| 鐘紡全盛期は、4つの商店街が放射状に形成されていたらしい。 |
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鐘ヶ淵駅前の観光案内。駅名変更が多かった地域。旧駅名のままなのは意識的なものと思います。 吾妻橋駅(1902)⇒浅草駅(1910)⇒業平橋駅(1931)⇒とうきょうスカイツリー駅(2012) 白髭駅(1902)⇒廃止(1908)⇒玉ノ井駅(1924)⇒東向島駅(1987) |
| 9~10世紀につくられた古代東海道。 |
| 古代東海道は荒川(荒川放水路を改名)で分断。 |
| 四ツ木橋で、荒川と綾瀬川渡河。 |
| 荒川放水路は大正13年(1924年)に通水。<東京時層地図より> |
| 古代東海道復活。 |
| 古代官道らしい直線道。 |
| 再開発中の立石駅。 |
| 京成立石駅の跨線橋は撤去されていました。 |
| 帰路、溝の口駅で下車し洗足学園前田ホール。サクソフォン・オーケストラのボレロなど。 |
| 5.2km |
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| ブリヂストン通りから筑後川左岸の久留米城址、今は有馬記念館と篠山神社。二の丸、三の丸はブリヂストン久留米工場の敷地になっています。 |
| 筑後川を渡ると、すぐ佐賀県ではなく、蛇行していた筑後川本流跡まで福岡県。 |
| 肥前国一宮、千栗(ちりく)八幡宮の参道も、かつては筑後川本流に続いていたはずです。 |
| 今日も午前中は古代官道めぐり。地図は「地図でみる西日本の古代」(平凡社) |
| 左下は吉野ヶ里歴史公園内なので、手が入っていると思います。吉野ヶ里遺跡は、再現建屋が盛りすぎてると思うので入りませんでした。 |
| 神埼市に入り、初めて古代官道の案内標識に出会いました。一本ずれた道で、感慨に耽っていたわけでなさそうです。いずれにせよ、似たようなもんですが。 |
| これは本で見た気がする道跡。 |
| 西千布遺跡。ここは佐賀県教育委員会により、道路痕跡と土坑が確認されています。 |
| 太宰府天満宮はチラ見で南下。傾斜を感じさせない針摺峠は玄界灘と有明海の分水界。筑豊本線原田線は単線非電化です。 |
| 筑後川水系宝満川(ほうまんがわ)の河川跡と思われる地割。 |
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まばらな灌木のように見えた植生は水田でした。度々見かけ、土地の人に尋ねると「タニシに喰われた」とのこと。 <田植え直後の柔らかい稲苗を食い荒らすジャンボタニシは南米原産で、1980年代に養殖目的で導入されたが、食用として定着せず放置されて野生化した> |
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後半の目的は「古代官道」西海道筑後路のトレースです。中央集権国家が成立した律令期に造られた官道で、幅10m前後の直線道が都と結ばれていました。 平野にまっすぐ延びる佐賀県、福岡県の県境は、その道跡とみられています。左側の地図は「地図でみる西日本の古代」(平凡社) |
| 今の道は官道とは構造的には無関係で、当時を忍ばせるものは何もありません。唯唯、位置だけ。 |
| 斜めに延びるのが肥前/筑後の国境、佐賀/福岡県境にして西海道筑後路跡。1200年さかのぼれます。 |
| ちょうど農作業をしていたご夫婦とお話しました。福岡県側の人で、現在も農地は県境で持ち主が分かれ、「あっちは佐賀の人や。水の管理が・・・」とのことでした。 |
| 広い道にぶつかると、ドンピシャ県境。 |
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宿は福岡県側の久留米。鳩山邦夫元総務相の死去に伴う衆院福岡6区補選中で、この日は大物議員の応援の告知が多数ありました。 夜は宿で勧められた久留米ラーメン大砲で "ラーメン" "昔ラーメン" の食べ比べセット。超人気店とのこと。カウンター隣の若い女性2人連れが、「かた、バリかた」で注文し、二人共「替え玉」。食べ比べセットの素人はビビっていました。 |
| 55.32km AV13.2km/h,4:10:31 |
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川之江-大豊線は律令期にひらかれた土佐国府への官道に近いルートで、土讃線やR32が整備されるまでは高知への本道でした。土佐藩の参勤交代にも使われています。
始発で阿波池田駅まで輪行し、R192を愛媛方面へ。旧佐馬地村(佐野村、馬路村、白地村の合成地名)馬路の境宮神社。蜂須賀期は阿州鎮西の神として厚遇されたらしい。 |
| 徳島愛媛の県境、境目峠のR192旧道は、阿讃国境大坂峠と同様に品格があります。 |
| 高知自動車道をくぐり愛媛県道5号線へ。1259.5mの堀切トンネルを抜け吉野川水系の銅山川へ下ると旧神宮村。紀伊国新宮から勧請したと伝えられる熊野神社。 |
| 新築中の新宮小中学校。人口1400人、高齢化率40%を越えているんだが。四国中央市のおかかえコンサルは、生徒数がV字回復するとの神託を下したのだろうか。 |
| 律令期の官道は今の高速道と不思議なほど似たルートとっています。暗くて怖い笹ヶ峰隧道、トンネル直下で県道が通行止めだったので、怖い目に会わずに済みました。 |
| トンネルの中で高知県入り。標高は850mくらい、さすがに涼しいですが、遠雷が聞こえてくるのが心配です。 |
| 通行止めの道をダウンヒル。途中伐採作業中、ここも道路を占有していました。路面も良好で、調子に乗り過ぎ。湿った路面で前輪が滑り、瞬時に落車。滑らなかった分、擦過傷は少なかったですが右足の打ち身が酷く動けません。現場で30分、立川(たじかわ)まで片足走行で下り40分休憩。結局、右足は添えるだけで、ビンディングにセットすることはかないませんでした。 |
| 立川で JRのダイヤを調べると、なんと土讃線は大雨で運休中。阿波池田までの自走含みで大歩危へ抜けたいところですが、片足では峠を越せません。 |
| 坂が上れないので、吉野川本流に沿って大田口駅へ。雨は上がっていましたが、道を尋ねたおやじに様子を聞くと「ケガするばあ、降りよった」らしいです。 |
| 国道と合流する直前にある封鎖された橋。 |
| 昭和8年測図の 1/50000 地形図を見ると、この橋が吉野川を渡る道路橋。撤去していないのは謎です。 |
| 運転再開の情報はスマホでわかりましたが、無人駅なのでダイヤは阿波池田駅へ電話して知りました。 |
| 78.45km AV12.9km/h,6:05:041 |
| 先ずは、国宝二条城、二の丸御殿。ホテルの部屋から屋根が見えていた建物です。大政奉還は、ここで行われました。 |
| 大勢の外国人観光客が来ていました。ガイドの説明だと、将軍がここで執政していたように思った人も多いように感じました。 |
| 千本通りを鳥羽まで南下します。二条駅前では片側二車線の広い道路ですが、千本三条からは一車線の一方通行になります。京福電鉄嵐山線のガードをくぐり、JRに分断される梅小路で大宮通りまで迂回して、また元の道に戻ります。 |
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鴨川を渡ると、鳥羽伏見の戦い勃発地点。千本通赤池で南西へ転じ、再度鴨川、桂川を渡ると久我畷が始まります。久我畷は、平安京羅城門から南下する「鳥羽作り道」と山崎駅を結ぶ南西方向への直道で、下植野南遺跡では道路幅 9mの側溝が発掘されました。 明治42年測図の1/20000迅速測図では、官道時代から踏襲された道が明瞭に残っています。 |
| 途中、名神高速道に阻まれますが、できるだけ真っ直ぐ走ってみることにします。 |
| 最後は怪しくなりますが、土地の境界となっていそうです。土地登記簿の一筆(検地帳の区画)の違いは、元の道路によるものではないでしょうか。 |
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山崎からは、山陽道(西国街道)となります。近世風のうねった道を走っていると、「櫻井駅跡」の広場が現れます。律令期の駅家跡のはずですが、説明板の記述は、標題以外、楠木正成一色です。隣にある、島本町立歴史文化資料館にも入って見ましたが、ここにも駅家跡の説明は皆無。 心配です、大阪府島本町教育委員会。 |
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高槻、茨木を経て、吹田。大阪の記憶は千里ヶ丘の万博から始まりますが、地名としての、 吹田市千里丘、千里山、千里万博公園 摂津市千里丘、南千里丘 豊中市新千里 に加え、阪急千里線の北千里駅(吹田市古江台)、南千里駅(吹田市佐竹台)、千里山駅(吹田市千里山) さらに公園名や交差点(信号)名にも乱発されており、極めて難解です。 吹田市千里山(せんりやま)は、元々 "ちさとやま" のようです。 府道14号線高浜橋で、安威川(あいがわ)と合流した神崎川を渡り大阪市東淀川区。淀川を長柄橋で越え北区、天神橋で大川を越え中央区大手通の宿に到着。 天神橋には、中之島へ下りるスロープがあり、親自転車に驚きました。 |
| 今日は自転車での初大阪です。夕日と夜景も美しく、大阪の印象が幾分改善しました。 |
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64.57km、4:36 |




















































