けっこう近いんだ、と言うことに気付き、教科書に載っていた大森貝塚へ。 中原街道を旗の台で東に曲がり、伊藤博文公墓所を過ぎると大井。昔は町工場が多かったあたりです。 秋祭りの季節なので、先週の枚岡神社(河内国一宮)の秋郷祭に続き、大井鹿嶋神社の大祭に遭遇しました。河内では大勢いた若衆がまったくいません。 |
池上通りに転ずると、すぐ品川区立大森貝塚遺跡庭園。モース博士がいました。地層っぽい背景はコンクリートのダミーです。 |
汽車の窓から貝塚を発見、とのことなので、このあたりか。 |
次いで、大田区の大森貝墟(かいきょ)。品川区の遺跡庭園からは300mほど離れています。こちらは、碑のみ。 |
「貝塚碑<品川区>は1929年(昭和4年)11月に、貝墟碑<大田区>は1930年(昭和5年)に相次いで建てられた」とのことなので、揉め事があったのは間違いなさそうです。 |
その後の調査で、1984年までには品川区側に軍配が上がっているようですが、 ◆品川区の姉妹都市:米国メイン州ポートランド市(1984年) モース博士の生誕地がポートランド市であるという、歴史的なつながりを機縁として交流を進めました。 ◆大田区の姉妹都市:米国マサチューセッツ州セーラム市(1991年) モース博士は、セーラム市にあるピーボディー科学アカデミーの館長でした。博士の結ぶ縁により昭和59年、大田区立郷土博物館とピーボディー博物館が姉妹館提携をし、それが発展して、平成3年大田区とセーラム市は姉妹都市となりました。 地名の大森は大田区なので、大田区側もやめられないようです。 帰路は、尻手黒川通りから川崎市、横浜市境の小径を走ってみました。局所的に急傾斜の山間部です。地図は1958年ごろの1/10000。 |
41.17km |
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