバルディア DHC-8-400(0:23) |
| 対馬の式内社は、なんと29社。3つの大物をバス輪行で巡ります。天神多久頭魂神社(てんじんたくづだま)~海神神社(かいじん) ~和多都美神社(わたづみ) |
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今日はバス輪行。厳原始発 7:05 で佐護 9:02。 上島北西部、佐護川河口の天神多久頭魂神社。 |
| 石積みの三角柱は磐境(いわさか)。神域との境界? 日本書紀に記述がありますが、よくわからないようです。 |
| 拝殿も本殿もありません。 |
| 竹、立て掛けたのも謎。 |
| 天道山が御神体と言うが、いちばん大きな鳥居とは向きが90度ちがう。 |
| 佐護湾向かいの千俵蒔山(せんびょうまきやま)白村江の敗戦(663年)後、防人が唐・新羅連合軍の侵攻を監視していた場所かも。 |
| 佐護川は長さ 7.3km、対馬では大きな川。水田地帯と言える平野も、対馬で初めて見ました。地面に刺した柱は謎。 |
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佐護 11:56 のバスで 三根12:23。 三根湾は中禅寺湖と言われてもわからない。 |
| しかし、海。イカ釣り漁船も停泊。 |
| 峰町木坂の短いトンネルを抜け、朝鮮海峡を望む鳶崎。 |
| 海神神社は、対馬国一宮。延喜式では名神大社とされるが中世には八幡本宮。明治に入ってから「延喜式神名帳」に載る和多都美神社に改称した。海神神社と書いて「わたつみ」と読ませていたが、その後、「かいじん」としたようだ。対馬で盛んな天道信仰も交じり、ややこしい。現地の由緒書には「名神大社和多都美神社に比定され」と正確に書かれていました。 |
| 国の重文、銅造如来立像は "対馬仏像盗難事件" の主役。 |
| 御前浜にある藻小屋。畑の肥料とした藻を貯える納屋。昭和終わりに復元されたもの。 |
| 三根まで戻り、仁位経由で和多都美神社。ここも名神大社。 |
| 三柱鳥居は、京都の木嶋神社以来。 |
| 海に連なる鳥居が有名ですが、先月の台風10号(2020/9)により、一の鳥居(一番海側にある鳥居)が倒壊しています。 |
| 烏帽子岳展望台(別稿)へ上った後、仁位からの終バス 19:04 で厳原 19:15 。3回のった対馬バスは1日フリーパス券(1040円)なので、お得感抜群でした。正式には輪行禁止かも知れませんが、14インチなので大きめの荷物と同等の大きさです。 |
| 55km |
| 大船越瀬戸と万関瀬戸の間、玄界灘と三浦湾をにらむ姫神山に、1901年(明治34年)に築かれた姫神山砲台。その後1904年には、6門の28センチ榴弾砲が備え付けられました。 |
| 三浦湾に延びる緒方浦。小さな漁村ですが、プロパンガスの基地があります。1995年に廃止となった大船越小学校緒方分校。村社の乙宮神社には砲弾が奉納されています。 |
| 案内標識を頼りに砲台跡へ。ところどころ未舗装ですが道はしっかりしています。門柱を抜け折り返すと棲息掩藪部(せいそくえんぺいぶ)。人間の掩体壕でしょうか、生々しい字面です。 |
| 棲息掩藪部の中から。 |
| 28センチ榴弾砲が備え付けられていた砲座。2門x3座。6門とも残っています。 |
| 左が弾薬庫。階段を上ると観測所。 |
| 右翼観測所。正面は対馬海峡(東水路) |
| 左翼観測所。左右両眼で着弾地点を計測します。 |
| 左翼観測所から、浅茅湾方面。 |
| かつては、一続きだった対馬の上島(かみじま)、下島(しもじま)の3つの地峡(2ヶ所は開削)と砲台跡を巡ることにします。 |
| 平坦地がなく、時間が読めないので朝食をとらず 6:30 に出発。昨今の韓国人観光客の集中に加え、長い歴史的な結びつきもありハングル文字もよく見かけます。ただし、言葉の借用は少なく、却って古い日本語が多く残っているとのこと。 |
| 空港の地下を抜け、1671年(寛文12年)に開削された大船越瀬戸。北の水路沿いにアプローチ。南から北への流れが速い。 |
| 大船越橋から北(浅茅湾から朝鮮海峡)方面 |
| 大船越橋から南(玄界灘)方面 |
| 次いで、姫神山砲台跡(別稿)から、万関瀬戸(まんぜきせと) |
| 江戸時代初期に開かれた大船越瀬戸は狭く、竹敷要港部から玄界灘への航路として1900年に海軍が開削しました。延長約500m。 |
| 万関橋から南西(浅茅湾から朝鮮海峡)方面 |
| 万関橋から北東(玄界灘)方面 |
| 万関展望台からの浅茅湾。ここには、三等三角点「久須保」(70.02m)があります。 |
| 3つ目は開かれることのなかった小船越。 |
| 小船越の西漕手(にしのこいで)から東方面。この先に200mほどの地峡があります。 |
| 地峡の標高は12mくらい。距離は短いけど急坂です。遣隋使もここを越えたらしい。 |
| 小船越の東側。今も、水路が延びています。 |
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西漕手の漁師さん。いつも納めていたホテルの料理長がリタイア。福岡への活魚販売を始めた。 ずっと夫婦で漁をしてたんだと思うが、もうおばあさんは歩けない。じいさんが猫車にばあさんを乗せて、家へ帰っていった。遣隋使が船を乗り換えた場所の1400年後。 |
| 帰路に案内板のあった浅茅パールブリッジへ。2.2kmですが、激しいアップダウン。ここに限らず、対馬で周回コースは取れず、いつも往復サイクリングでした。 |
| 昼食は地元の人が来るレストランやすらぎ。観光客用の食材を使う店は休業が多く、普通の定食となりました。 |
| 厳原へ戻り嚴原八幡宮神社と今宮若宮神社。今宮若宮神社の祭神は、キリシタンの小西マリア(小西行長の長女で宗義智夫人)、融通無碍にも程があるが、関ケ原後に離縁しているので、怨霊を恐れたためでしょう。 |
| 60km |


































































