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DAHON K3

DAHON K3
2019年購入。14 inch,7.8kg,3速。

KHS F20-R451

KHS F20-R451
2015年、台北で購入。そのまま阿里山、塔塔加へ。

KHS F20-T3

KHS F20-T3
2012年、台北で購入、そのまま中部横貫公路越え。

Bianchi Lupo

Bianchi Lupo
イタリア製と思いきや台湾製。基本パーツはSHIMANO TIAGRA。クロモリです。

KHS F20-T2

KHS F20-T2
2009年、台北で購入、そのまま一周。けっこう走れます。2019年、退役。

mayfly 2

mayfly 2

MARIN Pine Mountain

MARIN Pine Mountain
1992年 米国製。SHIMANO DEORE DX は25年間ノートラブル。2017年、退役。
 
 

神奈川中部の地味な県道

2013年6月30日日曜日

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 神奈川県の山と言うと丹沢と箱根になりますが、秦野盆地の南、酒匂川と相模川の間に低山が続いています。一度も足を踏み入れてない地域なので、地味な県道をたどって走ってみることにします。
 R246 を走り、ヤビツへ折れる名古木の交差点を直進し渋沢へ。R246は酒匂川支流の川音川に沿って松田へ抜けますが、ここで山越えの県道706号線へ向かいます。
 なかなか良さげな線形です。
 三嶋神社の椎木の巨木をくぐり篠窪トンネルを抜けると、ちょうど大井松田ICの上で視界が開けます。正面は箱根山。
 東名の脇まで下り県道77号平塚松田線へ。
 雑色には8世紀に作られた横穴が18基密集。新中井トンネルの横には1935(昭和10)年竣工の中井隧道。まー、地味です。
 金目川(かなめがわ)を土屋橋で渡り県道62号線へ。ここまでくると、普通の道です。
 その後は県道605号線を北上、県道22号線の戸沢橋で相模川を渡り、最後は県道45号線。これは地味ではなく、いわゆる中原街道です。
 今、地図を見ていて関東大震災の際にできた「震生湖」に行き忘れたことに気付きました。地味な地域ですが、また行く必要がありそうです。
 118.97km

 昨年まではProcycling liveで見ていましたが、ここの Euro Sports が画面が固まらないので比較的よさそうです。
 ただ、ニコニコ動画型なので、簡体字で埋め尽くされます。


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 梅雨の晴れ間。もったいないので、昨日に続いて出走することにします。
 まずは愛川太陽光発電所。神奈川県営初のメガソーラーとして、先月運転を開始しました。
 公式の愛称(と言うのも変だが)は、「愛川ソーラーパーク “さんてらすTOBISHIMA(とびしま)” 」 です。TOBISHIMA(とびしま)の由来がわからず調べてみると、建設を請け負った飛島建設が、ネーミングライツも獲得したことのようです。
 展望広場もあるので、寄り道するにはお勧めです。元は神奈川県警のグランドだったそうです。
 1200kW(最大出力 1896kW)発電していました。
 トンネルをいくつか抜けると宮ヶ瀬ダム。チームで走っている人が大勢います。ダム湖を半周し東南林道へ。
 ゲートがあったので路面を心配しましたが、良好です。
 ほとんどの区域で谷側に電気柵が設置されていました。電線の角度から推測すると、林道まではいいが、それより里側へは入って来るな、ということのようです。尾根への遊歩道には、熊に注意との掲示板がありました。
 串川まで下り、未走の神奈川県道65号線で三増峠を越え、帰路につきます。
 淵野辺あたり。ベトナムのバッチャン焼きかと思ったら、信楽焼きでした。
 93.47km

町田市小野路界隈

2013年6月22日土曜日

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 先週の続きで、プチ山村風景を探しましたが、今回は取りこぼした感じ。
 川崎市麻生区黒川。黒川上営農団地の北側の谷戸田を詰め稜線のシングルトラックを走ると、県境で突然視界が開け多摩ニュータウン(今はオールドタウン)。
 町田市下小山田町。ゴルフ場のグリーン一本ほどの幅で畑と田んぼが続く。小山田緑地とされているところは耕作放棄地と思われる。
 町田市小野路町。主目的の小野路だが、小野路城址の案内板に沿って進むと、山村と言うより山中。おまけに雨も降り出し、航空写真であたりを付けた山村の核心部へは行けず。
小野路城址。
小町井戸:小野小町伝承は、秋田から山口まで数知れずある由。

 44.42km

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 多摩丘陵の先端部にあたる横浜・川崎・町田には、ところどころに小さな山村風景が残っています。
 ペダリング中に、宅地化が迫る丘陵や谷戸に隔離されたような農地に出くわすことがあります。、今日はそんなプチ山村風景をたどってみることにします。
 横浜市青葉区元石川。田園都市線たまプラーザ駅のある美しが丘のお隣です。放水路風に開削された早渕川から覺栄寺への坂を上ったあたりから介護老人施設青葉の丘の裏手へ抜ける400m。
 至近まで宅地が迫ってますが、手の入った美しい竹藪が残っています。
 横浜市青葉区鉄町(くろがねちょう)。桐蔭学園の裏山。ガードレールのある4m道路が山の中を抜けています。周辺が開発される前は、忘れられたこの道が基幹道だったのかも知れません。
 横浜市青葉区寺家町(じけちょう)。谷戸田と呼ばれる一枚幅の田んぼが続いています。写真左の道が東京都町田市との県境。
 川崎市麻生区片平。東京都と神奈川県が入り組んでいるところ。稜線が県境で、南側の崖下が町田市。川崎市が多摩市と町田市に食い込んでいる形だが、そもそも町田市(南多摩郡)が東京都に編入されてわかりにくくなった。
 川崎市麻生区黒川。黒川上営農団地や明治大学黒川農場がある。前方の稜線に見えるのは、東京都多摩市にある国士舘大学多摩校舎。
 東京都町田市真光寺町(しんこうじまち)。畑地も多いが、住居表示化した真光寺1丁目と3丁目に囲まれている。

 46.46km

町田の戦車道路

2013年6月10日月曜日

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 町田市の尾根緑道は、相模陸軍造兵廠で作られた戦車のテストコースで戦車道路と呼ばれていたらしい。
 町田街道を桜美林大学の東で離れ、尾根緑道を走ってみました。
 走行ルートを昭和29年修正測量の地形図に重ねたのがこれ。

 稜線をスラロームしているので、走行テストにはよさげです。

 Webで戦車道路の一次資料を探しましたが、町田市の案内板以上の情報は見つかりませんでした。
 ただ、この文章は悪文の上に、間違った記述「戦後しばらくの間は防衛庁が、同様な目的でここを使用・・」があるのであまり信用できません。

 横浜能見台の六国峠ハイキングコースほどではありませんが、ここも稜線部以外は開削されてます。

 南多摩斎場から西の5kmは車両が入れないので、人がいない時は快走サイクリングコースです。今日は雨ですが(泣)

 鑓水からの復路は尾根の北側を走り、黒川方面への山越えを探索してみることにします。県境の尾根道の「多摩よこやまの道」から小径を下ると・・、川崎市とは思えない農村風景が現れます。
 あいがも農法を行なっているようです。

 63.15km

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 横浜、大さん橋へは 2010年に、日本郵船の飛鳥Ⅱ (50,142t) と商船三井の にっぽん丸 (21,903t) が同時着岸した時に行きましたが、今回のサン・プリンセスは 77,441トン 。
 総トン数は、飛鳥Ⅱの五割増しですが、大きさとしては、全長、全幅とも一割増しの 261.3 m、32.25 m です。
 まずは、赤レンガ倉庫から全景を。
 これだけ大きいと、乗り物でなく建物として見るせいか、圧倒される感じはありません。代々木のドコモビルを横にしたくらいの大きさです。
 ランチは、六角橋のそばで サリサリカリー。 いわゆるカレー味でなく、スパイスにもクセはない。説明しづらいが、普通にうまい サリサリカリー。

 52.59km

引地川と高座 "台湾亭"

2013年6月1日土曜日

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 いつもは厚木に向かい通り過ぎる鶴間から、引地川に沿って南下してみました。R246、東名高速をくぐって細長く続く親水公園ですが、緑は豊かで車道の音がなければ山間を思わせます。
 木の斜張橋なんぞもあります。
 目的地は、台湾亭。大和市の案内板を書き写すと、
 「先の大戦中、将来の航空技師を夢見て、台湾少年工8400名が高座海軍工廠で戦闘機「雷電」の製作に従事しました。工廠は、現在の座間市栗原にあり、寄宿舎は、大和市草柳にありました。
 敗戦により夢破れて帰国した少年工は、その高い技術と精神力により台湾工業化の中核として活躍、1993年6月8日、かれらが「第2の故郷」と呼ぶ大和市を50年ぶりに訪れました。
 この台湾亭は、その時、台湾少年工の同窓組織である台湾高座会から日体の友好親善と世界平和を祈念し、大和市へ寄贈されたものです」

「60年ぶりの卒業式」(2003年、TBS)

 49.41km

LABELS


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