| 広いバルコニーから半島先端方面 |
| 眼下に見える伊方町大久の集落。中村修二氏が生まれた場所です。 |
| 三崎港へ向かう国道九四フェリー。国道197号の「海上区間」を担います。 |
| 佐田岬駐車場から。灯台見えず。先端まで遊歩道を 1.8km |
| 一旦海岸近くまで下り、上りなおす道。自転車可能でしたが、途中で放棄しました。白い建屋(入り口)は豊予要塞付属施設。 |
| 佐田岬灯台。国の登録有形文化財(建造物)、1918(大正7)年に竣工。当時最先端コンクリート建築。 |
| 九州近い。指呼の間。 |
| (洞窟式)砲台跡のある大島。 |
| 三八式十二糎榴弾砲(レプリカ) |
| 佐田岬半島(約50km)の赤色立体地図と先端部。 |
| 復路。佐田岬港を振り返ったところ。 |
| 日没が心配で寄り道せずに走りましたが、八幡浜市と西予市の間の笠置(かさぎ)トンネル(1,157m)を抜けると夜。宿には真っ暗になって到着。ちょっとビビりましたが普通のホテルでした。 |
| 94.2km |
| 八幡浜は明治から昭和初期にかけて、愛媛県内屈指の「経済・産業の先駆地」でした。市制施行した1935年(昭和10年)の人口は約30,500人で、県内4位(現在は約2.8万人で12位。旧保内町を除くと約2万人) |
| 2005年に八幡浜市と合併した旧保内町。奥の建屋は、和菓子メーカー(愛媛タルトなど)あわしま堂本社工場。 |
| 擬洋風建築の旧白石和太郎洋館。 |
| 今も「蚕の卵」を生産している愛媛蚕種(さんしゅ)、建屋は国の登録有形文化財。 |
| 県道を山間に進み日土(ひづち)小学校へ。戦後の木造建築として初めて国の重要文化財に指定されました。 |
| 校舎見学会の案内。 |
| 一旦保内町に戻り、佐多岬半島へ向かいます。またも、長いトンネル。大峠トンネル(1081m) |
| 伊方町役場の隣にある伊方原子力広報センター。 |
| 伊方原子力発電所、廃炉中の一号機、二号機。まだ、半島の付け根です。 |
| 四国電力伊方ビジターズハウス。 |
| 佐田岬半島ミュージアム。ここまで来て、半島の1/3くらい。 |
| 青色LEDの中村修二氏が生まれたのは西宇和郡四ツ浜村大久。後の瀬戸町、現在の伊方町大久。父親(四国電力の技術職)の転勤場所ですが、お母さんは大久の人らしい。父親の出身地は近隣の三瓶町。 |
| 前日に予約した瀬戸アグリトピア。一軒専有。首都圏近郊なら予約が取れない宿レベル。半島の真ん中くらい。 |
| 50.0km |
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JALの当日シニア割で航空券が取れたので四国東岸サイクリングに出発。羽田 9:40 - 松山 11:15 羽田まで自走。まさかの雨。この頃は天気予報が当たらなくなりました。 |
| 松山市街へは入らず、伊予灘沿いに走ります。伊予鉄道郡中線終着駅の郡中港駅。JR予讃線伊予市駅の向かいにあります。 |
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オランダ人ソロ。出張で東京へ来て、その後2週間休暇を取って尾道から四国を気ままにサイクリング。仕事はファイナンス。 走るスピードはかなり速いのですが、なぜか車道ではなく歩道をしばしば走っているので理由を聞くと、車道だと日本はギリギリで抜いていくので、めちゃ怖いらしい。 ![]() |
| 雨上がりの綱掛岩。伊予灘は向かい風も強く、低速走行が続きます。 |
| 喜木津から内陸へ。瞽女(ごぜ)トンネルは2156m |
| 保内町(2005年に八幡浜市と合併)からまた長いトンネル。日没後になりましたが名坂歩道トンネル(461m)に救われました。 |
| 宿は地元資本の八幡浜センチュリーホテルイトー。夕食は八幡浜ちゃんぽんと迷った末に鶏カラ定食。 |
| 64.1km + 羽田空港まで22km |




















































