| 小雨の中出発。宿から食料いただきました。お店が無いエリアなので大助かり。 |
| 枝打ち、間伐の手が入ったスギ林。 |
| 大字猿ケ森村の八幡宮。 |
| 棟札。彫り師の名前も入っています。昭和45年とな。 |
| 伐採されて出荷を待つ(たぶん)赤松。 |
| 岩屋漁港を過ぎたあたり。もうすぐ尻屋崎 |
| (大沼一雄;1959) |
| 日鉄鉱業尻屋鉱業所。石灰石を破砕して尻屋岬港から北海道・東北各地へ出荷、地場向けには 砕石・砕砂をダンプで出荷。 |
| 尻屋埼灯台は、1870年(明治2年)初点灯。日本の洋式灯台としては観音埼に次ぐ 2番目。当時の灯台は "埼" を使っていた。 |
| (大沼一雄;1959) |
| 寒立馬(かんだちめ)は、青森県下北半島・尻屋崎で冬季に放牧される馬の総称で、品種は「南部馬系(日本在来馬)」を基にした雑種。 |
| (大沼一雄;1959) |
| むつ市方面へ走り、田名部の斗南藩旧跡。斗南藩が造ろうとしたニュータウン跡地。 |
| 斗南藩庁が置かれた円通寺。 |
| 円通寺近くの宿にチェックイン。 |
| 63.4km、4h25m |
| 三沢基地入り口 |
| 「日本列島地図の旅」の著者 故大沼一雄氏が、1959年にスクーター旅行で撮影したポジフィルムより。(大沼一雄;1959) |
| (大沼一雄;1959) |
| 三沢市繁華街、基地に接した米軍向け住宅 |
| 基地に接した米軍向け住宅(東岡三沢1丁目) |
| 妙に雰囲気が似ている (大沼一雄;1959) |
| 戦前から戦後しばらく砂鉄の採取がおこなわれていた淋代海岸(さびしろかいがん)。海岸砂丘の黒砂(磁鉄鉱)を採取し、八戸へ専用鉄道で運搬して製錬。 |
| (大沼一雄;1959) |
| 小川原湖。 |
| 小川原湖畔の野口貝塚。三沢市歴史民俗資料館のキャラクター「遮光器土偶(のっくうちゃん)」の出土地。 |
| 海岸砂丘+湿地+潟が続く地域。大正期と戦後直後~昭和30年代に大がかりな開拓が行われました。 |
| 谷地頭神社(やちがしらじんじゃ)は戦後の建立。 |
| 小川原湖は淡水湖。出口にあたる高瀬川を渡ると六ヶ所村。わたしが興味があるのは、原子燃料サイクル施設、国家石油備蓄基地だが・・。いずれも遠く、行かず。 |
| 六ヶ所村役場。人口 9,740人(2026) |
| 注意して走行。 |
| 弥次郎穴(とまりのトトロ) |
| 陸上自衛隊 六ケ所対空射撃場の着弾監視所か。 |
| 東通村(ひがしどおりむら)人口 5,050人(2026)に入り、東通原子力発電所PR館。東北電力1号機は定期検査中、東京電力の東通原発は“建設中”の状態が続いています。 |
| 東通村小田野沢の宿に到着。 |
| 小田野沢の鍵懸(かぎかけ)神社、深山(ふかやま)神社 |
| 小田野沢の子ども。今ではみんな70歳以上に。(大沼一雄;1959) |
| (大沼一雄;1959) |
| 80.3km、5h16m |
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JRE ID/えきねっとIDの混乱+スマホアプリ、PCブラウザの環境で、暗黒星雲化したネットでJREきっぷ購入。 東京 6:32 の新幹線で八戸着は 9:21。合羽はいらない程度の弱い雨。 |
| 1971年まで八戸駅だった本八戸駅。お昼の場所を探しましたが見つからず。いまいち元気がないもよう。 |
| チェーン店ばかり目に入ります。ネットで地元の名店とあったラーメン屋へ。当たり。 |
| 臨海工場地帯を北上。Open Hinata 3 で戦前の 1/50000 と比較。 |
| 八戸臨海鉄道。 |
| おいらせ町に入り奥入瀬川。奥入瀬渓谷があるのは上流の十和田市。ちなみに、十和田市街(旧:十和田町)と十和田湖(旧:十和田湖町)は、ずいぶん離れています。 |
| 三沢市、三沢基地周辺。Open Hinata 3 で戦前の 1/50000 と比較。 |
| 米軍姉沼通信所が見えるかと思って姉沼に沿って走りましたが、見えず。 |
| 三沢基地への引き込み線跡。航空機燃料を運んでいました。 |
| 宿は三沢基地正門近く。 |
| 夜の三沢基地前。 |
| 48.7km、3h24m |



















































