今回の関西行の最後は、急坂で有名な暗峠(くらがりとうげ)越えです。 明治以降は、船場の高麗橋東詰が起点となりましたが、元は難波と平城京を最短距離で結ぶ道とのことなので、大阪城の南に面する難波宮跡公園から走り始めます。大阪側では新しい道標や案内板が数多くありました。 |
明治期の1/20000地形図では、河内の田んぼの中を東西に走る街道が、河内国一宮の枚岡(ひらおか)神社まで延びているのがわかります。 |
御厨(みくりや)、水走(みずはい)と、由緒ある地名をたどって行きます。 |
東大阪市箱殿(はこどの)では、枚岡神社秋郷祭宵宮祭の「布団太鼓台」の村入(工場めぐり)が行われていました。翌日の宮入(神社への奉納)にかけて、たいへん賑わう河内最大の祭りのようです。 |
このあたりは町工場が建ち並んでおり、太鼓台は全部で23台繰り出すとのことです。太鼓台には細かな細工が施されています。上に伸びる中空の座布団はホーンスピーカーの機能を持ちます。 |
神社を過ぎると噂通りの激坂が現れます。生駒山地の稜線へ真っ直ぐに延びる道。国道308号線です。 |
押さずに上ろうという気は、すぐなくなりました。 |
峠は石畳。峠の茶屋には、自転車乗りのノートがあり、坂バカの悲痛な声(笑)が多数残されています。 茶屋は奈良側なので、「うちは生駒の火祭」とのこと。なお、生駒神社の正式名は「往馬坐伊古麻都比古神社(いこまにいますいこまつひこじんじゃ)」 |
急坂を下り、大和郡山への峠を戻り直すと奈良盆地。垂仁天皇陵、平城宮跡を経て、木津で京都入り。 |
木津川を有料橋(自転車10円)で渡り、巨椋池干拓地を縦断。 |
最後は京阪国道(国道1号線)から八条通で京都駅着。初日と同じ新福菜館本店で中華そばを食べ、夜の新幹線で帰路につきました。 |
79.31km、6:18 |
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