7月に2回、寄(やどりき)集落を走りましたが、山の中とは思えない大きな集落に不思議な気がしました。 ようやく、明治20年(1887)測量、明治25年発行の迅速測図を入手できたので、百年前の様子を見てみることにしましょう。 |
集落は寄神社のある段丘の上の道沿いにあり、現在は住宅が多く建てられている川沿いは、陸田記号でうめられています。 幾つもの砂防ダムで押さえ込んでいる中津川ですが、当時も河川敷は荒地ではなく陸稲を作ることが出来たようです。 大正11年の寄村の戸数は 313戸で、松田村(728戸)の半分近い規模がありました。 三廻部側とは2本の村道でつながっています。 R246の寄入口はどうでしょうか。現在は宅地化されている中津川と四十八瀬川の合流部ですが、人家はありません。 稜線の市町村境に沿った芽沼(萱沼)へ延びる村道と、川沿いに徒歩道(途絶える)がありますが、県道710号線に相当する山腹の道はありません。稜線の道は、現在の地形図では小径としても記載されていませんが、道跡が残っているかもしれません。 廃校のある高松は、明治中期以降にできた集落らしく人家はありません。高松と言う地名は、近くの山の名前から採ったと思います。 いちばん変わったのは松田でしょう。圓明寺(延命寺)の東に郡役所があり、明治22年(1889年)に開通した単線の東海道線の停車場があります。当時のメインストリートはR246でも県道72号線でもなく、もう一本南側の町道でしょう。街歩きも面白そうです。 |
ご存じだとは思いますが,↓の方が近隣で同じような趣旨のブログをされているので一応たれ込み.
http://blogs.yahoo.co.jp/bazu55555
うちの次男の夏休みの自由研究,「金沢区の今昔の地形図を比べて,気になったところを訪問する」にしました^^;;;
smakさま
知りませんでした。水道隧道とか、強烈に面白そうです。ありがとうございます。
http://blogs.yahoo.co.jp/bazu55555/29755322.html
息子さん、「地図の旅愛好会」にスカウトしたいです。