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西千布遺跡から南下。佐賀城跡には県庁や佐賀西高校があり、本丸跡には木造復元建物としては全国最大級という佐賀城本丸歴史館が建てられています。城を抜けた後は、徐福サイクリングロードを走ります。 徐福は秦の時代、不老不死の霊薬を求めて東方に向かった伝説の人で、佐賀を含め日本各地に伝承があります。 |
| 自転車道は民営化直前の1987年に廃止された国鉄佐賀線跡。 |
| 駅舎、ホームも残っています。 |
| 秀美な筑後川橋梁も走れます。(月曜閉鎖、毎正時に昇降) |
| この日は月曜だったので迂回し対岸へ。 |
| 干満の大きい有明海に近く、河原は泥です。水郷地帯をたどり柳川入り。お堀めぐりで有名な柳川ですが、清流ではありません。 |
| 予約している御花到着。正門から入りチェックイン。 |
| 40室に満たない小さなホテルです。ベランダからは松濤園、東庭園が望め、お堀からは船頭の唄う・・ドラえもんが・・、台湾からのお客さんでしょうか。 |
| 御花は柳川藩主立花家の邸宅。西洋館は明治43年に迎賓館として建てられました。 |
夕食は宿で勧められた鮮魚店併設の夜明茶屋で有明海御膳。ホテルの部屋には思い出帳と筆ペンがあり、一部の例外を除き、達筆に思いがしたためられていました。
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| 夕暮れの松濤園。 |
| 67.15km AV13.2km/h,5:03:34 |
| 標高グラフ付きの大きな地図を見る |
| ブリヂストン通りから筑後川左岸の久留米城址、今は有馬記念館と篠山神社。二の丸、三の丸はブリヂストン久留米工場の敷地になっています。 |
| 筑後川を渡ると、すぐ佐賀県ではなく、蛇行していた筑後川本流跡まで福岡県。 |
| 肥前国一宮、千栗(ちりく)八幡宮の参道も、かつては筑後川本流に続いていたはずです。 |
| 今日も午前中は古代官道めぐり。地図は「地図でみる西日本の古代」(平凡社) |
| 左下は吉野ヶ里歴史公園内なので、手が入っていると思います。吉野ヶ里遺跡は、再現建屋が盛りすぎてると思うので入りませんでした。 |
| 神埼市に入り、初めて古代官道の案内標識に出会いました。一本ずれた道で、感慨に耽っていたわけでなさそうです。いずれにせよ、似たようなもんですが。 |
| これは本で見た気がする道跡。 |
| 西千布遺跡。ここは佐賀県教育委員会により、道路痕跡と土坑が確認されています。 |
| 太宰府天満宮はチラ見で南下。傾斜を感じさせない針摺峠は玄界灘と有明海の分水界。筑豊本線原田線は単線非電化です。 |
| 筑後川水系宝満川(ほうまんがわ)の河川跡と思われる地割。 |
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まばらな灌木のように見えた植生は水田でした。度々見かけ、土地の人に尋ねると「タニシに喰われた」とのこと。 <田植え直後の柔らかい稲苗を食い荒らすジャンボタニシは南米原産で、1980年代に養殖目的で導入されたが、食用として定着せず放置されて野生化した> |
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後半の目的は「古代官道」西海道筑後路のトレースです。中央集権国家が成立した律令期に造られた官道で、幅10m前後の直線道が都と結ばれていました。 平野にまっすぐ延びる佐賀県、福岡県の県境は、その道跡とみられています。左側の地図は「地図でみる西日本の古代」(平凡社) |
| 今の道は官道とは構造的には無関係で、当時を忍ばせるものは何もありません。唯唯、位置だけ。 |
| 斜めに延びるのが肥前/筑後の国境、佐賀/福岡県境にして西海道筑後路跡。1200年さかのぼれます。 |
| ちょうど農作業をしていたご夫婦とお話しました。福岡県側の人で、現在も農地は県境で持ち主が分かれ、「あっちは佐賀の人や。水の管理が・・・」とのことでした。 |
| 広い道にぶつかると、ドンピシャ県境。 |
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宿は福岡県側の久留米。鳩山邦夫元総務相の死去に伴う衆院福岡6区補選中で、この日は大物議員の応援の告知が多数ありました。 夜は宿で勧められた久留米ラーメン大砲で "ラーメン" "昔ラーメン" の食べ比べセット。超人気店とのこと。カウンター隣の若い女性2人連れが、「かた、バリかた」で注文し、二人共「替え玉」。食べ比べセットの素人はビビっていました。 |
| 55.32km AV13.2km/h,4:10:31 |






























