2020年のヨシ焼きの際に来ていますが、当然、谷中村史跡保全ゾーンは立入禁止。今回、初めて遊水地エリアに入ります。柳生駅まで輪行し、まず、三県境。少しずつブラッシュアップしていますが、手づくり感は健在。 |
谷中湖を南からまわり、第一排水門から渡良瀬貯水池機場。背中側、4km行くと利根川との合流点です。 |
低くなっているところが第一下流越流堤。いざという時は、右から左へ越流する。越える前提なので、表面はなめらか。 |
渡良瀬遊水地の治水機能。渡良瀬川、思川、巴波(うずま)川の河原が水で溢れそうになると、先ずは谷中湖、その後は遊水地へ水を退避させる仕組みです。 |
谷中湖北東岸から中の島へ。 |
中の島到着。Retarding Basin、直訳すると「遅延させるタライ」 |
廃村になった谷中村跡。史跡保全ゾーンとして再建されています。 |
雷電神社跡。晩年谷中に移り住み、最後まで鉱毒問題に取り組んだ田中正造が敬愛したらしい。 |
村役場跡地など。 |
谷中村・渡良瀬遊水地タワー。低いタワーですが、全体が平らなので、よく見通せます。 |
遊水地脇にある旧谷中村合同慰霊碑。渡良瀬川を渡り栃木市藤岡歴史民俗資料館。谷中村を吸収した藤岡町も今は栃木市に吸収されています。 |
遊水地周回。見覚えのある風景。 |
第三越流堤。 |
第二調節池の突端。 |
谷中湖展望台から、ここも低い展望台ですが、上るべし。 |
旧谷中村の範囲。 |
1909年(明治42年)発行 1/50000 「古河」「結城」(現:小山)に乗せた走行ルート。 |
53.5km。 |
石垣島天文台。最終日にやっと登坂、半袖Tでも暑い。 |
石垣島天文台から。海上には竹富島。 |
八重山平和記念館。東京のT大付属高校が修学旅行で来ていました。 |
八重山平和記念館。八重山での戦争マラリア(戦争末期、有病地に強制疎開させられた住民が罹患したマラリア)死者は、移住した人口の12%あまりの3800人。 |
八重山刑務支所。建屋は南国風。 |
初日に続き「のんびりカフェ」石垣島産モッツァレラ+イタリア産モッツァレラ+ごぼうとキノコ(みそ味)いただきました。ここは美味い。 |
石垣空港 15:50発、ANA94便。 |
多良間島上空。 |
羽田空港 18:14着。寒い東京ですが、体が寒さに気づかず。ラッシュを避けるため京急川崎から自走。 |
38km + 16km |
黒島2日目。朝食前に黒島展望台。高さ10mですが、けっこう見渡せます。残念ながら、東の水平線には雲。 |
2度目の伊古桟橋。今日は満潮。 |
水の透明度は抜群。 |
島の中央、東筋集落の二等水準点。金属標を囲む4つの石はサンゴ石。 |
伊古桟橋近くの Iconoma で"旅するパパイヤカレー" 複雑で繊細。美味い。 |
人口200人ですが、飼われている牛は2000頭。石垣牛になります。 |
水道記念碑。1975年に西表島からの海底送水が通じました。記念日の旧暦1月3日には、島内の御嶽の神司が集まり祭礼「水道の願い」が行われます。 |
黒島の道は網羅したいと思っていましたが、断念しました。 |
2日間で走った道。 |
38.2km |
宿の朝食バイキング。2000円、豪華。 |
石垣港に巨大クルーズ船が碇泊しているので、埋立地の南ぬ浜町(ぱいぬはまちょう)<南ぬ浜=南の浜>へ。 |
MSCベリッシマ(17万トン)那覇~宮古島~基隆(台湾)の短いクルーズ。お話したオーストラリアからのご夫婦は、羽田から那覇へ空路で入り乗船したとのことでした。 |
12:00 石垣発。西表島上原、鳩間島航路は運休していました。竹富島をかすめて、12:40 黒島着。黒島は人口200人。飼われている牛は2000頭。 |
先ずは伊古桟橋。1935年(昭和10年)に作られた石積造及びコンクリート造で延長354m。国の登録有形文化財に登録されています。 |
先端まで行けます。 |
喜屋武御嶽(ケンワン)。黒島では御嶽(うたき)をワンと呼びます。 |
東岸の桟橋跡。 |
道路の両側には琉球石灰岩。 |
沖縄の御嶽は、琉球処分以降神社として扱われ、設置されたがヤマト風鳥居が戦後撤去された場所の多いが、先島諸島ではそのまま置かれている。ただし、原則氏子以外は立入禁止。 |
プズマリ(先島諸島火番盛:海上を監視し、狼煙で石垣島の蔵元:琉球政府出先機関へ伝えた。遠見台) この上に一等三角点があるはずですが立入禁止。これは、安全のため。 |
民宿のどか到着。泡盛はフリードリンク。 |
25km |