| 大船越瀬戸と万関瀬戸の間、玄界灘と三浦湾をにらむ姫神山に、1901年(明治34年)に築かれた姫神山砲台。その後1904年には、6門の28センチ榴弾砲が備え付けられました。 |
| 三浦湾に延びる緒方浦。小さな漁村ですが、プロパンガスの基地があります。1995年に廃止となった大船越小学校緒方分校。村社の乙宮神社には砲弾が奉納されています。 |
| 案内標識を頼りに砲台跡へ。ところどころ未舗装ですが道はしっかりしています。門柱を抜け折り返すと棲息掩藪部(せいそくえんぺいぶ)。人間の掩体壕でしょうか、生々しい字面です。 |
| 棲息掩藪部の中から。 |
| 28センチ榴弾砲が備え付けられていた砲座。2門x3座。6門とも残っています。 |
| 左が弾薬庫。階段を上ると観測所。 |
| 右翼観測所。正面は対馬海峡(東水路) |
| 左翼観測所。左右両眼で着弾地点を計測します。 |
| 左翼観測所から、浅茅湾方面。 |
| かつては、一続きだった対馬の上島(かみじま)、下島(しもじま)の3つの地峡(2ヶ所は開削)と砲台跡を巡ることにします。 |
| 平坦地がなく、時間が読めないので朝食をとらず 6:30 に出発。昨今の韓国人観光客の集中に加え、長い歴史的な結びつきもありハングル文字もよく見かけます。ただし、言葉の借用は少なく、却って古い日本語が多く残っているとのこと。 |
| 空港の地下を抜け、1671年(寛文12年)に開削された大船越瀬戸。北の水路沿いにアプローチ。南から北への流れが速い。 |
| 大船越橋から北(浅茅湾から朝鮮海峡)方面 |
| 大船越橋から南(玄界灘)方面 |
| 次いで、姫神山砲台跡(別稿)から、万関瀬戸(まんぜきせと) |
| 江戸時代初期に開かれた大船越瀬戸は狭く、竹敷要港部から玄界灘への航路として1900年に海軍が開削しました。延長約500m。 |
| 万関橋から南西(浅茅湾から朝鮮海峡)方面 |
| 万関橋から北東(玄界灘)方面 |
| 万関展望台からの浅茅湾。ここには、三等三角点「久須保」(70.02m)があります。 |
| 3つ目は開かれることのなかった小船越。 |
| 小船越の西漕手(にしのこいで)から東方面。この先に200mほどの地峡があります。 |
| 地峡の標高は12mくらい。距離は短いけど急坂です。遣隋使もここを越えたらしい。 |
| 小船越の東側。今も、水路が延びています。 |
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西漕手の漁師さん。いつも納めていたホテルの料理長がリタイア。福岡への活魚販売を始めた。 ずっと夫婦で漁をしてたんだと思うが、もうおばあさんは歩けない。じいさんが猫車にばあさんを乗せて、家へ帰っていった。遣隋使が船を乗り換えた場所の1400年後。 |
| 帰路に案内板のあった浅茅パールブリッジへ。2.2kmですが、激しいアップダウン。ここに限らず、対馬で周回コースは取れず、いつも往復サイクリングでした。 |
| 昼食は地元の人が来るレストランやすらぎ。観光客用の食材を使う店は休業が多く、普通の定食となりました。 |
| 厳原へ戻り嚴原八幡宮神社と今宮若宮神社。今宮若宮神社の祭神は、キリシタンの小西マリア(小西行長の長女で宗義智夫人)、融通無碍にも程があるが、関ケ原後に離縁しているので、怨霊を恐れたためでしょう。 |
| 60km |
| GoTo Travel キャンペーンで、韓国からの観光客が途絶え厳しい状況と言う対馬へ。羽田 9:40 - 長崎 11:35 、長崎 12:05 - 対馬 12:40 |
| 荒川貯水池(彩湖)上空。 |
| 博多湾から志賀島。 |
| 長崎空港でオリエンタルエアブリッジ(ANA機材)の、ボンバルディア DHC-8-400(74席)に乗り換え。 |
| 期待していた浅茅(あそう)湾上空での旋回はなく、玄界灘からまっすぐ着陸。 |
| 対馬空港到着。下段はホンダジェット、オリエンタルエアブリッジの主力機ボンバルディア DHC-8-201(39席) |
| 対馬は全島で対馬市。人口3万人。ピークの1960年は7万人。平地が少なく、対馬空港は盛土と切土。 |
| 三方を削ってダイソー。 |
| 空港から厳原の宿は11km、初日は海軍要港部が置かれていた竹敷へ寄り道。深浦に水雷布設隊艦船修理用船渠が残っています。 |
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道を尋ねた竹敷のオヤジと雑談。古い写真を見せてもらいました。 ・海軍基地があった頃は竹敷の集落も賑わい、花街もあった。 ・対馬は昔からまとまりが悪く、壱岐みたいに観光の島に専念できない。 ・ここ(竹敷集落)は観光地ではないが、民宿も3軒できた。3軒とも韓国人経営。日本人の雇用につながるので仲良くして欲しい。 |
| 金石城址、万松院、2022年開館予定の対馬博物館。 |
| 厳原の南、久田川の河口に残る「お船江跡」(おふなえあと)対馬藩御用船を係留した船溜まり。厳原へ戻り、3泊する東横インにチェックイン。 |
| 30km |
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◆JR予讃線 下灘駅 <2017/4/19> 青春18きっぷのポスターに3度使われたという絵になる駅。瀬戸内の日差しがやわらかい。大雨の高知から始まったツーリングもあと1日。 |
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◆小坂鉱山事務所 <2017/6/17> 明治38年(1905)建造。もちろん写真では知っていましたが、大きさ、色の鮮やかさに驚かされました。 |
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◆伊豆大島三原山 <2017/5/29> 東海汽船のサイクルきっぷキャンペーンで竹芝桟橋から伊豆大島へ。現地滞在は10時間。洋上からの日の出、夕焼けも望めた充実の0泊2日。 |
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◆六郷用水あたり <2017/12/5> 九品仏から池上本門寺へ紅葉を求めて走った日。六郷用水あたりの個人宅。 |
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◆徳島 八重地 <2017/12/27> 徳島市から木沢のゲストハウス「杉の子」を目指して登坂。標高800mを越えると山陰には雪が残る。午後3時前でも日没間近の雰囲気であせる。 |
| 先週(9/28)鎌倉の極楽カリーは品切れ、仕切り直しは極楽カリー店主が修行した白楽のサリサリカリーへ。2019/12/14 の神奈川スリバチで感動ものだったスリバチ地形もじっくり見てきましょう。 |
| 谷筋の新横浜通りから丘陵に入ると、しゃれた塗装の片倉台団地。1969年に日本住宅公団(住宅・都市整備公団)が分譲した全23棟、600戸の大規模マンション。築50年超えですが管理が良さそうです。 |
| スリバチ地形は横浜市営の三ツ沢墓地。全面墓地なので地形がわかり易い。 |
| 谷戸の一部に住宅、斜面は全面墓地。 |
| 三ツ沢墓地北東角の交差点名が「神大寺入口」だったので、神大寺を探しましたが見つからず。元は神大寺村で神奈川区の町名。読みは「かんだいじ」、古くは神臺地とも書かれたようです。近くにある神奈川大とも無関係。 |
| 尾根を挟んだ墓地の反対側。傾斜地に建つ住宅。門を入ってからが一苦労。 |
| サリサリカリーの開店時間に合わせ白楽の店舗前へ。・・日を改めて来ることにしましょう。 |
| 破綻が報道された家系ラーメンの六角家跡地。3年前から本店は閉めていたようで、すでに更地になっていました。新横浜ラーメン博物館の開業時に出店していた家系の大物でした。 |
| 36km |



















































