<1/50000地形図。>
紅葉まっさかり。人ごみを恐れて平日に行く。久留里の森林体験センターまで車で入り、MTBで稜線沿いに大福山へ向かう。立派な展望台があるが、一番眺望を期待する富津・富士山方向が見えないのは残念だ。山頂は展望台のすぐ脇の白鳥神社の境内にある。この神社、妙に品格があります。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj1jV-5ArdCo8WIF3_2iuTCaJkwXA1su6Z-WTlxztFUSBi03wd4jENKEnbHKxq8GOi9J7MjA3PkimMjp9FdnKYfOg_md0GM33vHwc5k8gzw5atS13xJuo_3us_gg7aI7XJE_Haz9G4rZkNc/s200/20071205-2.jpg)
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhBOgi0YiAYmWMT8aeKjri5pUGQ8nYDVJklioZngCMWD4YSeyEzAnagwozeHpC_e-OWN-paKbPpBoSxQzLr3J_YsGXveWSVYcfHbsa6t1YYKoWOdpd5_UrYjs7wmHmL4VmSijNHlgGBiImO/s200/DSC_2476-2.jpg) | 大福山からは戸面へ向かって車道を下る予定だったが、地形図に記載の無いハイキング道があったので日高邸宅跡へ一気に下ることにした。距離は1.5Km、ほぼ担ぎと押しである。沢まで降った後、沢沿いに日高邸宅跡へ向かう。平日だか、かなりの人出がある。 1/25000地形図に邸宅跡が注記されている日高誠実(のぶざね)は明治期の人で、武者小路実篤の「新しき村」のような理想郷を梅ヶ瀬に作ろうとしたようだ。今回、ここへ来る動機となった養老渓谷のWebSite画像ほど鮮やかではないが、一面もみじの絨毯は見る価値十分である。 |
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhQdK1l0ATUSAI4s0FV6xVWm4ybDvZc7SsS_4uwi9f1TYJtzorX_cjnEMBuFRADaFfrzGTRxWPK1TnAL25igPV_ZqSlahVpx4SQHBJ_VWEC7KcxzYW8SR4DxMhjKXoHVYGKurqZyGpMNnfP/s200/DSC_2485-2.jpg)
梅ヶ瀬渓谷を下る道は、ほぼ沢の中で、予想に反して半分も乗れないが、崖上の紅葉がすばらしい。低山とは思えない強い発色で、首都圏有数の紅葉の名所と言われるだけのことはある。車道に合流したあとは、大福山へ登り直し、バリエーションを付けながら稜線を戻る。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjRrxVgZDX1s1OztjG20BprxPJ5t0gclDRbWZ9I4pXv7daK_Yb4lMJ0Ik5w_iDIrT-YMJ5tNvvcXQG6Qu2SplFI2SUG_5VqifOls8RyL-_Vw6VvvrxBl7Q_qjSlXcld7pJyoqlyi1d9TbYl/s200/DSC_2492-2.jpg)
途中、1/50000地形図の学校記号を訪ねて見る。明治33年創立の福野小学校は創立100周年の平成14年に廃校となったとのことだが、味のある校舎が残る。創立時の児童数は21名、最盛期は60名を超えたが最後は6名。立派な閉校記念碑に沿革と校歌が書かれていた。
担ぎを除いて、26Km。
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