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| 昨夜は、京都へ来るたびに行く都野菜 賀茂で "おばんざい バイキング" 完全に食べ過ぎ、宿で胃薬をもらう始末。 |
| 京都最後の朝は、箱物として避けていた西本願寺。 |
| 見たい飛雲閣は、ごく一部しか見えません。 |
| 七条通を歩き、これまた箱物として避けていた三十三間堂。内部は撮影不可。 |
| 広角21mmでも、ここまで。 |
| 次いで、大和大路通から新麩屋町通、新車屋町通を北上し、京都市歴史資料館。ここでも、京都通史的な街並み変遷の展示はありませんでした。通りの並びには、新島襄旧邸。 |
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寺町通で河原町まで戻り、阪急で梅田へ。初めて乗りましたが、JRより安く速さも遜色ありません。頭端式ホームが並ぶ梅田で待ち合わせた某国の某嬢に「大阪ならこれ」と勧められ、お好み焼き。 自転車抜きで通した今回の京都、歩き疲れて最後は息切れぎみでした。 |
| 10km(歩き) |
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桂離宮参観後、松尾大社へ。 京野菜と米を売っていた青年は、代々農家で一代飛ばして、農家を継ぐことにした。桂川の河川敷は、土が肥えており、いい野菜が採れる。 ブランド力のある京野菜ですが、現地で買うと安い。 上桂の鎮守社 御領神社から延喜式名神大社 月読神社。 |
| 次いで、渡来系の秦氏を祀る松尾大社。 |
| 狂言「福の神」によると、松尾神は「神々の酒奉行」とのこと。 |
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桂川を左岸に渡り、四条通を歩くと梅宮大社。橘氏の氏社で、神社本庁に属さない単立神社。 梅津段町で昼食。京都、実はこじゃれてない飯屋、たくさんあります。定食730円。 |
| 太秦朱雀町の道路脇に唐突に現れる墓地。「朱雀墳墓地(ちびっこ広場等をふくむ)は、常楽寺、無量寺、西光寺、本瑞寺、願正寺の所有で・・」との「告」がありました。 京都、恐るべし。 |
| ほどなく平安京遷都以前から存在した、京都最古の寺院、広隆寺。 |
| 太子道に分かれ木嶋神社(このしまじんじゃ) 正確には木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ) |
| 蚕の社ですが、ここには三柱鳥居(みはしらとりい)が。京都、恐し。 |
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太子道をたどろうと、通りがかったおばさんに尋ねると、長話になりました。 「太子道なんて聞いたことがない。この道は旧二条通」 「浜美枝さんが、あそこの屏のある家に下宿していた」 「吉永小百合さんも歩いていた」 「撮影所が燃えた時は、ぼんぼん爆発した」 「秦政権のころは、この辺が中心だった」 (羽田政権??と思いましたが、平安京以前の話だった) 「今は京都の外れだから天皇はんの墳墓がある」 (行ってみると、宮内庁管理だが、墓ではなく後宇多天皇髪塔。50年住んでるって言ってんだが) |
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最後は、佐井通を南下し、西大路三条から京福電鉄嵐山本線で終点の大宮まで乗り、五条大宮の宿まで帰りました。
18km(歩き) |
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| マラソン翌日は、事前に申し込んでおいた京都御所の観覧へ向かいます。昨日は快調だったLさんの歩きがロボット状態で、広い御苑で受付が遠い。。京都マラソンを走った台湾人と言うことで、少しお目こぼし? で、受付に間に合いました。 |
| 京都駅で関空へ向かう彼らと別れた後、西本願寺の龍谷大学、大宮キャンパスへ。ここ重要文化財の建造物が目白押しです。 |
| 次いで、平安京朱雀大路跡(今は狭い路地)、千本通を歩き、平安宮跡(何も無し)から京都アスニーへ。今回の京都は自転車無しなので、時間をとる見学箇所を重点的に回ります。 |
| 京都アスニー「平安京復元模型」 1/1000だが大きい。双眼鏡が欲しい。 |
| 20.0km(歩き) |
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| 台湾の友達が京都マラソンを走るので、応援+撮影に行きました。2012年の東京マラソンでは、途中でとらえることができずゴール地点のみの撮影になったので、今回は持ちタイムから周到に準備しました。 |
| ルート図。 |
| 2012年の東京マラソンでは、遅延が大きくて使えなかった途中ラップのWeb開示もスムースで、位置の把握も正確にでき、三脚を使った動画、手持ちでの静止画ともうまく撮ることができました。 |
| フィニッシュを見届けた後、京都国立博物館。撮っていいのは、Tatemono と Tabemonoだけ。 |
| 豊国神社、耳塚。一度ホテルへ帰って画像を整理してからのお疲れ様会まで、ひたすら歩いたので、総距離は22.1km、ハーフマラソンでした。 |
| 22.1km(歩き) |
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全線押しとなった山科の醍醐寺側からの峠越え(2015.10.28)ルートですが、この道、京都府道782号線です。旧版地図から変遷をたどってみることにします。 取付きは車道とは思えませんが、なぜか車両通行止めの標識があります。 |
| 斜度、線形とも一般車両では無理めですが、道幅は3m以上あります。押しっぱなしですが、担ぎ箇所はありません。 |
| 上部まで来ると、傾斜もゆるやかに。路盤はしっかりしています。 |
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1/20000「膳所」明治42年測図、大正1.8.25発行。近代地図としては最初のものです。明治43年図式では、里道、連路の記号です。(大正6年図式では道幅1間以上とされる地図記号) 現在の感覚では、山道(小径)ではなく、林道と言う感じでしょう。 |
| 1/25000 「京都東南部」昭和6年部修、昭和7.10.30発行。道のグレードが上がり、おそらく「県道及びこれに準ずるもの」に格上げされています。道路としての官位は上がっていますが、土木的な規格は読み取れません。 |
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1/25000 「京都東南部」昭和39年修正、昭和40.4.30発行。昭和30年図式で、道路記号が土木的表現に変わっり、道幅1.6m以上の小型自動車道となりました。ルートも変わり、一部つづら折れが直線的になっていますが、上部の線形はゆるやかになっています。四駆のチャレンジャーなら抜けられたかも知れませんが、当時の乗用車では、無理めでしょう。 現状の道は、このころ開削されたと思われます。横峰峠の東側に新たな道がつくられています。 |
| 1/25000 「京都東南部」昭和45年修正、昭和47.4.30発行。道の線形が変わりましたが、等高線もかなり変わったので精度が増しただけでしょう。東側の幅員が広がり、峠東西の道路規格が逆転しました。 |
| 1/25000 「京都東南部」昭和54年改、昭和56.9.30発行。取付き部と中腹で道の線形が変わりました。このころ最後の改修が行われたと思われます。 |
| 1/25000 「京都東南部」昭和61年修正、昭和62.7.30発行。全く変わっていません。 |
| 1/25000 「京都東南部」平成9年部修、平成9.10.12発行。平成になっても全く変わっていません。車道にする気は、なさそうです。 |






















































