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DAHON K3

DAHON K3
2019年購入。14 inch,7.8kg,3速。

KHS F20-R451

KHS F20-R451
2015年、台北で購入。そのまま阿里山、塔塔加へ。

KHS F20-T3

KHS F20-T3
2012年、台北で購入、そのまま中部横貫公路越え。

Bianchi Lupo

Bianchi Lupo
イタリア製と思いきや台湾製。基本パーツはSHIMANO TIAGRA。クロモリです。

KHS F20-T2

KHS F20-T2
2009年、台北で購入、そのまま一周。けっこう走れます。2019年、退役。

mayfly 2

mayfly 2

MARIN Pine Mountain

MARIN Pine Mountain
1992年 米国製。SHIMANO DEORE DX は25年間ノートラブル。2017年、退役。
 
 

台湾 (7回目) 2017.2.8 - 21

2017年3月31日金曜日



こちらに、日付昇順で並べています -->

2/ 8 台北 大稻埕  9.78km
2/ 9 松山文創園、陶朱隱園  0km
2/10 台北 - 苗栗  123.95km
2/11 苗栗 - 高美湿地  83.20km
2/12 高美湿地 - 台中  36.47km
2/13 台中、国家歌劇院  0km
2/14 台中 - 日月潭 - 埔里  94.54km
2/15 埔里 - 霧社 - 廬山温泉  49.88km
2/16 廬山温泉 - 武嶺 - 合歓山  41.82km
2/17 合歓山 - 合歓尖山登頂 - 梨山  39.90km
2/18 梨山 - 留茂安  71.27km
2/19 留茂安 - 礁渓  72.19km
2/20 礁渓 - 台北  65.52km
2/21 台北新店 - 松山機場  15.91lm

(TOTAL) 703.71km

大きな地図(神奈川スリバチ学会)を見る
 激しく蛇行していた帷子川、直線化工事で取り残された河床跡を見ることができます。まだ、生々しい。
 畠山重忠公碑の西側。400mほどの間に3ヶ所の改修箇所が連なっています。
 畠山の乱にまつわる六ツ塚、崖下の硯石水跡、駕籠塚と鶴ヶ峰神社。
 駕籠塚横の橋は、鶴ケ峰浄水場 (2010年廃止) への水路が開渠だったころの遺構でしょう。
 白根地区センターで休憩の後、中堀川を越えて白根神社。白糸の滝(汗)は、旧版地図には記載されていません。
 宅地となった愛宕山を昇り降りし、帷子川分水路トンネル。洪水時の排水トンネルで、横浜駅西口まで5.3kmの、川のバイパスです。1997年完成。
 旧流路の田原橋公園。
 対岸から見た帷子川分水路トンネル入り口の水門。流木等を止め、オーバーフロー分をトンネルへ流します。
 昭和38年測図の1/3000「鶴ヶ峰」(横浜市)に新流路を重ねたもの。
 自転車 29.12km、歩き 10.6km。

標高グラフ付きの大きな地図を見る
 神奈川スリバチ学会主催の 「帷子川、暴れ川の痕跡を辿る」 に参加しました。非常に面白い。主催者に大感謝です。
 12:30に集合場所の相鉄線鶴ヶ峰駅へ。自走で 15kmほどですが、馴染みのない路線。駅改札で集合し、200mほど歩きバスターミナルへ。駅から離れているのは、ここが帷子川(かたびらがわ)の河道だったからです。
 昭和19年製版の1/3000「西谷」(横浜市)
 鶴ヶ峰駅は、1930年(昭和5年)に開業していますが、駅前は無人地帯で、集落は帷子川を跨いだ北側の八王子往還沿いにあります。駅前に鶴ヶ峰住宅地とあり、駅の開設に合わせ住宅開発を行ったようです。
 20年経った昭和38年修正測図の1/3000「鶴ヶ峰」(横浜市)
 駅前に街が出来上がっています。今のバスターミナルは、鶴舞橋の南、崖下の三日月湖がある場所です。
 2枚の地図を重ねてみると、2ヶ所で川の短絡工事が行われたことがわかります。房総丘陵ではよく見られる川廻しですが、こちらは水田開発ではないので、盛土をして地面を周りに合わせています。
 今日のメインテーマは 「川の痕跡を辿る」 一旦、川まで下り、河道跡を歩きます。鎧橋跡には、親柱風の石板が設置されています。橋の下は公園です。
 河道跡の公園を歩いていると、もう一本河道跡らしいものが。
 鶴ヶ峰は、鎌倉幕府草創期の武将、畠山重忠終焉の地でもあります。これは首塚。
 厚木街道を渡ると、帷子川と二俣川の合流地点。下流側から。右が帷子川、左が二俣川。足元には、水路トンネルが抜けています。
 上流側からの合流地点。右手から流れてくる二俣川。元は、帷子川の本流で、左手から右へ流れていました。
 ここで、地図を見ながら復習しましょう (^_^)
 <左> 1/25000「横浜西部」1967年(昭和42年)発行では、帷子川が矢印の方向へ流れています。鎧橋の南には、短絡した川から切れ離された三日月湖が残っています。
 <右> 1/25000「横浜西部」1999年(平成11年)発行では、水路トンネルが完成し、帷子川はトンネルへ流れています。この時点での二俣川の流れは、地形図だけでは判断が難しい。
 最新の地形図では、鎧橋方面への二俣川の流れは断ち切られ、水流は逆転しています。
 航空写真では、旧河道、旧々河道が明瞭に映っています。
 (つづく)

台湾 2017 泊まったところ

2017年3月22日水曜日

<2/8,9> 松山(台北)
 初の Airbnb。いわゆる民泊です。松山機場近くの集合住宅の一階で、シャワー、トイレが2部屋で共用。妙齢の女性オーナーは、意識高い系。お隣は高雄から来た若い女性で、長期滞在しているようでした。オーナー共々英語がとても上手かったです。2泊で、6060円。コーヒー自由に飲めました。
<2/10> 苗栗
 お祭り(元宵節?)の日。一軒目の駅前のホテルは、空きが一部屋で眺望が悪かったのでパス。高そうなので一旦見送った高層ホテルが、思ったほど高くなかったので、部屋を見て決定。14階、バスタブ付き。朝食はバイキングで、6282円。
<2/11> 高美湿地
 東亜のウユニ塩湖として売り出し中の高美湿地。宿が少ないのはわかっていたので、内陸の市街地(清水)でホテルを探しましたが、まったく見つからず。湿地近くで看板を見て民宿へ行きましたが、シャワー、トイレ共用で、湿地も見えないのに 7000円と強気。結局、海岸からは4km離れた宿へ。Booking.com ではドミトリの情報でしたが、ツインルームもありました。朝食付き、3850円。
<2/12,13> 台中
 旧模範街のホテル。Booking.com で予約しました。70%引きなので、かえって不安でしたが、改装工事によるものでした。内装はピカピカ。2泊で、7471円。
<2/14> 埔里
 3軒目で夕日の見える部屋を選びました。WIFIはフロントだけと言われましたが、宿のおにいちゃんが怪しいルーターを持ってきて、低速ながら部屋でも繋がりました。夕日は、雲の影響でいまいち。3850円。
<2/15> 廬山温泉
 急に温泉に泊まりたくなり、当日朝に Booking.com で予約しました。完全に昭和の温泉地。寂れた感じがありましたが、これは、2008年の水害で大きな被害を受け、温泉街まるごとの廃止(移転)が決まっているため。バイキングの朝食付きで、4709円。
<2/16> 合歓山
 合歓山の松雪楼(3130m)。登坂でリソースを使い果たしていたので、泊まれなかったら大事でした。合歓尖山正面のバルコニー付き。全館暖房、2食付き、9818円。今回の最高値ですが、雲海の下から昇る朝日は、素晴らしかった。また泊りたい。
<2/17> 梨山
 梨山賓館のある台湾を代表する高原リゾート。ですが、泊まったのは旅客中心(ビジターセンター)で紹介された、驪山姥姆宮と言う道教寺院。寒かったです。今回、唯一のWIFI無し。1100円(300元の寄進)。
<2/18> 留茂安(宜蘭県大同郷)
 荒々しい蘭陽渓の川べりの一軒宿。WIFIが無かったが、タブレットを車に置いて部屋の前に停め、デザリングしてくれました。2食付き、6240円。
<2/19> 礁渓
 温泉街から少し離れた眺望の良い汽車旅館。モーテルは設備が良いので、わざわざ選びました。温泉です。朝食(仕出し物)は2人分(笑) 5645円。
<2/20> 新店(台北)
 台北市街の南端にあたる新店の商務旅館(ビジネスホテル)。探せば、もっと良いホテルもありそうですが、気力がありませんでした。広いが、くたびれている。バイキングの朝食付きで、7800円。

標高グラフ付きの大きな地図を見る
 神奈川スリバチ学会、多摩武蔵野スリバチ学会共催の 「こどもの国フィールドワーク」 に参加しました。
 こどもの国は、1965年に当時の皇太子成婚記念として、米軍に接収されていた田奈弾薬庫跡地に開設。当初は国営で、1981年に社会福祉法人こどもの国協会へ移管。
 現地までの自転車ルートと園内の散策ルート。1/25000「原町田」「荏田」(昭和32年発行)を Google Earth に重ねたもの。
 長津田からの弾薬庫への引込線が分岐していた地点。尾根の先端にある住吉神社から恩田川支流の奈良川。 「多摩川水系・入間川を遡上する」で見た、糟嶺(かすみね)神社からの入間川と同様の風景です。
 入園料(600円)を払って園内へ。今日の参加者は17名。家族連れで賑わっていますが、入り組んだ谷戸を生かした、東京陸軍兵器補給廠・田奈部隊填薬所でした。
 けっこうな戦争遺産なんですが、"こどもの国" と言うことで、弾薬庫口も無造作に。
 内部のようす。
 みなさんがソフトクリームを食べてる間に、外周道路からフラワーシェルターへ。黒川紀章設計の「花びら休憩舎」も、子どもファーストなので放置プレイ状態です。
 次いで、園内限定免許で走っていたダットサンベビーの捜索。
 居ました。隙間からカメラだけを差し入れて撮影。
 この土台は、黒川紀章設計の「アンデルセン記念の家」のものらしい。アンデルセン、東屋になっています。
 唐突にあった「無名のスカウト戦士」の像。調べてみると、一旦は米軍に拒否された田奈弾薬庫の返還に際し、ボーイスカウト人脈による逆転劇が演じられたらしい。
 イサム・ノグチの遊技類。これには、説明板がありました。やはり、子ども達が遊んでこそ。
 1960年代初めの航空写真。
 1/3000地形図 昭和30年1月、横浜市作成。画像クリックでリンク先へ。
 28.17km、歩き 5.8km。

LABELS


mail: boso.cycle@gmail.com