の味を受け継ぐ新宿「とよま」へ。 75回は食べた肉ナス定食。 三福林に非常に近い味だが、ほんの少し何かが違う。 共通メニューは、 肉ナスピーマン(カレー味) 明太子オムレツ オニオン酢味噌 など 11:30 ~ 22:00 終日定食が食べられる。 日・祝祭日 休み。 |
食後、国立競技場へ。 外苑西通の歩道に橋の欄干を見かけたので、東京時層地図で明治後期の地形図を見てみると、四谷大木戸からの水路跡でした。おそらく玉川上水の支線でしょう。 |
国立競技場へ来たのは FIFA U-20 Women's World Cup 日韓戦。 スタンドは、日韓のエリア分けを厳重に行なっていましたが、旭日旗も独島アピールもなく平穏に行われました。 試合結果は日本 3:1 韓国。 日本は準決勝への進出を決めました。 |
歩き 6.3km |
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今日は中央本線、小海線を乗り継いでの野辺山駅から高崎線の倉賀野駅まで走ります。峠越えは、左のLINKにある YAMAHONで行こう! のオフ会コースになります。 |
休日の松本行きは混むらしいので急遽月曜日にシフトしましたが、小海線の夏限定「八ヶ岳高原列車」(名前が付いているだけで普通の臨時列車)は、平日なのに半分強座席がうまっていました。 尾道から来た青春18鉄婆(失礼)。昨日尾道~富士経由身延線で来たとのことです。 |
今日も晴れ。八ヶ岳を左にR141を北上します。日本最高標高の駅(1346m)が起点なので、長い下りからのスタートです。 |
R141は大型車が多く、小海から長野県道2号線へ。馬流駅のそば、秩父事件の一隊が鎮台兵の攻撃を受け壊滅した場所に墓碑が建てられていました。秩父困民党が蜂起した音楽寺は2010年に行きました-> |
小海線と付かず離れず走る長野県道2号線(川上佐久線)。 観光客を呼べるほどの街並みではありませんが、街道の風情を感じさせ自転車で走るにはうってつけの道です。 |
臼田からは長野県道93号線を東へ向います。田口峠は、内山峠(R254)、十国峠(R299)の間にある地味な道で、「YAMAHONで行こう!」がなければ、意識しなかった峠越えです。 龍岡城五稜郭は、日本に2つの五稜郭城のひとつ。上から見ないと星形がわかりません(笑) |
木製の鳥居が青空に映える新海三社神社。 |
三重塔は、神社の宝物殿と言い張って廃仏毀釈を免れたらしい。 |
峠手前で現れた「雨川砂防ダム」、最も美しい砂防ダム湖かも。 峠のトンネルを抜けると妙義山系の山容にかわります。 県境は稜線になく、かなり下った馬坂集落まで、まさかの長野県。田口小学校狭岩分校跡。田口小学校本校は、龍岡城の城内にあり、峠を隔てて20km離れています。 南牧川上流部は、旅館のような大きな養蚕家屋が密集しています。お話を伺うと「今は杉なんか植えちゃって、すっかり荒れた」裏山は、すべて桑畑だったようだ。 |
123.74km (旅先では 111km) |
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古い友だちが千葉に引っ込んだので何事かと思ったら、東大のキャンパスがあるらしい。押上まで輪行して、遊びに行きました。 平日の輪行東京越えは大変迷惑なので、始発で押上へ。 巨大なタクシー無線電波塔(東京スカイツリーとも言う)がありました。 先端、切れてます。 |
荒川を木根川橋で渡ったところから。 |
待ち合わせ時間より大幅に早いので、時間調整を兼ねて下流を荒川放水路、上流を新中川に奪われた中川の蛇行部分に沿って走ります。水面、高いです。 |
柴又帝釈天を抜け、金町浄水場からは江戸川の土手。 |
江戸川をさかのぼり埼玉県吉川市で対岸に渡り、千葉県野田市をかすめて利根運河。水も土手も、写真ほどきれいじゃないですね。 |
利根運河を利根川まで走りった後、少し引き返し東大柏キャンパスへ。よくわかる重力波講座など(笑) |
79.30km |
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取り敢えず標高の高いところへ行きたい。と言うことで、青春18キップの3枚回は日光です。 渋谷、池袋、赤羽、宇都宮で乗り換え、初めての JR日光線です。 日光駅到着は 9:08、晴れですが山には少し雲がかかっています。 |
今日は、R120 をひたすら西へ走るルートです。 ずっと改修工事を行なっていた神橋。養生しているときは気になりましたが、完成後はかえって見過ごしそう。 |
いろは坂の「い」 ここで止まって写真が撮れるのは自転車ならでは。 |
中禅寺湖到着。男体山、華厳の滝。 |
今日は平日なので、見かけた自転車乗りは7~8名です。男体山の頂上の雲も取れました。 |
戦場ヶ原を抜け、湯ノ湖から比高400mほど上り標高1840mの金精トンネルへ。金精の由来は道鏡の巨根とのこと。 金精トンネル到着が 14:12、明るい内に沼田まで行けそうです。 |
静かな菅沼を経て丸沼高原スキー場で大休止。とろろそば、頂きました。 吹割の滝に寄り道して沼田駅へ。沼田は段丘上にある町なので、駅は坂を下ったところにあります。 |
KHS F20-T3 は、ハンドルを引き抜いて折りたたむので、こんな風になります。ちょっと手間は増えますが、コンパクトになるので運ぶのは楽になります。 |
帰路は高崎線を籠原で湘南新宿ラインに移り、首都圏での乗り換えと田園都市線の混雑を回避し、武蔵小杉から長い夜間走行で帰りました。 108.61km(旅先では 95km) |
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暑い。 全然走ってない、と言うわけではありませんが、ほとんど走ってません。 今日は、地図の旅愛好会20周年記念の会場探しで、多摩市の多摩アカデミーヒルズへ。 悩みどころです。 40.45km |
7月に2回、寄(やどりき)集落を走りましたが、山の中とは思えない大きな集落に不思議な気がしました。 ようやく、明治20年(1887)測量、明治25年発行の迅速測図を入手できたので、百年前の様子を見てみることにしましょう。 |
集落は寄神社のある段丘の上の道沿いにあり、現在は住宅が多く建てられている川沿いは、陸田記号でうめられています。 幾つもの砂防ダムで押さえ込んでいる中津川ですが、当時も河川敷は荒地ではなく陸稲を作ることが出来たようです。 大正11年の寄村の戸数は 313戸で、松田村(728戸)の半分近い規模がありました。 三廻部側とは2本の村道でつながっています。 R246の寄入口はどうでしょうか。現在は宅地化されている中津川と四十八瀬川の合流部ですが、人家はありません。 稜線の市町村境に沿った芽沼(萱沼)へ延びる村道と、川沿いに徒歩道(途絶える)がありますが、県道710号線に相当する山腹の道はありません。稜線の道は、現在の地形図では小径としても記載されていませんが、道跡が残っているかもしれません。 廃校のある高松は、明治中期以降にできた集落らしく人家はありません。高松と言う地名は、近くの山の名前から採ったと思います。 いちばん変わったのは松田でしょう。圓明寺(延命寺)の東に郡役所があり、明治22年(1889年)に開通した単線の東海道線の停車場があります。当時のメインストリートはR246でも県道72号線でもなく、もう一本南側の町道でしょう。街歩きも面白そうです。 |