昭和22年発行の地形図と対比しながら、R127の旧道を走ることにした。
スタートは木更津駅。西口は当時から市街地だが、再開発されていないため昔の道が残っている。田んぼの中の集落だった貝渕、桜井も当時の道筋が明瞭に残っている。
単線の房総西線(当時)を抜けた後、旧道は烏田川を離れ子安坂に向かう。この辺も旧道は健在で、道幅は狭いわりに交通量は多い。子安坂からは、八重原村の田園風景が広がっていたはずである。
そんな中、変わらないのが送電線だ。送電線の下は、中央分離帯をもつ道路となっているが、街なかに作ったのではなく、後から回りが街になった訳だ。
九十九坊の狭い三叉路も、昔のままである。
小山野トンネルの旧道に当たる小山野隧道は、昭和11年に竣工。優美な断面曲線を持つ美しいトンネルである。かつての峠にあったものだろうか、トンネル内に道標が塗りこめられている。
また、横穴を埋めた跡も残っているが、ひょっとすると海軍八重原工廠の地下工場化の痕跡かもしれない。短いトンネルだが、訳ありの過去がありそうだ。
佐貫からは、天保5年創業という宮醤油店の角をまがり、上総湊を目指す。このあたりも道筋は残っているのだが、回りの風景は激変している。昭和22年の地形図では浅間神社の奥の院からの稜線上の道が浅間山に伸びているが、その山がそっくり無くなっている。神域だったのではないかと心配するが、たぶんどっかの埋立地で家内安全などを担っているのだろう。
上総湊も街はあまり変わっていない。街外れに鉄道の駅ができた場合、中心部が移動する事例が多いが、ここでは無視されているようだ。湊橋を渡ったところで、本日の行程は終了。
大回りした帰路も合わせて 75.5Km。
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