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| 青春18きっぷで岡山県山間部の吹屋へ。徳島駅 6:11、高松、岡山で乗り換えて、倉敷からは伯備線。西側から迫ってくるのは井原鉄道高梁川橋梁。車窓からでも迫力満点でした。 |
| 備中川面駅 11:24。べんがらの街、吹屋までは上り基調の17km。高梁川に架かる田井橋は室戸台風の復興で掛けられた土木学会選奨土木遺産。きつい上りはありませんが、長々と坂を上って行きます。 |
| 豪邸その1:元仲田邸。江戸中期の建築。酒造業も行っていた庄屋。ここ、泊まれます。 |
| 豪邸その2:広兼邸。江戸後期。銅山経営とべんがらの原料となるローハ(硫酸鉄)の製造で富を築いた庄屋。 |
| 山あいに唐突に建つ豪邸。映画「八つ墓村」のロケ地にも使われました。石垣の半分は地中に埋まっている。 |
| 笹畝鉱山(吹屋銅山笹畝坑)。江戸期は住友、大塚、明治から昭和初めは岩崎(三菱)の経営。 |
| ベンガラ館。ベンガラ(弁柄)は赤色の着色材で、陶器、漆器、建材の塗料として使用された。ベンガラ館は、1974年、最後に廃業した田村工場跡地。 |
| 吹屋の街並み。 |
| 屋根は石州瓦。石州瓦の赤は、ベンガラでなく出雲で採れる鉄土石「来待石」を釉薬に使用したもの。 |
| 旧吹屋小学校は改修中。2020年完成予定。 |
| 吹屋からの下り道で、吉岡鉱山跡の看板を見て、規格外の急坂を下っていきます。吉岡鉱山は、明治6年に三菱が最初に手掛けた鉱山。整備されていませんが、遺構が多数残っています。 |
| 豪邸その3:西江邸。江戸中期。惣代庄屋と代官を兼ね、ベンガラの大量生産をした豪農商。現在も西江邸。 |
| 西江邸のしめ縄。この形は初見です。お隣の辰口八幡宮にも同じしめ縄がありました。このあたり、豪邸が普通。今は新見市になった旧哲多町(てったちょう)、平成になったから建てられた国旗掲揚塔や出征兵士の碑、色々謎が多い地域です。帰路は石蟹駅(いしがえき)から輪行、吉岡鉱山で時間を使い、徳島帰着は終電になりました。 |
| 吹屋の街並み、手持ち動画(0:56) |
| 43.3km。 |
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| 青春18きっぷが余りそうなので、いつもは車窓から眺める山陽本線の隘路を走ることにします。 京都方面から姫路までは新快速が頻繁に走っていますが、姫路以西、特に赤穂線と二手に分かれる相生、東岡山間は、車窓ともどもローカル線の趣があります。 徳島 6:11 ~ 8:09 高松 8:22 ~ 9:18 岡山 9:25 ~ 9:34 東岡山 |
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東岡山駅はちょうど市街地の東端にあたります。この駅は昭和36年(1961)までは西大寺駅で内田百閒の地元ということになりますが、当時の面影は皆無でしょう。まずは、山陽本線に沿って旧山陽道に当たる小道をたどっていくことにします。昭和28年(1953)まで存在した古都村の役場跡が旧山陽道に面して残っていました。 他では見られないマスカットの無人販売所。これ、朝食代わりになりました。 |
| 在来線の駅は各駅同じ設計です。親柱が過度にりっぱな "せとはし" の来歴は不明です。 |
| 再開発が成った、と言うか商店街がなくなった和気駅前の観光協会(旧中国銀行和気支店)で教えてもらった和気神社へ。和気清麻呂までさかのぼると、当時のものはなにもありません。 |
| 脇道にそれて閑谷学校へ。想像より規模が大きく驚きました。 |
| 岡山藩が開いた庶民向けの学校で、藩校とは別につくられました。講堂は国宝。塩化ビニールの水抜きと思ったのは、備前焼きです。 |
| 三石で国道2号線に合流。並行する山陽本線のレンガ積み橋梁がいくつも残っています。これは、たぶん金剛川四列拱渠。夏草が茂っていますが、現役です。 |
| 次いで、非常に地味な案内が目に入り、旧道らしき道へ。 |
| 廃道と言ってよさそうですが、水銀灯からは往時のグレードの高さが伝わってきます。縣境の石柱があらわれ、兵庫県に入ったことがわかります。西国街道(近世山陽道)の船坂峠だったので、案内標識はもっとアピールしても良いと思います。 |
| 国道2号線を離れ、上郡方面へ兵庫県道5号線を進むと落地(おろち)飯坂遺跡。古代官道(道幅10mの直線道路)と野磨駅家(やま うまや)の遺構が見つかっています。畿内と大宰府を結ぶ、当時の高速道です。古代直道好きには、たまりません |
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上郡からは千種川を下ると赤穂へ出られますが、鉄道に沿って相生から播州赤穂駅へ。 有名な観光地は少ないですが、山陽道は見どころいっぱいです。 |
| 播州赤穂 18:57 ~ 20:09 岡山 20:41 ~ 21:38 高松 21:44 ~ 23:27 徳島 |
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90.88km |
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| 暮れに、備前国一宮の吉備津彦神社と備中国一宮の吉備津神社を訪ねましたが、その先の備中高松は日没であきらめました。今日はその続編になります。 備中高松駅まで輪行。水攻めで有名な高松城ですが、元々低湿地を利用した土塁の平城(沼城)なので、高低差がイメージしづらいです。 |
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次いで備中国分寺へ向かいますが、造山古墳の案内があったので寄り道してみます。
墳丘の長さ約350メートルの大きな古墳です。全国第4位で、墳丘に立ち入りできる古墳としては日本最大とのことです。森になっていないので、形状がわかりやすいです。 たまたま、居合わせた かまどねこ さんが古墳のスペシャリストだったので、私の雑駁な質問に的確に答えていただきました。 |
| 国分尼寺から国分寺へ。途中、山手村役場が移設保存されていました。文化庁の登録有形文化財ですが、何がすごいかというと、昭和43年(1968)まで村役場として使われていたことです。 |
| 備中国分寺。江戸中期に再建されたものですが、周囲が田園地帯なので市街に建つ奈良京都の寺院と違い、創建当時を思い浮かべることができます。 |
| 小さな峠を切通しで越え倉敷へ。街並み保存の先駆者です。昼食はアイビースクエアでランチをいただきました。ケーキとコーヒーがついて1500円なので、コスパいいです。 |
| 今日は盛りだくさん。次は県道74号線で茶屋町駅まで走り、下津井電鉄線の廃線跡をたどります。前回、児島下津井間を走りましたが、今回は通しで動画を撮りながら走ることにします。動画は後日編集してアップします。 |
| 63.98km |
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吉備津彦神社~吉備津神社~造山古墳~備中国分寺~倉敷美観地区~下津井電鉄廃線跡は、お勧めコースです。 |
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| 早起きして青春18きっぷで児島へ。 茶屋町と丸亀航路のあった下津井を結んでいた下津井電鉄は1972年に茶屋町~児島、1990年に残りの児島~下津井が廃線となりました。 児島から下津井までは自転車道となっているので走ってみました。街中から山間まで、変化のある風景の中、いい感じに残っています。動画撮影にとらわれすぎないように HX-A100 を持ってきませんでしたが、後悔しました。 |
| 狭軌(762mm)。車両もかわいいですが、保存と言うより放置されています。 |
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下津井では祇園神社へ。拝殿一つに本殿が二つあるのは、元々の長濱宮(下津井城の鎮守)に、祇園宮を江戸中期に合祀したもの。 北前交易と金比羅参りの渡しで賑わった。疫病は海から来るとされ、疫病除けとして信仰されたとのことです。お話を伺った禰宜さんに茶菓いただきました。 |
| 下津井の街並みをぬけ鷲羽山へ。 |
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次いで宇野へ。途中の玉で長い元アーケードの商店を走りましたが、息してません。ただ、お好み焼き屋が多く、レベル高かったです。 自転車道の案内をたどっていくと、如何にもの線形。後で調べると玉野市電の跡でした。三井造船への専用線を流用したようで、終端式の宇野駅へ回り込むようにつながっていました。 |
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さて、昭和の四国人なら忘れられない宇野駅。様変わりして、場所も港から離れています。近年のことなのに、遺構がほとんどないのには驚きました。よすが伝えるのは、産業振興ビルのジオラマだけです。 先週、庵治半島から見て香川県で何らおかしくないと思った直島ですが、岡山県の宇野から見ると湾内の島でした。 |
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寄り道が多く時間がなくなってきたので、宇野駅から妹尾駅へ輪行します。昭和の時代なら東京まで直通列車があった宇野線ですが、茶屋町乗り換えとなります。 夕暮れに追われながら目指すのは備前国一宮、吉備津彦神社。 |
| 次いで、同じ吉備の中山を神体山とする吉備津神社。こちらは備中国一宮。両社の間は2km、中山に国境があります。 |
| 本殿と拝殿は国宝です。 |
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吉備津駅から輪行で徳島へ。盛りだくさん過ぎる一日でした。 |
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53.37km |










































