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DAHON K3

DAHON K3
2019年購入。14 inch,7.8kg,3速。

KHS F20-R451

KHS F20-R451
2015年、台北で購入。そのまま阿里山、塔塔加へ。

KHS F20-T3

KHS F20-T3
2012年、台北で購入、そのまま中部横貫公路越え。

Bianchi Lupo

Bianchi Lupo
イタリア製と思いきや台湾製。基本パーツはSHIMANO TIAGRA。クロモリです。

KHS F20-T2

KHS F20-T2
2009年、台北で購入、そのまま一周。けっこう走れます。2019年、退役。

mayfly 2

mayfly 2

MARIN Pine Mountain

MARIN Pine Mountain
1992年 米国製。SHIMANO DEORE DX は25年間ノートラブル。2017年、退役。
 
 

八ヶ岳 縞枯山~横岳

2010年12月31日金曜日

 2010年は、自転車でなく山登りで終わりました。
 君津のWさん親子と冬の八ヶ岳に登ります。目指すは縞枯山(2403m)と横岳(2480m)ですが、ロープウェイで2237mまで上りますので、冬山としては超お手軽なルートです。

(1日目)
 ロープウェイ山頂駅から縞枯山、雨池峠、縞枯山荘、坪庭を経て、北横岳ヒュッテへ。曇り時々雪、視界はありません。恐れていたアイスバーンはありませんでしたが傾斜がきつい場所もあり、途中からお借りしたアイゼンを初めて付けました。
 北横岳ヒュッテの夕食は、豪華馬肉すき焼きです。常連の山屋さんも、お客なのに、下仁田から宿の食材のネギを背負ってきた女性や、当たり前のように山頂駅からの歩荷をする人など、山小屋一家の人柄からか、みなさん愉快な人達です。

(2日目)
 天気が悪く、のんびり朝食を食べていると、急に日差しが出てきました。気温は氷点下18度を指していますが、俄然やる気が出て、横岳へ登ります。女将のブログは 「あっ晴れ!」 今年の最後は、山からの素晴らしい眺望です。

座礁した貨物船/いわき

2010年12月26日日曜日

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 ・12月22日、福島県いわき市の鮫川河口付近で、パナマ船籍の貨物船「シーエース」(2976トン)が座礁した。
 ・青春18キップが、余りそうだ。
と言う事で、輪行して見に行くことにしました。
 日立駅着が 9:56、まずは R6の日立バイパスを走ろうとしますが、海上部分は自転車通行禁止です。駅前の路地を抜けて合流し、後はひたすら北上します。
 5m前後の南風がずっと吹いていますので、30Km弱で巡航します。気温は低いですが、日差しは暖かです。
 遠望すると、奇妙な位置に船が。
 勿来駅の先から海岸の堤防沿いに走り、砂浜を300m程歩くと現場です。見物客は20人ほど。砂浜に鎮座した船は安定しているように見えます。
 砂浜には、「どんど焼き」の櫓が立っていました。土地のおばさんに聞くと、この辺じゃ「鳥の巣」と言うとのことでした。櫓の下部が小屋になっており、そこに注連飾り類を入れて焼くそうです。刈り取り後の田んぼでなく、海岸にあるのは面白いです。
 陸前浜街道は山が海に迫っている個所が殆ど無く、のっぺりした感じです。漁港をイメージしていた小名浜も、工場地帯です。
 いわき駅(平)に15時半ごろ着き、食事を取ろうとして、市街を探し回りましたが、食堂もマックも牛丼屋もありません。それでいて、飲み屋は100軒以上ある不思議な街でした。

73.13Km

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  Rafuma東京店へトレッキングバンツを買いに行きます。が、「東京時層地図」を持って行くので、たどり着けるか未定の感じです。
 今日は、いつものR246ではなく駒沢通りを走ることにします。多摩川を渡り東京都に入りますが、河岸段丘の下あたりまでは、明治後期の地図だと神奈川県です。 「神奈川県橘樹郡高津村大字諏訪河原字向河原の内、多摩川以北を東京府北多摩郡玉川村に編入す」と言う事で、明治45年に蛇行していた旧河流に基づく県境が整理されました。
 駒沢通りは、比高20mほどの国分寺崖線をカーブして上ります。正面の鉄道は東急大井町線です。 徳島では、みなさん2000m近くの登坂を行っているはずですが、わたしはこの15mでおしまいです。あとは、平坦な一本道で中目黒まで行けます。この道、R246よりは、ずっと走りやすいです。

 Rafuma東京店の前は、こんな風ですが、明治初期の地図だと渋谷川です。今も暗渠ですね。

 帰路は、昔住んでいた淡島通りから世田谷通り、桜新町からは田園都市線の上(玉電に沿って)を走ります。

42.96Km

二十一番札所 太龍寺

2010年12月17日金曜日

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 阿波霊場三大難所、最後に残った太龍寺へ行きます。R55の赤石トンネルを抜けずに、県道135,28で持井橋で那賀川を渡り、登山口の民宿坂口屋からはGPSログを取ることにします。4Kmで400m上るので、平均10%の急坂です。
 出だしは緩やかな坂ですが、川を渡り山腹に取り付いてからは、激しい坂です。鶴林寺では、ギアを上げて立ちこぎしましたが、ここは最も軽いギアのままで、立ちこぎです。何とか、残り 1.1Kmの駐車場までは乗りましたが、あとは半分以上押しました。
 きつかった鶴林寺と比べると、早々に白旗を上げ、楽になった感じです。

 iTrailのログをGPXで出力し、道路が記載されていないルートラボに取り込んだデータだと、駐車場からの1.1Kmは 平均23.3%です。

 お寺は、山中とは思えない大伽藍です。

参道からは那賀川を隔てて鶴林寺、その先勝浦川を隔てた尾根には大川原の風車が見えました。
 前30枚、後25枚のクロスバイクでも上れません。舗装されていますが、路面はとても跳ねるので、ロードバイクはお勧めできません。

70.93Km

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 先週、大坂越えの旧道(明治8年道路)を香川県側から越えましたが、県境を過ぎると幅員4m程の道が、ただの山道になりました。大正6年に、今の県道(当時の国道)が開かれるまでは、阿讃の動脈だったはずなので、本来の旧道がどこかに残っているはずです。旧版地図を元に、探索してみます。

 前広に、吉野川北岸から讃岐街道をたどることにします。名田橋横の船着場跡から讃岐街道が明確に伸びています。
 板野では、道しるべに従い、右へ。
 阿波大宮駅を過ぎると、道が怪しくなりますが、大坂御番所跡の傍に案内板があります。
 香川県側と同様に、幅員4m、石畳の高規格道路ですが、最後はコンクリート道となり、新道に合流しておしまいでした。
さて、核心部分は。
<12/12時点の理解>
 県境を越えた地点での写真(地図のピンク矢印)では、正面は竹林となっており、「四国のみち」は、右手の尾根へ向かう階段となっています。この道は、旧版地図にも記載されています。正面の道を30mほど藪こぎしましたが、竹・樹木が多く、引き返しました。路盤はしっかりしており、旧道に間違いないと思います。
<今日、わかったこと>
(あ)新道から、旧道へつながる急な石畳路がありました。香川側の新道竣工までの繋ぎかも?(い)新道と山道(四国のみち)の間の旧道は、旧版地図と一致します。峠(鳴門市、板野町境界)まで続いていそうです。(う)新道の峠は、切り通しで20mほど低くなっています。これは、(い)の旧道の高さと一致します。
(え)ここの山道は、階段で旧道とは考えられません。

<新たな謎>
水色網掛け部分に、幅員4mの旧道が埋もれているはず??

70.56Km

二十番札所 鶴林寺

2010年12月14日火曜日

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 夏に、阿波霊場三大難所筆頭の焼山寺は登ったので、残るは2つ。雨が上がるのを待って、二十番札所鶴林寺と二十一番札所太龍寺を目指して走り出します。R55を勝浦川で県道16に折れ川沿いに走り、生名(いくな)から稜線へ向けて上り始めます。
 車道は、4.5Km、10%の上りなので、焼山寺より若干傾斜が急ですが、この微妙な差が腰に来ます。稜線に出ると一瞬傾斜が緩みますが、すぐに10%超に戻り、休ませてくれません。ビンディングでなければ、間違いなく押したでしょう。
 大きなお寺で、江戸末期に建てられた三重塔もありましたが、シーズンオフなので誰もいません。強い北風が木々を揺らしています。
 路面が濡れているので、ゆっくり下りながら、太龍寺は又の機会にすることに決めました。

58.66km

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 徳島での初日は、久しぶりの Bianchi Lupo となるので、軽めに引田へ行ってみます。
 往路は、未走の卯辰越えで瀬戸内に出て、R11を走ります。晴れて風も弱く、絶好のサイクリング日和です。
 少し期待していた引田の町並みは、かなりB級でしたが、ハマチ養殖発祥の地である安戸(あど)池の刺身定食はA級です。いつも食べているハマチは、何だったのだろうとさえ、思ってしまいます。
 引田町教育委員会の名所旧跡案内は、内容、文章とも読みでがあります。何が悲しくて「東かがわ市」を名のるはめになったのだろうか。

 次いで、夏に鵜峠(うのたお)が抜けられずに行き損ねた歴史民俗資料館へ行きます。ジオラマ好きとしては、北から見た大坂峠は見逃せません。帰路は県道1号線を走るつもりでしたが、ジオラマには、旧国道である県道1号線(大正9年開通)の一世代前の道(明治8年開通)が書かれています。資料館でだずねると、香川側は「四国のみち」として整備されているとのことなので、走ってみることにします。
 おそらく明治国道30号線「東京ヨリ徳島縣ニ達スル路線」です。(12/13追記:1885年に策定された国道30号線は淡路島経由で、この道ではありませんでした)

 所々に、石畳が残っています。今は遍路道ですが、道幅や路肩に讃岐街道時代の風格を感じさせます。ただ、傾斜は5-6%ですが、ほとんど押しました。


 徳島県に入ると、別ルートと思われる山道となり、担ぎっぱなしで、どこまで旧道を辿れたのか怪しくなります。
 鳴門市と板野町の境界で県道に合流し、オンロードを一気に下りました。
 下調べなしで廃道を走ったのは、ちょっと失敗かもしれません。徳島県側を探索する宿題が残ってしまいました。

80.6Km

たちばな古代の丘

2010年12月9日木曜日

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  神奈川県橘樹郡は、今の川崎市(川崎区、幸区、中原区、高津区、宮前区、多摩区の全域、麻生区の一部)と横浜市(鶴見区、神奈川区の全域、西区、保土ケ谷区、港北区の一部)に律令期からあった郡で、1938(昭和13)年に向丘村、宮前村、生田村が川崎市に編入され消滅しました。
 横浜市、川崎市の中核をしめる地域ですが、1998年に発掘調査された郡衙跡は、ご近所なので訪ねてみます。「東京時層地図」の範囲内です。


 ここも、先月訪ねた都筑郡衙と同様に多摩丘陵の鼻に位置し、すぐ南を、古代官道説のある中原街道がはしっています。
 昭和30年代の1/10000地形図だと、平地と丘陵の差がよくわかります。

 今は第三京浜沿いの傾斜地にある平凡な住宅地ですが、古い道をたどると、道標や祠が残っていました。
橘樹郡衙跡(推定地) 「たちばな古代の丘緑地」
橘樹郡衙に続く、奈良時代のメインストリート
20.5Km

三浦半島一周(逗子~江ノ島)

2010年12月5日日曜日

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 逗子起点で、右回りに三浦半島を一周します。湘南新宿ラインで行くので、10Km自走しての武蔵小杉駅が最寄りですが、今日は東戸塚駅まで20Km走ることにします。鉄道だと鶴見、横浜を経由しますので、鉄道の乗車距離は、かなり短くなります。
 相模湾側の逗子から東京湾側の船越に抜け、田浦からは海上自衛隊の長浦港、原子力空母「ジョージ・ワシントン」の母港である横須賀本港の脇を走ります。反核市民団体が、出港するジョージ・ワシントンの写真を撮っているが、どこから撮れるのだろうか?
 さて、横須賀からは、先週行きそこねた "YAMAHONで行こう!" のオフ会ルートをほぼ踏襲します。古東海道の走水、観音崎を経て、浦賀港へ。湾口には対岸への渡船がありました。
 久里浜港からは砂浜の金田海岸を走りオフ会ルートで知った剱崎燈台へ。意外にも、台地上の大根畑は雄大です。
 三崎からは半島の稜線を北上します。稲村ヶ崎から江ノ島へは、正面に夕日の富士が望めました。
[田浦駅からの、引込み線。1946年の米軍地図だと、トンネルの先まで路線があります]
[浦賀港の渡船。渡船の航路は、市道(2073号線)です]
[大根づくし、イカを干していると思ったら、大根でした]
[夕日の長者ヶ崎]
[稲村ヶ崎からの江ノ島と富士]

106.1Km(鷺沼~東戸塚 21.1Km、逗子~片瀬江ノ島 83.4Km)

LABELS


mail: boso.cycle@gmail.com