| 松之木の微高地から。長島輪中の北端に輪中ドーム。木曽川の流れていた場所はミニゴルフ場になっています。 |
| 国交省の木曽川文庫。オランダ人土木技師デ・レーケの銅像。展示されている旧閘門ゲート、今日は近づけません。 |
| 船頭平閘門(せんどうひらこうもん) |
| 木曽川の方が水位が高い。 |
| 長良川大橋を渡り岐阜県入り。3県県境は長良川の中央部なので、歩きでは行けません。 |
| 治水神社。薩摩藩による宝暦治水(1753年、幕府が命じた御普請御手伝役)で自死した総責任者平田靱負(ひらたゆきえ)を祀る。創建は新しく昭和13年。 |
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木曽三川公園の展望タワーから。 東側、名古屋方面。足元は長良川、木曽川。 |
| 北側、大垣方面。 |
| 西側、多度方面。揖斐川。 |
| 南側、桑名方面。足元から延びるのは、油島千本松締切堤。 |
| 木曽三川公園脇の旗置八幡。本殿が高い位置にあるのがわかります。 |
| 長良川大橋を渡り、木曽川の立田大橋から。河川敷の東海公園は水没しています。 |
| 明治の治水工事で締め切られた佐屋川跡。自然堤防の跡が残っています。左は海部幹線水路(あまかんせんすいろ)。 |
| 佐屋駅に着いたのは日没後。名鉄のシート角度は攻めています。 |
| 長い歩き 28.3km |
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京都の定宿を3泊取っているので、それに絡めてJTB新幹線パックを取ろうとしましたが京都絡みは取れず。名古屋往復+亀山1泊とし、帰路に鈴鹿峠を走るルートを設定しました。今回は、京都散策がメインなので、フラットペダルの F20-T2 で走ります。 新横浜 6:52発 のこだまで名古屋へ。名古屋着 9:15、名古屋城を一周りして北西へ向かいます。 |
| 名古屋駅東口(新幹線側)から西口へ抜けると「ノリタケの森」。1933年に建てられた陶磁器焼成用 トンネル窯の跡。 |
| 次いで名古屋城。来たことあるはずですが、記憶はぼんやりしています。 |
| 清州城は、想像で作った偽物です。旧道を交えながら一宮へ。三菱東京UFJの元正面は、今は裏通りの旧道に面していたのが分かります。参道はアーケード商店街になっています。 |
| 尾張一宮、真清田(ますみだ)神社。愛知県には、豊川市に三河一宮の砥鹿(とが)神社があります。 |
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木曽川を濃尾大橋で渡り岐阜羽島。橋の袂では「両輪で走る新朝鮮通信使」のメンバーと遭遇。2013年には、京都宇多野YHで「21世紀の朝鮮通信使」(こちらは歩き)と同宿になったことがあります。 岐阜羽島駅前では大野伴睦夫妻の見守るなか、秋祭りが。岐阜羽島が街になった訳ではなく、竹鼻町の祭りを広い駅前で行うようになったとのことです。 長良川を新幹線橋と隣接する羽島大橋で渡り安八町(あんぱちちょう)。輪中は河口近くのものと思っていましたが、この辺りも輪中地域のようです。 |
| 揖斐川を大垣大橋で渡り大垣市。 |
| 大垣市は飛び地で3つに分かれています。大垣城は戦災で焼失再建。大垣では、台湾の頭城でたまたま並走したKさんと再会。FBの効用です。Kさんの案内で、住吉灯台。江戸期から水運で栄え、1951年まで蒸気船の定期航路で桑名と結ばれていました。 |
| 一度、部分的に走っている関ヶ原を越え、夜間走行で大垣、新快速で京都。そのまま直行した塩小路の新福菜館本店が行列で、涙をのみました。 |
| 80.68km + 13.00km(新横浜まで) |
標高グラフ付きの大きな地図を見る青春18切符のルートを考えていると、徳島まで余裕でいけることが分かった。そして、その余裕部分をやりくりすると、関が原で3時間確保できることも分かった。 武蔵溝ノ口 5:05 - 垂井(大垣の1駅西) 12:49 醒ヶ井(米原の1駅東) 15:40 - 徳島 23:27 |
今回走る中山道は、R21の旧道が50%、R21に埋没しているのが20%、舗装はされているが、古い道筋が残っているのが30%ほどである。走り出してすぐに垂井一里塚を越え さらに2Kmほど行くと、徳川家康が最初に陣を張った桃配山の麓に着く。 道は、コース取りといい、傾斜といい、いかにも街道。 そこからまた 3Kmほどで、今度は壬申の乱で大海人皇子軍と大友皇子軍が対峙した藤古川を渡る。 不破の関跡は、なにも無かった。 |
自転車で走るに気持ちいい柏原宿を越え、醒ヶ井(さめがい)宿に入ると、関西では有名な名水が湧いているらしく観光客が大勢いる。三島の柿田川風だが、こちらは水辺に近寄れる。 源泉でボトル満タンいただきました。 JRを11本乗り継いだが、遅延は一本も無し。 22.77Km。 |
























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