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DAHON K3

DAHON K3
2019年購入。14 inch,7.8kg,3速。

KHS F20-R451

KHS F20-R451
2015年、台北で購入。そのまま阿里山、塔塔加へ。

KHS F20-T3

KHS F20-T3
2012年、台北で購入、そのまま中部横貫公路越え。

Bianchi Lupo

Bianchi Lupo
イタリア製と思いきや台湾製。基本パーツはSHIMANO TIAGRA。クロモリです。

KHS F20-T2

KHS F20-T2
2009年、台北で購入、そのまま一周。けっこう走れます。2019年、退役。

mayfly 2

mayfly 2

MARIN Pine Mountain

MARIN Pine Mountain
1992年 米国製。SHIMANO DEORE DX は25年間ノートラブル。2017年、退役。
 
 

 1993年の秋はネパールにいました。タメル地区でぶらぶらしながら、トレッキングのパーミッション申請などをしていましたが、自転車も少し乗りました。
 カトマンズでMTB風のレンタサイクルを借り、20Kmほど東の古都バクタプル(鎌倉みたいな位置づけ)へ1泊2日へのツーリングでした。
 メーカーは、おそらくインド製でしょう。パーツはサンツアーだったかな(ウソです)。
 
 
 当時のカトマンズの幹線道路は、中央部の1.5車線のみ舗装されており、広い路肩部分はダートでした。
 JICA(日本国際協力機構)で働いていたと言う青年と並走しながら話をしたことや、道を尋ねた女子高生の集団がやたら笑い転げていたことなど、いろんな記憶がよみがえります。
 写真を見て気づいたが、何と、パンツは、先週の小湊鉄道未成線と同じではないか。
 
 

 最後の画像は、トレッキングに入った後のアンナプルナ南峰。タルチョー(祈祷旗)のようにはためくのは、わたしの洗濯物です。
 来年は、再訪したい。

 小湊鉄道はその名のとおり、外房の小湊を目指していた路線だが、1928年(昭和3年)に上総中野まで延長したのを最後に工事は再開されず、当初の計画は頓挫した。地形図を見ると、道はあるので走ってみることとした。同行するのはURCのM木君で、月崎駅に車をデポし走り始める。

 上総中野~小湊の計画ルートが不明なので正確ではないが、西畑川をつめるのは間違いないだろう。一見、山の中のルートだが、傾斜はゆるく、大多喜町と勝浦市の境界まで、15パーミルくらいである。養老川水系(養老渓谷駅)から夷隅川水系(上総中野駅)への峠越えでの30パーミルと比較すると、余裕で走れるはずだ。

 われわれは、県道82号線を勝浦市の台畑から鯛の浦へ一気に下ったが、さすがこのルートだと鉄道では無理なので、古新田(こんた)から大風沢(おおびえ)川沿いへ迂回するルートあたりが有力だろう。
 海岸へ下った後は、誕生寺を経由し、R128の旧道を波音を聞きながら走る。できるだけトンネルは避けたいので、「おせんころがし」への破線道(道幅1.5m未満)に向かったが、これは道と言うより、崩落防止用コンクリートを吹き付けた崖の棚であり、途中から引き返すことになった。
 崖上から転落したと思われる鹿の白骨死骸もあり、スリル有り過ぎでした。
 勝浦市街までは、主としてR128の旧道を走り、そこで遅い昼食。帰路はR297を大多喜に向けて北上し、薄暮の月崎駅にたどり着いた。
 志駒街道での大落車からのリハビリ中のM木君に手も足も出ず、ちょっとショックでした。75Km。

大福山から紅葉の日高邸宅跡へ

2007年12月5日水曜日

<1/50000地形図。> 紅葉まっさかり。人ごみを恐れて平日に行く。久留里の森林体験センターまで車で入り、MTBで稜線沿いに大福山へ向かう。立派な展望台があるが、一番眺望を期待する富津・富士山方向が見えないのは残念だ。山頂は展望台のすぐ脇の白鳥神社の境内にある。この神社、妙に品格があります。


 大福山からは戸面へ向かって車道を下る予定だったが、地形図に記載の無いハイキング道があったので日高邸宅跡へ一気に下ることにした。距離は1.5Km、ほぼ担ぎと押しである。沢まで降った後、沢沿いに日高邸宅跡へ向かう。平日だか、かなりの人出がある。
 1/25000地形図に邸宅跡が注記されている日高誠実(のぶざね)は明治期の人で、武者小路実篤の「新しき村」のような理想郷を梅ヶ瀬に作ろうとしたようだ。今回、ここへ来る動機となった養老渓谷のWebSite画像ほど鮮やかではないが、一面もみじの絨毯は見る価値十分である。
 梅ヶ瀬渓谷を下る道は、ほぼ沢の中で、予想に反して半分も乗れないが、崖上の紅葉がすばらしい。低山とは思えない強い発色で、首都圏有数の紅葉の名所と言われるだけのことはある。車道に合流したあとは、大福山へ登り直し、バリエーションを付けながら稜線を戻る。

 途中、1/50000地形図の学校記号を訪ねて見る。明治33年創立の福野小学校は創立100周年の平成14年に廃校となったとのことだが、味のある校舎が残る。創立時の児童数は21名、最盛期は60名を超えたが最後は6名。立派な閉校記念碑に沿革と校歌が書かれていた。
担ぎを除いて、26Km。

LABELS


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