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今日も雨模様。恐山はパスし海岸沿いを大間まで走ることにします。 まさかり(下北半島)の刃に付け根あたりの法呂神社。町内集会所とあったので、公民館的な使い方もされるようです。 |
| 大畑川の三日月湖。地形図では、まわりが水田なので見に行きましたが、水田はなく荒地へ移行中でした。 |
| 平ノ下(へいのした)の浜。風は弱いが波は高い。 |
| 下風呂温泉。未成線で終わった大間線の下風呂駅(候補)の遺構。近年観光用に改修。 |
| 大間線は、戦前は軍事的役割、戦後は青函隧道計画があり断続的に工事が進められましたが、青森駅から津軽半島を北上する西ルートに決定後は放置状態になりました。 |
| 「海が荒れているので、浜に打ち上げられる」 |
| マグロ船。小さくて驚きました。4~5トン級、通常2名で操業とのこと。 |
| 本州最北端。大間崎。大間埼灯台は海上の弁天島に。 |
| 大間の村社だった、大間稲荷神社。 |
| 今日の宿は公設民営の大間町海峡保養センター |
| 大間まぐろ・大間牛食べ比べプラン。1泊2食付で14,020円。 |
| 56.6km、3h56m |
| 小雨の中出発。宿から食料いただきました。お店が無いエリアなので大助かり。 |
| 枝打ち、間伐の手が入ったスギ林。 |
| 大字猿ケ森村の八幡宮。 |
| 棟札。彫り師の名前も入っています。昭和45年とな。 |
| 伐採されて出荷を待つ(たぶん)赤松。 |
| 岩屋漁港を過ぎたあたり。もうすぐ尻屋崎 |
| (大沼一雄;1959) |
| 日鉄鉱業尻屋鉱業所。石灰石を破砕して尻屋岬港から北海道・東北各地へ出荷、地場向けには 砕石・砕砂をダンプで出荷。 |
| 尻屋埼灯台は、1870年(明治2年)初点灯。日本の洋式灯台としては観音埼に次ぐ 2番目。当時の灯台は "埼" を使っていた。 |
| (大沼一雄;1959) |
| 寒立馬(かんだちめ)は、青森県下北半島・尻屋崎で冬季に放牧される馬の総称で、品種は「南部馬系(日本在来馬)」を基にした雑種。 |
| (大沼一雄;1959) |
| むつ市方面へ走り、田名部の斗南藩旧跡。斗南藩が造ろうとしたニュータウン跡地。 |
| 斗南藩庁が置かれた円通寺。 |
| 円通寺近くの宿にチェックイン。 |
| 63.4km、4h25m |
| 三沢基地入り口 |
| 「日本列島地図の旅」の著者 故大沼一雄氏が、1959年にスクーター旅行で撮影したポジフィルムより。(大沼一雄;1959) |
| (大沼一雄;1959) |
| 三沢市繁華街、基地に接した米軍向け住宅 |
| 基地に接した米軍向け住宅(東岡三沢1丁目) |
| 妙に雰囲気が似ている (大沼一雄;1959) |
| 戦前から戦後しばらく砂鉄の採取がおこなわれていた淋代海岸(さびしろかいがん)。海岸砂丘の黒砂(磁鉄鉱)を採取し、八戸へ専用鉄道で運搬して製錬。 |
| (大沼一雄;1959) |
| 小川原湖。 |
| 小川原湖畔の野口貝塚。三沢市歴史民俗資料館のキャラクター「遮光器土偶(のっくうちゃん)」の出土地。 |
| 海岸砂丘+湿地+潟が続く地域。大正期と戦後直後~昭和30年代に大がかりな開拓が行われました。 |
| 谷地頭神社(やちがしらじんじゃ)は戦後の建立。 |
| 小川原湖は淡水湖。出口にあたる高瀬川を渡ると六ヶ所村。わたしが興味があるのは、原子燃料サイクル施設、国家石油備蓄基地だが・・。いずれも遠く、行かず。 |
| 六ヶ所村役場。人口 9,740人(2026) |
| 注意して走行。 |
| 弥次郎穴(とまりのトトロ) |
| 陸上自衛隊 六ケ所対空射撃場の着弾監視所か。 |
| 東通村(ひがしどおりむら)人口 5,050人(2026)に入り、東通原子力発電所PR館。東北電力1号機は定期検査中、東京電力の東通原発は“建設中”の状態が続いています。 |
| 東通村小田野沢の宿に到着。 |
| 小田野沢の鍵懸(かぎかけ)神社、深山(ふかやま)神社 |
| 小田野沢の子ども。今ではみんな70歳以上に。(大沼一雄;1959) |
| (大沼一雄;1959) |
| 80.3km、5h16m |




















































