| 十津川村の1泊目は、村役場のある湯泉地(とうせんじ)温泉から急坂を200m上った武蔵集落。アレックス・カーの手掛けた古民家再生の宿です。 |
| 昭和22年発行 1/50000「十津川」で見ると武蔵は大きな集落。川沿いには道路も集落もなく、村役場も山上の小森。昭和20年代に警察、役場、郵便局が山を降りてきました。 |
| 元は隣接する武蔵小学校の教員宿舎。アレックス・カーが手掛けた再生古民家は、祖谷の"ちいおり" が有名ですが、なかなか高額。ここは、ツインルームがありリーズナブルに泊まれました。 |
| 素泊まりで自炊する型式。自転車乗りにはうれしい洗濯機付き。 |
| 向かいにある旧武蔵小学校は、明治8年開校、昭和45年閉校。今は十津川村教育資料館。 |
| 天日干しの武蔵米。予約時に1合100円で買えます。初めて使う炊飯器でしたが、極めて美味い。 |
| 武蔵集落の夕暮れ。 |
| 部屋から制御するライトアップ。施主はマイナスにとらえていた迫る石垣ですが、アレックス・カーはプラス評価だったらしい。 |
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朝の武蔵集落。散歩でお話した方は、やはり十津川郷士。その節は吉村がご迷惑をかけましたとお詫びしておきました(^_^) 川沿いからの急坂は、木材搬出用の木馬道(きんまみち;木材を下ろすソリ道で丸太を敷き詰めていた) だったことを教えてもらいました。 |
| 楠正勝(正成の孫)の墓、皇大神社など。 |
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| 今日の前半は五新線に付かず離れず南下します。吉野川を渡ると、コンクリート製なのに古色蒼然とした鉄橋。五新線のルートは、この橋の南からバス専用路となっていました。 |
| バス路線も一般道路に移り、現在は市有地。市道ではありませんが、部分的に地元の人は道路として使っているようです。一度も鉄道が走ることはありませんでした。 |
| 丹生川に架かる橋。 |
| 生子(おぶそ)トンネルは封鎖。欧州や台湾だと、ぱぱっと自転車道にすると思いますが、日本だと安全管理要求が異常に高いので計画段階。 |
| 広域農道の賀名生大橋から。五新線は続きます。 |
| 上が、農道の橋と言うのもすごいが。 |
| 賀名生(あのう)の里 歴史民俗資料館。南朝の後醍醐天皇や後村上天皇が、一時滞在しました。「皇居」の扁額(これはレプリカ)は天誅組の吉村寅太郎によるもの。 |
| 宗川橋梁。1996年に塗装した標記がありました。1976年竣工。 |
| 五新線を離れ紀の川、熊野川の分水界を越える新天辻隧道へ。1959年竣工、1174m。R168の現役トンネルなので交通量あり。道幅も狭く危険ですが、蛍光ベストで運を天に任せます。中央部は暗いので、路面を照らす明るいライトが必須です。今回最高地点の647m。 |
| 猿谷貯水池の標高438mまで下ったところにある五新線天辻トンネル南口。トンネル(全長5039m)の中間地点に阪大の大塔コスモ観測所があります。 |
| 狭いトンネルは避けて走りたいところですが、地図に載っている迂回路が埋まっていることも。2011年紀伊半島大水害の被害も大きく、大塔町宇井では対岸(危険地域なので無住)が崩落し、長く人の住む手前の集落まで埋まりました。 |
| 最大の村(琵琶湖より大きい)十津川村に入り、谷瀬の吊り橋。村道谷瀬線、正式な橋の名前は谷瀬大橋。元々は谷瀬の住人が私費で作り、オートバイも走っていたらしい。 |
| 川面からの高さ54m、長さ297.7m。観光バスが来る場所。無料の村道ですが、スリル満点。 |
| 新宮川水系十津川(=熊野川)の風屋(かぜや)ダム。1960年竣工。左岸から合流するのは支流の滝川。 |
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宿は、村役場のある大字小原から200m上り大字武蔵の「大森の郷」(追報) 合併していない十津川村。五條で聞いた話では、金持ち村なので合併しないとのこと。橿原イオンモールの、地主は十津川村だから。・・どうも、村の貯木場だったらしい。ダムの固定資産税も多そう。 |
| 76km。 |
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| 南海フェリーで徳島港から和歌山港。和歌山駅まで自走し、再度輪行で五條市入り。和歌山ラーメンはパンチ力がないが、なれ寿しとの相性はよい。 |
| 幕府直轄地、古い家並みの残る五條。維新前夜、天誅組が五条代官所(現五條市役所)を襲撃、代官を殺害。殺された鈴木代官は人望があったらしが、今では意外にも「義挙」扱い。町おこしの都合かも知れない。 |
| 今日のメインは五條と新宮をつなぐ五新線。廃線跡ではなく未成線です。戦前の1939年に建設に着手。断続的に工事をすすめましたが、1982年に建設を凍結。 |
| 高架橋がよく見える宿をとりました。 |
| この先の吉野川橋梁も建設後、撤去されました。 |
| 2016年に、「旧国鉄五新線(未成線)鉄道構造物群」が土木学会選奨土木遺産に選定されました。 |
| 朝の五條。 |
| 徳島+和歌山+五條で、25kmくらい。 |
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青春18きっぷ、4回目。身延線波高島駅から、発電用ダムなのに砂防ダム状態の雨畑湖へ。 南武線川崎行きの始発(4:53)に乗るため武蔵中原駅へ。小田原、熱海で乗り換え富士からは身延線。平日なので富士駅~富士宮駅間は混んでいます。 波高島駅で下車(9:12)。元々は畑ケ島。当て字で "波高島" になった後、富士川の波が高くて云々と言うもっともらしい伝説が生まれたらしい。地名縁起は難しい。 |
| 富士川。下流方面。 |
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早川沿いに遡行し、早川町観光協会の南アルプスプラザで情報収集。早川町は日本一人口の少ない町で、この日では1051人。富士川沿いのコンビニで食事を済ませて来ましたが、ここや町営のヴィラ雨畑でも食事が取れます。身延山七面山がらみで、観光客も来るエリアとのことです。 雨畑ダム行きを決めたのは、赤色立体地図の千葉さんのfacebook投稿(水抜き状態)ですが、その後水を貯め始めたことも教えてもらいました。 |
| 早川支流の雨畑川。駿河湾の桜えびの不漁が続くのは、この泥水のせい? との説もあります。 |
| 水を溜め始めて数日ですが、浅いのですぐ溜まる。 |
| 橋の水面からの高さは沈下橋クラス。越流をじゃましないようにしないと、橋が流される危険が。 |
| 昭和7年発行の1/50000 では河原に407mの水準点があります。1967年竣工の雨畑ダム、堤高80.5m。土砂の厚みは50m以上。 |
| ダム湖へ流れ込む沢。 |
| 巨大砂防ダム状態。アーチ式ダムなのに。 |
| DAHON K3、酷使されています。 |
| 硯で栄えた雨畑集落。明治期には「雨畑硯製造販売組合」が結成され、90余名の組合員がいました。ダム建設前から東向き斜面にある集落で移転はしていません。現在、硯製造を続けているのは1軒。電柱の番札に残る "硯島"。 |
| 富士川沿いに戻り北上。天日干しの稲の組み方(はざ掛け)は、西日本型でした。 |
| 鰍沢。地形図の図名かつ落語「鰍沢」の聖地(^_^)、富士川水運で栄えましたが痕跡は見当たらず。帰路は鰍沢口駅から輪行、中央線立川経由で帰りました。 |
| 武蔵中原駅まで+波高島~雨畑湖~鰍沢口(54km)+武蔵溝ノ口駅から。TOTAL 70km。 |


















































