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知人のSさんが個展を開くので浦和へ。 練馬の大泉からは外環道の側道。自動車道と違って、側道のアップダウンは厳しい。 |
| 幸魂(さきたま)大橋。1992年供用開始、橋長1485m。地名を表さない残念な名前。 |
| 新河岸川と荒川。新河岸川は下流の岩淵水門からは隅田川となります。 |
| 彩湖(荒川第一調節池)。2019年の台風19号では、過去最高となる3500万トンの水を貯留しました。 |
| 荒川放水路建設前の1/20000「浦和」(明治39年測図、42年製版)。旧流路が少し残っています。 |
| S画伯。新宿高校では坂本龍一と同級生。慶応パレットクラブ時代には現代美術家協会展「現展」入選。 久しぶりの F20-R451。 |
| この内、1点お買い上げ。お付き合いでなく、気に入って買いました。 |
| ギャラリー彩光舎の向かい、旧中仙道に面した調神社(つきじんじゃ)。式内社で、旧社格は県社。 |
| ここ、狛犬でなく狛兎です。 |
| 帰路の彩湖は下流側。埼玉のモン・サン・ミッシェル。 |
| 73.19km、4h51m |
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港区立郷土歴史館主催の講座+まち歩き。9月の多摩武蔵野スリバチ学会5周年記念でもお会いした本田創さんの、By Name の講座です。 場所は内田祥三設計「内田ゴシック」と呼ばれる旧公衆衛生院。 |
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日墺修交150年展やってました。オーストリア=ハンガリー帝国と国交を結んで150年と言うことのようです。 オーストリア共和国:人口880万人、主としてゲルマン、ドイツ語。 ハンガリー:人口980万人、ハンガリー人(86%)、ハンガリー語。 |
| いつもどおり、緻密なお話。見知った方も数名。 |
| まち歩きスタート。八芳園の前を下り、玉名川流路跡から玉名池跡。トマソン(上部塗込階段)も有り。 |
| 堰堤の断面部は来たことがありますが、流路跡を辿るのは初めて。三田用水普通水利組合が払い下げた用水跡地の住居と橋跡。 |
| 水路跡。 |
| 水路跡。 |
| これは、水路跡でなく都電えびす長者丸線の軌道跡。 |
| 旧三田用水の渋谷川への狸橋合流口。 |
| 広尾駅で解散後、渋谷へ向けて夜散歩。 |
| 11/1 にオープンした渋谷スクランブル・スクエア。渋谷駅東口、渋谷警察署前の寂れていた歩道橋から。 |
| 渋谷スクランブル・スクエア 12Fからの JR渋谷駅とスクランブル交差点。 |
| 14.2km。 |
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| オール千葉で歩く醤油の街、野田(秋の北総路探訪~野田)に参加しました。オール千葉とは、「千葉スリバチ学会、ブラツバキ、地図ラーの会」のことです。わかり易く例えると、Uインター、国際プロレス、藤原組の位置づけでしょうか。春日部で東武野田線に乗り換え、江戸川を渡り野田市駅へ。初野田線です。 |
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総勢30名あまり。今日の前半は、野田ガイドの会の方の案内で歩きます。駅前に飲食店はありませんが、キッコーマンはあります。右下は元の貨物駅構内に建つ茂木本家美術館。 キッコーマンの前身、野田醤油は茂木六家、高梨家、堀切家の合同で発足。現在のCEOは、流山キッコーマン(万上本みりん)系の堀切家出身。 |
| 1/50000 「野田」昭和6年9月発行。千葉県営鉄道の野田町駅が開業し柏と結ばれたのは 1911年(明治44年)、当時は頭端式の終着駅でした。1929年の野田町 - 清水公園間延伸に伴い駅を移転。翌年には春日部(粕壁駅)まで繋がりました。1950年に野田市駅に改名。旧駅は1985年まで貨物駅として営業していました。 |
| 茂木七郎治邸、第一給水所(ポンプ小屋)、厳島神社弁財天から野田市民会館・郷土博物館。 |
| 野田市民会館は旧茂木佐平治邸。この日は、「刀剣乱舞」のコスプレ撮影会が行われていました。 |
| 次いで野田市立中央小学校。校長先生のお話を聴くことができました。1873年(明治6年)創立。戦後の最盛期には4000名を超える生徒数を誇った、歴史ある小学校です。校舎には、イタリアメディチ家を彷彿させる亀甲紋。茂木小学校と呼ばれていた時代もあります。 |
| 1928年(昭和3年)竣工の鉄筋校舎は、関東大震災の復興小学校をモデルに建てられました。近年の耐震工事も不要だったようです。 |
| 街道沿いには旧野田商誘銀行。1926年(大正15年)竣工。岡山のトマト銀行の大先輩です。経済産業省の近代化産業遺産「利根川流域等の醸造業の歩み」に、興風会館等と共に選定されています。 |
| 興風会館。1929年(昭和4年)竣工。国の登録有形文化財。 |
| 竣工時は、千葉県庁に次ぐ大建築だったらしい。野田がいちばん勢いがあったころか。後ろ姿も優美。 |
| 香取神社からは地元のKさんの案内で、まずは野田人車鉄道の痕跡。 |
| 大陸風廃工場。 |
| 江戸川堤防脇の桝田家住宅。水運が主体だったことの問屋、船宿。人車鉄道も通じていました。 |
| 低地の宅地の二車線ドンツキ。谷戸を盛土した清水台小学校。 |
| 国土交通省の「重ねるハザードマップ」 清水台小学校があるのは谷筋。座生沼(ざおうぬま)の跡地は地名がなかったのでしょうか、2006年に"桜の里一丁目~三丁目" となりました。 |
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最後は、清水公園から金乗院。清水公園は旧野田商誘銀行を所有する千秋社が運営する民営の公園です。もちろんキッコーマンのグループ会社で、施設利用以外は無料開放されています。 反省会の後、清水公園駅から野田線で帰宅。 |
| 9.1km 歩き。 |
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| 西荻窪にある「旅の本屋 のまど」のトークイベントに参加しました。のまどは英語の nomad(遊牧民)、旅を感じさせてくれる本をセレクトし、「旅」への好奇心を抱けるような品揃えを志向している本屋さん。中野から吉祥寺の中央線沿線に多い、サブカル色の強い本屋です。 |
| 「旅の本屋 のまど」の品揃え。現地で日本人向けに作っていいるベトナムスケッチがありました。 |
| 作画:青山邦彦さん、監修:加賀谷哲朗さんで製作中の絵本(学芸出版社)のプレイベント。 |
| 建築事務所を経て絵本作家となった青山さんは、「大阪城 絵で見る日本の城づくり」(講談社)など、精緻な作画が持ち味です。加賀谷さんは沢田マンションの著作のある建築家。修士論文は「沢田マンションのなりたちと生活空間」 |
| 世界最大のセルフビルドかも。図面は後付け。 |
| 2015年に行った時。高知市薊野北町。 |
| 33km。 |
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| 都心歩き。先ずは、貨幣博物館「辰野金吾と日本銀行」。唐津の人。東京駅中央停車場、奈良ホテル、日銀本店、京都支店、中之島公会堂などを設計した日本近代建築の第一人者。欧州派遣時代の精緻なスケッチなど展示。真面目で頭良さそうです。 |
| コレド室町テラスに出店した台湾の誠品書店。台北の煙草工場の再開発では、伊東豊雄設計のホテルを運営しています。 |
| 蔦屋書店が参考にしているとも言われるレイアウト。撮影可でした。 |
| 小津和紙は、1653年創業、日本橋の和紙専門店。小津資料館で江戸の大店だった時代を展示しています。 |
| 文京区役所。 |
| 25Fの展望台は 21時30分まで公開。 |
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インスティトゥト・セルバンテス東京(Instituto Cervantes Tokio)は、スペイン国営のスペイン語教育や文化発信施設。 エルカノ(バスク人)は、マゼラン死後のリーダー。インド洋経由スペインへ帰国した。スペイン利権にこだわるマゼラン(ポルトガル人だが今風で言うとスペインに帰化)なら、マラッカからポルトガル管理エリアを避け、一周せずに戻ったのでは等々。地球一周航海は1519-22年。 |
| スマホのアプリで(人間の)同時通訳を聞くシステムでした。前回、ここではペドロ・デルガドの講演を聴きました。 |
| 五千分一東京図測量原図。1883(明治16)年頃。 |
| 10.7km 歩き。 |






























































