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神奈川県橘樹郡は、今の川崎市(川崎区、幸区、中原区、高津区、宮前区、多摩区の全域、麻生区の一部)と横浜市(鶴見区、神奈川区の全域、西区、保土ケ谷区、港北区の一部)に律令期からあった郡で、1938(昭和13)年に向丘村、宮前村、生田村が川崎市に編入され消滅しました。 横浜市、川崎市の中核をしめる地域ですが、1998年に発掘調査された郡衙跡は、ご近所なので訪ねてみます。「東京時層地図」の範囲内です。 |
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ここも、先月訪ねた都筑郡衙と同様に多摩丘陵の鼻に位置し、すぐ南を、古代官道説のある中原街道がはしっています。 昭和30年代の1/10000地形図だと、平地と丘陵の差がよくわかります。 |
今は第三京浜沿いの傾斜地にある平凡な住宅地ですが、古い道をたどると、道標や祠が残っていました。 |
橘樹郡衙跡(推定地) 「たちばな古代の丘緑地」
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橘樹郡衙に続く、奈良時代のメインストリート 20.5Km
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