(往路)鶴川駅~秦野駅、(復路)愛甲石田駅~新百合ヶ丘駅を輪行。タイムは、KHS F20系の 1.5倍かかりましたが疲労感はありません。計測せずに、ゆっくり走るのが肝要か。 |
小蓑毛の鳥居。ここから大山の神域。 |
菜の花台で大休止。 |
菜の花台展望台から。 |
無事、到着。 |
下りは、insta360 をザックに刺してダウンヒル。チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」より「ポロネーズ」(4:48) |
TOTAL 65km |
東京野良スリバチ学会r、3年前からお蔵入りしていたと言う「玉川上水を蛇行させた凹地形を巡る」に参加しました。総勢40名あまりで、明大前スタート。コロナ禍以来。久しぶりにお会いする方も多くいました。 |
井の頭線は、目黒川水系と神田川水系の境界尾根を切り通しで抜けています。 |
井の頭線の切通し。京王線は背中側。 |
明大は火薬庫だった。地図記号 M は陸軍、火は火薬庫。共に廃止となった記号。 1/20000「中野」「世田谷」明治42年測図、大正2年製版 + 干渉色標高図を、全国Q地図で描写。 |
玉川上水跡。玉川上水は、江戸初期に築かれた上水道。多摩川の羽村から四谷までの全長42.74km、高低差92.3m。1974年、分水の三田用水を含め廃止。 |
玉川上水跡。下水処理水を使用して水流を復活させた箇所。 |
標高を保つため屈曲する玉川上水、三田用水。 |
屈曲部にあった南ドンドン橋。地図は東京都首都整備局(1961)1/3000 |
解散後の夜の部は十二社から歌舞伎町へ。 |
十二社(十二双)は、江戸初期に神田川へ注ぐ谷戸に設けられた用水溜。享保年間(1716~35)からは池のほとりの景勝地として賑わいました。 |
明治以後は花柳界として栄え、最盛期には料亭・茶屋100軒、芸妓300名。ボート、屋形船のある行楽地でした。 |
正面が十二社の池跡。埋め立てが全て終わったのは1968年。 |
最後は新宿歌舞伎町。東急歌舞伎町タワーは2023.4 開業。 |
歌舞伎町の空はせまい。 |
15.7km |
地理空間関連の展示会「ジオ展2023」と品揃えに特色の有るフラヌール書店のはしご。 |
都心も都心、虎ノ門ヒルズ森タワーの駐輪場。なんと、5時間まで無料。 |
ジオ展会場の城山トラストタワーへ。 |
城山トラストタワー19Fから、「麻布台ヒルズ」プロジェクト現場。 |
元は、我善坊谷。巨大なランドスケープは、イギリスのトーマス・ヘザウィック氏がデザイン。 |
スウェーデン大使館など。 |
肝心のジオ展会場。リアル開催は4年ぶり。盛況です。知り合いも多数。 |
地図ラーの会、小川会長のプレゼン。安定感があります。 |
西久保八幡神社。我善坊谷再開発に先立って新社殿が出来上がっていました。 |
森タワーの駐輪場にもどり、五反田、不動前のフラヌール書店へ。途中、上大崎北郵政宿舎の「逓信省の境界石」 |
フラヌール書店到着。 |
目当ては「暗橋で楽しむ目黒・品川さんぽ展」ここでも知人に遭遇。 |
目黒通りを走り、遅い昼食は上野毛の「蕎麦はやかわ」 |
上野毛稲荷神社。記憶にないので、初めてかも。 |
50km |
滝坂道は道玄坂で大山道から分岐し武蔵国府のあった府中へ向かう古道で、滝坂で甲州街道と合流します。 |
道玄坂からスタート。近頃は裏渋谷などと呼ばれています。東京都作成 1/3000(1962)全国Q地図より。 |
今は市街地の幹線道や生活道となっています。目黒区と世田谷区の境界が滝坂道。駒場地蔵尊。 |
北沢川に架かっていた大石橋。 |
大石橋親柱。 |
淡島交差点あたり。東京都作成 1/3000(1962) |
世田谷区に入り、左:若林、右:代田。境界が滝坂道。 |
豪徳寺にある案内板。 |
滝坂道を30m逸れると、保存問題で話題の尾崎行雄旧宅。 |
共に滝坂道。右がメイン、左がおそらく、より古い道。 |
経堂駅近くの道標。南 ふたこ道 西 ふちう道 北 たかいど道。 |
左右合流し八幡山の八幡社。 |
仙川に下り上祖師谷神明社の石橋供養塔。 |
切通しの京王線を跨ぐと、旧線跡地。この先が滝坂で、その先は甲州街道となります。 |
滝坂集落到着。馬宿だった川口屋。 |
内田平和堂は、元まんじゅう屋。 |
滝坂の説明板。 製作者の内田さんから生のお話しを伺えました。 |
40km |