午前の部(1:34)
午後の部(1:08) |
9時すぎまで明るい夜の部(歩き) カールス教会 |
ウィーン博物館 |
ウィーン博物館屋上からのアルベルティーナ近代美術館とウィーン楽友協会 |
宿は旧城壁跡地のリングロードに面した Hotel Am Schubertring |
ジュニアスイート 29,378円(173.34ユーロ) |
夕食の買い出し。うどんと寿司は買わず。 |
58.6km |
ドバイ空港は、総2階のエアバスA380が並ぶエミレーツ航空の拠点ハブ。 |
ウィーン空港着。自転車は、ベルトコンベアでなく、壊れやすいもの専用口で受け取りました。 |
走り出してすぐ。走ってはいけない道を走り問題発生。事前に引いた紫色(B9)を走るはずが、ジャンクションでミスり、自動車専用道路のA4に入ってしまいました。 |
すぐ気づきましたが、日本の高速道路と異なり料金所のないフリーウェイなので、一般道へ簡単に戻れると思って走っていました。しかし、有刺鉄線が続いています。ICを目指して、路肩走行。 |
やり取りは割愛。日本のように、自転車(=無敵の弱者)扱いではありません。パトカーで護送されたので署へ連行の覚悟をしましましたが、一般道に入りそこで解放。 入国直後なのも情状酌量の要素となったと思います。解放時には、体調の確認も。ご迷惑をお掛けし申し訳ありません。 |
県道相当のB9を走り、事前に予約したホテルへ。 |
ウィーン郊外。古い建屋をリノベしたような宿です。ドイツからのボーイスカウト風の学生が多く泊まっていました。 |
JUFA Hotel Wien City、14,230円(83.96ユーロ) |
宿の周りの建物群が妙にかっこいい。google レンズで調べると「この住宅団地は2013年から2014年にかけてヴィアー州からの資金援助を受けて建設されました」とのこと。 |
調布のぬりかべクライミングと違って、ボルダリングの練習になる。子ども達だけで挑戦していました。 |
夕食の買い出しに近所の食品スーパーへ。 |
今日の夕食。本番のレッドブルなど。 |
27.1km |
国立公文書館から千代田線二重橋前駅から一本。44分でJR南柏駅。13時集合、総勢45名あまりでスタート。 |
松ヶ丘野馬土手。 |
律令期ではなく、江戸幕府による牧。下総に六ケ所の牧を設け、地元の有力農民を「牧士(もくし)」として苗字帯刀を許し維持管理を行わせた。 |
2重の土手の間は野馬除堀。堀の土で土手をつくった。 |
明治はじめ。いたるところに土手記号(=野馬土手) |
流山市立南流山中学校。東洋学園大学旧校舎を流用とな。 |
鰭ヶ崎三本松古墳跡。「江戸時代に古墳を守った名主が建てた石碑を移設」とあるが、名主の思いは令和までは届かず。古墳は2017年に区画整理で消滅。 |
流鉄流山線。 |
枕木が木。 |
東福寺奥之院。2022年建立の新しい鰭ヶ崎大仏。最後は、南流山駅(武蔵野線、つくばエクスプレス)で解散。 |
10km |
4回目の参加。あいにくの雨ですが、申し込み者は、ほぼ欠ける架けることなく参加。今回は、4軒の農家を巡りました。 |
井上農園。トマトとメロン。 |
トマトは病気が広がるのを防ぐため、株毎に桶で育成している。1株で4回収穫する。※メモれなかったので、他の画像キャプションとも間違っているかもです。 |
一時は、宮前区の押しだった「宮前メロン」 後継者不足で、今も栽培しているのは2軒のみ。 |
メロン農場。冬の朝は暖房が必要。油の値上がりが厳しい。 |
メロンは内圧と外圧が生育時期により異なり、内圧が強いときに表面にヒビが入り、その後かさぶた状になって採り入れを迎える。 |
織茂農園。親父は無農薬に否定的だったが、益虫の活動を目の当たりにして、認められるようになった。かつては、農薬使用が多かった西ヨーロッパは、すっかり低農薬に変わっている。日本は、中国につぐ農薬大量使用国。 |
代々農家。墓石から300年続いていることがわかる。 |
清樹園。農園利用方式の市民農園を運営。市民がオーナー、育成はプロ(農家)が行う。 |
5km |