| 野辺地は北前船の要港。常夜灯と復元した北前船。 |
| 「みちのく丸」船大工の技術継承を兼ねて復元した北前型弁才船。 |
| 野辺地八幡宮。南部氏は源義家(八幡太郎)の弟、源義光(新羅三郎)の直系。今回の下北半島サイクリングで八幡神社が多かった理由。 |
| なつかしい「片倉シルク」の琺瑯看板。今は、自動車整備工場。 |
| つかず離れずだった埼玉大学サイクリングクラブ。 |
| 高級車ぞろい。自転車乗りの貧乏学生というわけではなさそう。失われた30年で国際的に日本は取り残されましたが、絶対的には豊かになりました。 |
| ほたて大橋。1960年代後半(昭和40年代前半)に「ホタテ養殖」が安定化するまでは、釧路のサケマス工場への出稼ぎが定常化していたとのこと。 |
| 江戸期の奥州街道は白河まで。実質的には、仙台松前道へ続き、三厩(みんまや)まで。 |
| 浅虫温泉、辰巳館。昭和13年(1938年)の創業。青森市の奥座敷。 |
| どちらの道でも青森空港。(登り勾配9%)とは、自転車乗りへの揺さぶりか・・。実際は積雪時の注意だと思いますが。 |
| 押しました、、 |
| 空港直前の橋が有料道路。普通車220円、自転車20円。 |
| う回路はありますが、とんでもないアップダウン。右が空港エリア。20円どころでない価値があります。 |
| 自転車収納中にお隣に。伊丹空港へ飛ぶロード乗り。お話していると高知医大出身ということが分かり、梼原や四国カルスト天空の道など、ローカルな話題で盛り上がりました。 |
| 定刻に羽田着。国内では珍しく、預け荷物がターンテーブルで出てきました。 |
| 最寄り駅までバスで移動し、恐る恐る開梱。P20-Gの初航空機輪行です。 |
| 人馬とも損傷なし。雨つづきでしたが、最後の2日は晴れ。記憶に強く残るのは雨の日か。 |
| 63.2km、4h18m |
| 計画変更して、大湊から陸奥湾を半周して野辺地へ。今回のツーリングで初めての晴れ。 |
| 昨日まで大雨で大湊駅~陸奥横浜駅間が不通だった大湊線。野辺地まではJR東日本、そこから先は「青い森鉄道」 |
| 斗南藩士上陸の地。明治3年(1870年)6月10日に秋海行のグループ1800名が上陸した地。 |
| 帝国海軍北方防衛司令部ではなく、海上自衛隊大湊地区隊 |
| 旧大湊水源地水道施設。国の重文です。(0:08) |
| 市街地を抜けて南下。小さなアップダウンが続く道。 |
| 横浜八幡神社。しめ縄の形状が変わってきました。 |
| 風力、太陽光発電施設が多い地域。 |
| 野辺地のビジネス旅館(長期滞在向け) |
| 陸奥湾、野辺地港の夕焼け。 |
| 2食付で¥7150。美味い、特におでんが出色。 |
| 72.1km、4h45m |
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今日も雨模様。恐山はパスし海岸沿いを大間まで走ることにします。 まさかり(下北半島)の刃に付け根あたりの法呂神社。町内集会所とあったので、公民館的な使い方もされるようです。 |
| 大畑川の三日月湖。地形図では、まわりが水田なので見に行きましたが、水田はなく荒地へ移行中でした。 |
| 平ノ下(へいのした)の浜。風は弱いが波は高い。 |
| 下風呂温泉。未成線で終わった大間線の下風呂駅(候補)の遺構。近年観光用に改修。 |
| 大間線は、戦前は軍事的役割、戦後は青函隧道計画があり断続的に工事が進められましたが、青森駅から津軽半島を北上する西ルートに決定後は放置状態になりました。 |
| 「海が荒れているので、浜に打ち上げられる」 |
| マグロ船。小さくて驚きました。4~5トン級、通常2名で操業とのこと。 |
| 本州最北端。大間崎。大間埼灯台は海上の弁天島に。 |
| 大間の村社だった、大間稲荷神社。 |
| 今日の宿は公設民営の大間町海峡保養センター |
| 大間まぐろ・大間牛食べ比べプラン。1泊2食付で14,020円。 |
| 56.6km、3h56m |





















































