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野良スリバチ発祥の地の再訪。私は初参加です。 牛込台地、驚きの連続。見知っている街も、ビルに隠れた裏道に入ると別の顔を持っていました。 復興局土木部編「東京市高低図」1925年(大正14年)にルート全体を重ねたもの。土地本来の高低差が明瞭です。 |
市ヶ谷駅 12:50 集合。今日の先達、長身痩躯のDさんの下、総勢40名あまりでスタートします。 地図は明治初めにつくられた、五千分一東京図測量原図。 |
先ずは、市谷亀岡八幡宮への石段を上ります。ここには、内務省地理寮が明治8年ごろに置いた几号水準点があります。何故か神社の水鉢が上に置かれていますが、新宿区教育委員会の案内板には「設置当初の場所に位置する希少な几号水準点で、保存状態も良好である」と書かれています。 |
本殿の裏に抜け道が。接しているのは防衛省の敷地。「陸軍用地」「陸軍省所轄」の境界石、+たぶん石に戻った旧墓石。 |
路地を抜けると視界が開け、長延寺があった崖下には都営長延寺アパート。まさか、ここに崖があるとは。 |
明治初めまでは谷戸田だった市谷鷹匠町から市谷砂土原1丁目。この谷は、大日本印刷のショバ。再開発中です。 |
納戸町の工事現場。何か出てきちゃったみたいです。 |
<浄瑠璃坂から袖摺坂> |
浄瑠璃坂を下り、鰻坂を上った先には、国の重文、旧馬場家牛込邸。最高裁判所長官公邸を経て現在は補修中です。逢坂を下ると坂倉準三設計のアンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)。 |
2018/9に、ここで開かれた 坂倉準三展はこちら。 |
一旦外堀に出た後、庾嶺坂(ゆれいざか)を上り神楽坂若宮八幡神社。 カーブを描く新坂は古い地図にありません。崖を斜めに開削した勾配の緩やかな車両用の坂です。都電の走っていた大久保通りは狭い谷で、地下には都営大江戸線牛込神楽坂駅。すぐに袖摺坂を上り横寺町。 |
<袖摺坂から瓢箪坂> |
木造住居が残る新宿区横寺町、路地の奥には尾崎紅葉旧居跡。矢来町から早稲田通りを渡ると赤城下町。銭湯のある昭和の町。 |
赤城下町の狭い路地を入ると傾斜を利用した "あかぎ児童遊園" 。こういう場所を逃さないのがスリバチ流。 |
赤城神社への坂を上り赤城元町。明治初めに拝殿のあった場所は、神社経営の "あかぎカフェ" の入るパークコート神楽坂に?。赤城小学跡地には都の教育庁舎と生涯学習館。役所は土地を手放しません。 |
<瓢箪坂から軽子坂> |
瓢箪坂を下り、御殿坂を上ると筑土八幡神社。境内には神楽坂の料亭の寄進名が並んでいます。 |
神楽坂核心部。初めて歩きました。8月に台湾からAndorewが来た時のリクエストが神楽坂。表通りだけ案内しましたが、ガイド失格だったようです。 |
最後は、軽子坂を下り、舟運時代の牛込揚場、飯田橋駅で解散。 |
歩き 7.4km。 |
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