| 「東京を再発見する会」の "江戸に先駆け、江戸を残す「品川」再発見" に参加しました。8:45 高輪台駅集合、16:30 品川解散の1日コース。参加費は500円、総勢40名あまり。 |
まち歩きイベントは、①仲間内+SNSで募集する無料~200円位の好き勝手に歩くタイプ、②観光協会などが主催する無料~200円位のまちおこしイベント型、③旅行会社や大人の教養講座での3000-4000円位で、いくぶん商業的なタイプに分かれますが、「東京を再発見する会」は、①と②の中間的な位置づけ。初めて参加します。参加者の2割くらいはスリバチ学会などで面識のある人たちでした。
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| スタート地点の高輪台交差点。正面左のビルの間は三田用水。 |
| 品川駅南。第一京浜と元の高輪海岸との高低差がわかります。この辺が高輪築提の南端にあたります。 |
| 京急八ツ山橋。念願の専用橋梁。下を走るのは山手線、京浜東北線、上野東京ライン、東海道本線。東海道新幹線は、ここから地下へ。 |
| 品川宿のいちばん北、歩行新宿(かちしんしゅく)へ入り、旧東海道と清水横丁の交差点。横丁の奥に磯の清水といわれる井戸があった。井戸の水屋から買い入れて使用していたらしい。 |
| 伊豆長八の鏝絵(善福寺) |
| 目黒川の短絡工事により、南岸(右岸)にあった荏原神社が北岸(左岸)になった。氏子は今でも旧右岸の猟師町(現:東品川)に多い。 |
| 鉄火巻発祥地説のある御嶽稲荷神社。 |
| 昼食を挟み、東海寺大山墓地、東海道線と山手線が分かれる三角地点。中央は北品川出身の島倉千代子墓、右は日本の鉄道の父、井上勝墓。 |
| 品川神社裏の窪地。お台場建造の土取場として削られたらしい。諸説あり。 |
| 双龍鳥居がある品川神社。「東京を再発見する会」はここで解散。その後、大井町駅へ。 |
| 碑文谷ガード。品川宿と碑文谷を結ぶ旧道の名残り。天龍寺にある碑文谷踏切責任地蔵尊の由来地。 |
| 旧大井町変電所。JR東日本運輸サービスの現役事業所です。 |
| 13.7km |
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| 気になる場所があり都内を歩きで探索。先ずは神楽坂。以前、台湾の知人を案内した際は、表通りだけを歩いたので、本当の神楽坂をチェック。次の来日を待とう。 |
| 次いで、新宿区横寺町の古い民家。行ってみると、文化庁の登録有形文化財(建造物)でした。鈴木家住宅主屋:神楽坂地区の小路に建つ木造平屋建。切妻造妻入桟瓦葺で、正面に深い下屋を設ける。 |
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一水寮:神楽坂の裏通りに建つ昭和前期の大工寮。鑿、手斧の大工技法が格子や意匠梁の随所に見られる。 家屋だけでは魅力が弱い。路地とのセットで保存して欲しい。 |
| 矢来町の秋葉神社。狛犬の奉納は水道街と小日向。氏子は文京区の水道、小日向地区かも。 |
| 箱根山。山手線内で一番標高が高い山(築山)、標高は44.6m。(東京時層地図) |
| 大規模都営団地、戸山ハイツの広場。元は湿地です。(東京時層地図) |
| 戸山からは南下し代々木。昭和戦前期は代々木駅から鳩森八幡神社へ続く通りが、千駄ヶ谷大通りと呼ばれ、いちばん賑わっていたらしい。 |
| 内苑外苑連絡道。首都高の場所はかつての馬道。 |
| 創建時の明治神宮内外苑連絡図。 |
| 北参道から明治神宮宝物殿へ。1921年(大正10年)竣工。初期の鉄筋コンクリート建築。国の重文。戦後の再建時には、宝物殿前広場に社殿建設用のトロッコ軌道がありました。(東京時層地図) |
| 社殿。1958年(昭和33年)竣工。 |
| 明治神宮の敷地は江戸期は彦根井伊家の下屋敷で、維新後は代々木御料地。創建前は、杜はなく、畑、原っぱ、池沼でした。今年(2020年)は、鎮座百年記念事業が行われています。 |
| 最後は渋谷へ。宮下公園は大工事中。2019年竣工の渋谷スクランブルスクエア。渋谷も変わり、不案内になりました。 |
| 歩き 15km。 |
| 1/50000 「東京東北部」昭和7年発行 |
| 境界協会の 「荒川区vs北区+旧三河島汚水処分場喞筒(ポンプ)場見学+足立区」 に参加しました。集合は田端駅北口改札に 12:00、山手線の駅ですが初めて下りるかも。総勢40名あまりでスタート。 |
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東京都北区東田端2丁目19番地あたり。鉄路川の中洲です。民家もあり滝野川第四小学校もあります。 <東京時層地図> 右回りに、明治終わり、関東地震直前、昭和戦前期、高度成長前夜。昭和戦前期(1940/3発行)の鉄路がスカスカなのは戦時改描か。 |
| 線路に挟まれた隘路を抜けると中里貝塚。知りませんでした。1996年に発掘調査された縄文時代の認識を改める大規模貝塚で 2-4mの層、加工処理を行うための木道も設置されていました。 |
| 昭和風地下道を抜け尾久駅(おくえき)へ。駅名はOKU、地名はOGU ですが、駅があるのは北区昭和町。尾久の地名が残るのは荒川区東尾久、西尾久。元々は、武蔵国豊島郡小具郷と呼ばれた広域地名のようです。 |
| 北区の舗道柵。 |
| 凝った意匠。入り組む区境。1つの家屋に謎ドア、謎はしご、謎階段。 |
| 都電荒川車庫の転車台? 前後無用なのでスライド式に入れ替える。すべて1両編成なので、大混乱はしないもよう。 |
| 荒川車庫前駅から荒川二丁目駅まで乗車し三河島水再生センター(東京都下水道局)を見学。 |
| 国の重文(建造物) 「旧三河島汚水処分場喞筒場施設」 1924年(大正13年)開設。 |
| 喞筒(ポンプ)場内部。ポンプは後の荏原製作所製。現状のポンプは、1964-73年に置き換えられた2-4代目。 |
| 施設の歴史のみならず、鉄材や煉瓦の由来も詳しく説明していただきました。 |
| 隅田川を渡り、千住青物市場「やっちゃ場」を経て、旧日光街道で解散。 |
| 打ち上げへは行かず、前日に引き続き、急遽開催された夜のブラツバキで夜の千住を徘徊。1929年(昭和4年)に建てられた旧千住郵便局電話事務室は、聖橋, 日本武道館などを設計した山田守の設計。 |
| 16.3km |
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| 新宿の土木コレクション2019 から、東京野良スリバチ学会r の「落合・目白崖線の凹凸を歩く」に参加しました。ドボコレは3年連続。 |
| 今年は、オリンピック関連の TOYUO 1964として環状七号線の建設のようすが特集されていました。 |
| 思い出横丁を抜け大久保から目白駅へ。「落合・目白崖線の凹凸を歩く」の参加者は40名弱。目白の台地を削る谷を上り下りし、水害地帯だった神田川、妙正寺川の合流点から高田馬場へのルートです。 |
| 明治初めの迅速測図では、台地上には畑、薬王院下に集落、水田の中をくねくね流れる仙川用水(妙正寺川)と神田上水(神田川)。 |
| 初見の箇所。新宿区立中村彝(つね)アトリエ記念館。 |
| 落合四小下。斜度も曲がりも出色。 |
| 氷川神社(下落合氷川神社)ここは、狛犬でなく狛獅子。獅子なので、「獅子の子落とし」 |
| 薬王院横のつづら折り。名前がない坂。 |
| 初見の箇所。新宿区立佐伯祐三アトリエ記念館。地図は「下落合事情明細図」(大正15年)。 |
| この辺り、坂の密集地。 |
| 石橋湛山旧邸。現住家屋のようです。 |
| 見晴坂を下り、妙正寺川の河岸にある「染の里二葉苑」へ。神田川にかけて染物屋が多かった川辺りです。 |
| 東京都下水道局の "せせらぎの里公苑" を抜け、妙正寺川と神田川(オーバーフロー分)の合流点。この辺り、かつては氾濫域(遊水地)でしょう。 |
| 最後は宮田橋公園で解散。先達の方々、ありがとうございます。 |
| 14.87km (含む新宿~目白) |
























































