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DAHON K3

DAHON K3
2019年購入。14 inch,7.8kg,3速。

KHS F20-R451

KHS F20-R451
2015年、台北で購入。そのまま阿里山、塔塔加へ。

KHS F20-T3

KHS F20-T3
2012年、台北で購入、そのまま中部横貫公路越え。

Bianchi Lupo

Bianchi Lupo
イタリア製と思いきや台湾製。基本パーツはSHIMANO TIAGRA。クロモリです。

KHS F20-T2

KHS F20-T2
2009年、台北で購入、そのまま一周。けっこう走れます。2019年、退役。

mayfly 2

mayfly 2

MARIN Pine Mountain

MARIN Pine Mountain
1992年 米国製。SHIMANO DEORE DX は25年間ノートラブル。2017年、退役。
 
 

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 このごろベトナム料理のお店も増えていますが、ここは "おこわ" 専門店。荻窪のYさんをお誘いして高円寺までプチ遠征してきました。
 地図ルートの直線は、トラッキング・エラーではなく、多摩川北岸の砧浄水場から高円寺の南まで延びる荒玉水道道路です。
 高円寺北口あづま通り商店街。高円寺純情商店街のすぐ近くです。
 ベトナム料理と言えばフォーですが、おこわも現地ではよく見かけます。私がいただいたのは、xôi gấc 。微妙な甘さを絶妙に現わしています。
<現地で食べたおこわ>
 これは、ホーチミン市の南、サイゴン川をフェリーで渡ったTran Quang Dao 特産の虹色おこわ。派手な色ですが、全て天然素材とのこと。微妙な甘さがくせになり、2013/1/9 と 2014/5/17 の2回食べに行ってます。
 ホーチミンとミトーの中間、Tan Anでの"あずき"の"ちまき"。これも街の名物のようで、ちまきを売る店が並んでいました。
 ダラットからカムランへのQL27B(国道27B)の田舎町で、自転車で売り歩いているおばちゃんから買ったもの。これは、いまいちでした。
 サパから西に下ったQL4D と QL32 の分岐にある茶屋。まあまあの味。店のおばちゃんには、「この先、店が無いから、もう一個買ってけ」と言われたが買わなかった。言葉は通じないのに、何故会話できたのかは謎です。
 43.32km

France Annecy の街角
 ママチャリが無い分、普通に見かける自転車は質実剛健。センタースタンドが多かったです。
 リアディレイラーも質実剛健。 変速機のない自転車は、見なかった気がします。
 チャイルドトレーラー、何度も見かけました。特に珍しくありません。
 フランス、アヌシーのレンタサイクル屋。そこそこの観光地なら、借りられると思います。
 現役の、自転車オートバイ。
 ラルプ・デュエズには、やはり高級車が並びます。ここは特別ですが、街中での高級車率は日本が突出しています。
 私が走った地域での2~3星ホテルは、サイクルツーリストが2~3割なので、どこも自転車置き場がありました。庭の物置や地下室、空気入れもあります。
 自転車屋。敷居の高いプロショップ、頑固親父の職人店等々、日本と同じです。

大森貝塚

2014年10月19日日曜日

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 けっこう近いんだ、と言うことに気付き、教科書に載っていた大森貝塚へ。
 中原街道を旗の台で東に曲がり、伊藤博文公墓所を過ぎると大井。昔は町工場が多かったあたりです。
 秋祭りの季節なので、先週の枚岡神社(河内国一宮)の秋郷祭に続き、大井鹿嶋神社の大祭に遭遇しました。河内では大勢いた若衆がまったくいません。
 池上通りに転ずると、すぐ品川区立大森貝塚遺跡庭園。モース博士がいました。地層っぽい背景はコンクリートのダミーです。
 汽車の窓から貝塚を発見、とのことなので、このあたりか。
 次いで、大田区の大森貝墟(かいきょ)。品川区の遺跡庭園からは300mほど離れています。こちらは、碑のみ。
 「貝塚碑<品川区>は1929年(昭和4年)11月に、貝墟碑<大田区>は1930年(昭和5年)に相次いで建てられた」とのことなので、揉め事があったのは間違いなさそうです。
 その後の調査で、1984年までには品川区側に軍配が上がっているようですが、
◆品川区の姉妹都市:米国メイン州ポートランド市(1984年)
 モース博士の生誕地がポートランド市であるという、歴史的なつながりを機縁として交流を進めました。
◆大田区の姉妹都市:米国マサチューセッツ州セーラム市(1991年)
 モース博士は、セーラム市にあるピーボディー科学アカデミーの館長でした。博士の結ぶ縁により昭和59年、大田区立郷土博物館とピーボディー博物館が姉妹館提携をし、それが発展して、平成3年大田区とセーラム市は姉妹都市となりました。
 地名の大森は大田区なので、大田区側もやめられないようです。

 帰路は、尻手黒川通りから川崎市、横浜市境の小径を走ってみました。局所的に急傾斜の山間部です。地図は1958年ごろの1/10000。
 41.17km

暗越奈良街道

2014年10月14日火曜日

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 今回の関西行の最後は、急坂で有名な暗峠(くらがりとうげ)越えです。
 明治以降は、船場の高麗橋東詰が起点となりましたが、元は難波と平城京を最短距離で結ぶ道とのことなので、大阪城の南に面する難波宮跡公園から走り始めます。大阪側では新しい道標や案内板が数多くありました。
 明治期の1/20000地形図では、河内の田んぼの中を東西に走る街道が、河内国一宮の枚岡(ひらおか)神社まで延びているのがわかります。
 御厨(みくりや)、水走(みずはい)と、由緒ある地名をたどって行きます。
 東大阪市箱殿(はこどの)では、枚岡神社秋郷祭宵宮祭の「布団太鼓台」の村入(工場めぐり)が行われていました。翌日の宮入(神社への奉納)にかけて、たいへん賑わう河内最大の祭りのようです。
 このあたりは町工場が建ち並んでおり、太鼓台は全部で23台繰り出すとのことです。太鼓台には細かな細工が施されています。上に伸びる中空の座布団はホーンスピーカーの機能を持ちます。
 神社を過ぎると噂通りの激坂が現れます。生駒山地の稜線へ真っ直ぐに延びる道。国道308号線です。
 押さずに上ろうという気は、すぐなくなりました。
 峠は石畳。峠の茶屋には、自転車乗りのノートがあり、坂バカの悲痛な声(笑)が多数残されています。 茶屋は奈良側なので、「うちは生駒の火祭」とのこと。なお、生駒神社の正式名は「往馬坐伊古麻都比古神社(いこまにいますいこまつひこじんじゃ)」
 急坂を下り、大和郡山への峠を戻り直すと奈良盆地。垂仁天皇陵、平城宮跡を経て、木津で京都入り。
 木津川を有料橋(自転車10円)で渡り、巨椋池干拓地を縦断。
 最後は京阪国道(国道1号線)から八条通で京都駅着。初日と同じ新福菜館本店で中華そばを食べ、夜の新幹線で帰路につきました。
 79.31km、6:18

大阪市内散策

2014年10月13日月曜日

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 「地図の旅愛好会」の巡検で訪れた大阪ですが、台風による滞留もあり都合4泊することになりました。 その間、自転車は乗らずじまい。巡検で歩いた船場あたりを含め40km以上歩いたことになります。
 観光で来た記憶がなく、大阪城を始め、市内は初見となります。
 大坂城天守は1665年焼失、1931年(昭和6年)再建。豊臣時代、徳川時代の天守が短命だったため、昭和の天守が最長。上町台地の先端部で、大川(旧淀川)を臨む北側は急坂。
 "逆走" 当たり前、の大阪ですが、駐輪場(最初の1時間無料が多い)は至る所にあります。
 四天王寺、阿倍野あたり。
 船場、梅田界隈。このあたり、背割地名です。
 心斎橋、難波から通天閣。最後は、上町台地への口縄坂。
 台風が来るので屋内施設の大阪歴史博物館へ行きましたが、暴風警報発令により臨時休館。風には強そうな建物に見えますが。クロネコは配達中、コンビニも24時間営業中なのに・・。しかたなく、鶴橋まで歩き焼き肉ランチ。ホルモンとんへは、貸店舗の札がかかっていました。

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 先ずは、国宝二条城、二の丸御殿。ホテルの部屋から屋根が見えていた建物です。大政奉還は、ここで行われました。
 大勢の外国人観光客が来ていました。ガイドの説明だと、将軍がここで執政していたように思った人も多いように感じました。
 千本通りを鳥羽まで南下します。二条駅前では片側二車線の広い道路ですが、千本三条からは一車線の一方通行になります。京福電鉄嵐山線のガードをくぐり、JRに分断される梅小路で大宮通りまで迂回して、また元の道に戻ります。
 鴨川を渡ると、鳥羽伏見の戦い勃発地点。千本通赤池で南西へ転じ、再度鴨川、桂川を渡ると久我畷が始まります。久我畷は、平安京羅城門から南下する「鳥羽作り道」と山崎駅を結ぶ南西方向への直道で、下植野南遺跡では道路幅 9mの側溝が発掘されました。
 明治42年測図の1/20000迅速測図では、官道時代から踏襲された道が明瞭に残っています。
 途中、名神高速道に阻まれますが、できるだけ真っ直ぐ走ってみることにします。
 最後は怪しくなりますが、土地の境界となっていそうです。土地登記簿の一筆(検地帳の区画)の違いは、元の道路によるものではないでしょうか。
 山崎からは、山陽道(西国街道)となります。近世風のうねった道を走っていると、「櫻井駅跡」の広場が現れます。律令期の駅家跡のはずですが、説明板の記述は、標題以外、楠木正成一色です。隣にある、島本町立歴史文化資料館にも入って見ましたが、ここにも駅家跡の説明は皆無。
 心配です、大阪府島本町教育委員会。
 高槻、茨木を経て、吹田。大阪の記憶は千里ヶ丘の万博から始まりますが、地名としての、
吹田市千里丘、千里山、千里万博公園
摂津市千里丘、南千里丘
豊中市新千里
に加え、阪急千里線の北千里駅(吹田市古江台)、南千里駅(吹田市佐竹台)、千里山駅(吹田市千里山) さらに公園名や交差点(信号)名にも乱発されており、極めて難解です。
吹田市千里山(せんりやま)は、元々 "ちさとやま" のようです。

 府道14号線高浜橋で、安威川(あいがわ)と合流した神崎川を渡り大阪市東淀川区。淀川を長柄橋で越え北区、天神橋で大川を越え中央区大手通の宿に到着。
 天神橋には、中之島へ下りるスロープがあり、親自転車に驚きました。
 今日は自転車での初大阪です。夕日と夜景も美しく、大阪の印象が幾分改善しました。
 64.57km、4:36

LABELS


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