正倉院内の掘立柱の穴。 |
郡家外周溝。建設時に、50年くらい古い墓を無視して溝を掘っている。統治者の変化があったのかも。 |
「郡」は、大宝律令(701年)で規程された「国-郡-里(後に郷)」の行政組織。 橘樹官衙遺跡群=千年伊勢山台遺跡(橘樹郡家跡)+影向寺遺跡 |
今回の富士行(10/14-16)は、三橋さゆりさんの著作「日本の川と流域外分水」(実業之日本社)を参考に河口湖から桂川の治水、水力発電施設を巡るのが主題でした。 |
河口湖放水路エリア。溶岩でせき止められた河口湖は流れ出る川がなく、洪水対策の水路が何本も掘られています。 |
新倉(あらくら)掘抜入口。江戸時代末に手掘りで掘られた水路。史跡館は休館中。 |
東電うそぶき放水路(1918)入口。嘯(うそぶき)は地名(通称名) |
嘯(うそぶき)治水トンネル(=嘯新放水路)入口。(1993) |
河口湖治水組合記念碑。江戸期から続いた治水組合。明治以降も行政区域を横断して水の管理を行こなってきた。2003年の富士河口湖町(河口湖町、勝山村、足和田村が合併)発足に際し解散。 |
新倉掘抜出口。 |
新倉掘抜からの水路跡。 |
新倉掘抜出口の横には辨天神社。 |
東電うそぶき放水路出口。右からの水路は嘯治水トンネルからの水路。 |
東電うそぶき放水路出口。入口(河口湖)の標高は832m、出口は826m、嘯治水トンネルからの水路との合流点は799m |
嘯治水トンネルからの水路。こちらは、洪水時の治水用。 |
鹿留(ししどめ)エリア |
鹿留発電所への導水管。 |
元は3本あった? |
谷村発電所取入水路。 |
桂川支流の鹿留川。河原に下りられました。 |
おなん淵の滝 |
谷村(やむら)エリア |
東電谷村発電所。 |
導水管に沿って都留アルプス・ハイキングコースあり。 |
駒橋、猿橋エリア |
大月まで下り、旧甲州街道から駒橋発電所へ。こにあたり水路が複雑で経路がわかりません。 |
特急の上にも水路。 |
ここも古い導管跡が残っています。 |
八ツ沢発電所施設 取水口制水門 |
ライン川やローヌ川で何度も見かけましたが、日本でも100年以上前からあったとは「 |
足元の水路は、延々四方津の大野ダムへ続いているようです。 |
猿橋から見れる八ツ沢発電所第1号水路橋。 |
富士吉田の宿から。晴れ。 |
富士山駅なので富士山ステーションホテルで正しい。フル充電でスタート。 |
下吉田の月江寺参道にある旧料亭角田。昭和3年料亭として建造。昭和18年廃業後は、昭和61年まで医院。 |
富士が見えたので再訪。新倉富士浅間神社 本殿前から |
新倉富士浅間神社 展望デッキから |
「三つ峠駅」1943年に小沼駅から改称。正式には2021年に富士急行を分社した富士山麓電気鉄道の駅。 |
「谷村町駅」文化庁の登録有形文化財。正式には2021年に富士急行を分社した富士山麓電気鉄道の駅。 |
谷村藩の城下町だった谷村町(現:都留市)の中心部が谷村町駅から谷村横町駅(1965年より都留市駅)へ移りつつある時代。1956年発行 1/25000 |
大月まで下り、甲州街道を猿橋へ。猿橋は旧甲州街道の橋。 |
猿橋駅~鳥沢駅が1968年に付け替えられるまでの単線の第一桂川橋梁の橋台。 |
第一桂川橋梁の橋台へ続く大野隧道西口。 |
100.5km。下り基調なのでバッテリーは保ちました。 |
忍野に泊まったのは初めて。宿からの富士山。 |
部屋にテレビのないB&B風の宿で、共用風呂は順番に貸し切り。泊まっていたのはオーストラリアからの4人家族とフランスからのソロ女性。彼女は2週間の日本旅行で、明日は箱根とのこと。 |
かつては、池しかなかった忍野八海。様変りしています。 |
忍野村の高額納税者ファナック。富士電機→富士通→富士通ファナック・・今は古河系列を離れているようです。 |
ファナックの社宅群。ロボットは人が作る。富士吉田どころか大月から通勤する人もおり、通勤時間帯は渋滞となるようです。 |
忍野村の畑作地帯。 |
忍野村、農地最上部のため池。 |
電動アシスト"強" で二十曲峠へ登坂。ただし、富士は雲の中。 |
新倉山浅間(あらくらやませんげん)公園。新倉富士浅間神社の境内にあたります。 |
神社なので仏舎利のある五重塔でなく忠霊塔。駐車場からは石段を100m上り。アジア系だけでなく欧米系旅行者も多くいました。 |
宿は富士吉田。ソロ女性に金鳥居の場所を尋ねたら台湾からの観光客でした。日本語で教えてくれました。 |
鳥瞰動画(1:21) |
51.5km |