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知人のお誘いに手を挙げ、クルマで 「原爆の図 丸木美術館」へ。丸木位里、丸木俊夫妻の「原爆の図」「南京大虐殺の図」「アウシュビッツの図」などを常設展示。 渋谷松濤で待ち合わせ、関越道東松山ICから田舎道を15分くらい。 |
砂守勝巳(1951-2009)の写真展 「黙示する風景」 |
都幾川(ときがわ)左岸の段丘の縁、南向きの日当たりの良い場所にありました。 |
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大井町駅から歩きで大阪万博50周年記念展の行れている天王洲アイルの寺田倉庫 T-ART HALLへ。旧東海道を鮫洲から品川。 |
天王洲運河を渡り、建築倉庫ミュージアムのお隣のT-ART HALL。大阪万博50周年記念展覧会は大阪府の主催。 |
丹下健三の大屋根に穴を開けた岡本太郎。 |
阿波おどり、絶頂期。他の追随を許さなかったころ。 |
三田まで歩き、途中の札の辻では、三田東急アパートメントなどの解体により見通せるようになった丹下健三設計のクウェート大使館。 |
秋葉原乗換で初の平井駅。「平井の本棚」から総武線荒川橋梁。 |
明治初めの迅速測図だと、荒川(放水路)はなく自然堤防に人家が点在。 |
1/25000「東京首部」昭和7年発行。荒川放水路は1911年着工、完成は1930年(昭和5年)。 |
荒川の土手から自然堤防の微境地を歩き、上流部を断ち切られた旧中川を平井橋で渡り、今日のメイン会場へ。 |
ミスターデンジャー・松永光弘のステーキハウス。地図ラー、プロレス部の集会。会員バッチが配られました(笑)
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帰路は、北十間川をスカイツリーに向かって歩き押上へ。 |
歩き 15km。 |
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昨年と同様、地図を見ずに川崎北税務署へ。下末吉台地と谷戸を越える道。 |
梶が谷6丁目の崖下には「梶ヶ谷6丁目はな公園」が完成していました。 |
養福寺の墓地は下末吉面へまで続く急斜面。 |
台地の先端部に建つ新作八幡宮。 |
新作八幡宮からの東側眺望。第三京浜から武蔵小杉。 |
多摩川の氾濫平野側から見上げる新作八幡宮。確定申告書提出後は、溝の口から旧大山街道で帰宅。 |
13.9km |
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好天の休日、杉並区善福寺の「カワセミピプレット」へ。中央線西荻駅までの直走ルートを覚えた(白百合女子大周辺は、路地をたどるので複雑)ので、手頃なポタリングです。 西荻からは、武蔵野市と杉並区の境界の道を東京女子大方面へ。 |
昨年(2019年)オープンのカフェ・カワセミピプレット。 |
「地理の会」 のSさんと地図、地理談義。ストラスブールの1/4000 地図。味わいがありますが古地図でなく1970年版。 西荻まち歩きマップ2019。中央線沿線だけあって、良質でしゃれた地図。 |
杉並區詳細圖。1949年。お店は八幡橋の袂。同潤会はアパートだけでなく、木造の分譲住宅も手掛けていました。 |
帰路に通った暗渠の仲川遊歩道。 |
36km |
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川崎探検隊の「早春の祇園寺、深大寺、青渭神社を行く」 に参加しました。出発地点の調布駅まで自走。スライド式自転車格納機器は有効。ラグビーW杯では、東京スタジアム(調布市西町)で 8試合が行われました。 |
調布市は、水木しげる50年近く住んだ街。妖怪のオブジェが並ぶ天神通り商店街。いきなりの昼食は、アンヌ隊員の娘さんが営むアジタイ食堂。娘さんが出産直後なので、ご本人が出てきてくれました。若々しい。
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布多天神社(ふだてんじんしゃ)。式内社。菅原道真公を祀る以前から天神社と呼ばれていた稀な神社。 |
深大寺(じんだいじ)は伝奈良時代創建なので、東京都では浅草の浅草寺に次ぐ古刹。 |
深大寺は国分寺崖線の南向きの傾斜地に建ち、門前は谷戸田でした。(1/20000「下布田」明治42年製版) 地形図には水車記号。台地上のそば栽培と谷の湧水から、深大寺そばが生まれたらしい。 |
けやきで有名な青渭神社から帰路に。虎狛(こはく)神社本殿は1683年の建立。覆われて見えませんが。祇園寺は、提示された予定経路と逆ルートとなったため、混乱して行けませんでした。再訪することにします。 |
歩き 11km、自転車 22km。 |
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地下鉄で六本木駅へ。六本木のスリ墓地、長耀寺。表通りからは見えないところ。 |
六本木5丁目の駐車場だった開発現場。何か出たのでしょうか。 |
午前は、麻布区民センターで今和泉隆行さんの講演「地図から見た麻布の魅力」 得意分野からは、ちょっと離れてるのかも。空想地図の話を聴きたい。 |
講演の後は、単独で街歩き。麻布区民センターのお隣は東洋英和女学院。ヴォーリズ建築と思いましたが、"旧校舎の面影を残しつつ、1996年に最新の建築様式で建てられたもの" とのこと。 |
港区麻布台、植木坂の横の渋い坂道。 |
昭和初めに建てられた木造集合住宅「和朗フラット」の四号館。全部で3棟残っていました。 |
大規模開発の始まった我善坊。昭和を感じさせた三年坂の手間で封鎖。スリバチ地形は二度と見られません。 |
桜田通りの歩道橋からの我善坊。通りに面した小さなビルも一掃しているので見通しがききます。 |
最後は、日比谷公園の日比谷図書文化館で今村仁美さんの精密模型など。作品は撮影禁止でした。 |
歩き 7km。 |
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気になる場所があり都内を歩きで探索。先ずは神楽坂。以前、台湾の知人を案内した際は、表通りだけを歩いたので、本当の神楽坂をチェック。次の来日を待とう。 |
次いで、新宿区横寺町の古い民家。行ってみると、文化庁の登録有形文化財(建造物)でした。鈴木家住宅主屋:神楽坂地区の小路に建つ木造平屋建。切妻造妻入桟瓦葺で、正面に深い下屋を設ける。 |
一水寮:神楽坂の裏通りに建つ昭和前期の大工寮。鑿、手斧の大工技法が格子や意匠梁の随所に見られる。 家屋だけでは魅力が弱い。路地とのセットで保存して欲しい。 |
矢来町の秋葉神社。狛犬の奉納は水道街と小日向。氏子は文京区の水道、小日向地区かも。 |
箱根山。山手線内で一番標高が高い山(築山)、標高は44.6m。(東京時層地図) |
大規模都営団地、戸山ハイツの広場。元は湿地です。(東京時層地図) |
戸山からは南下し代々木。昭和戦前期は代々木駅から鳩森八幡神社へ続く通りが、千駄ヶ谷大通りと呼ばれ、いちばん賑わっていたらしい。 |
内苑外苑連絡道。首都高の場所はかつての馬道。 |
創建時の明治神宮内外苑連絡図。 |
北参道から明治神宮宝物殿へ。1921年(大正10年)竣工。初期の鉄筋コンクリート建築。国の重文。戦後の再建時には、宝物殿前広場に社殿建設用のトロッコ軌道がありました。(東京時層地図) |
社殿。1958年(昭和33年)竣工。 |
明治神宮の敷地は江戸期は彦根井伊家の下屋敷で、維新後は代々木御料地。創建前は、杜はなく、畑、原っぱ、池沼でした。今年(2020年)は、鎮座百年記念事業が行われています。 |
最後は渋谷へ。宮下公園は大工事中。2019年竣工の渋谷スクランブルスクエア。渋谷も変わり、不案内になりました。 |
歩き 15km。 |