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多摩武蔵野スリバチ学会の「旧澁谷町水道みちを歩く ~三軒茶屋から砧下浄水所まで~」 に参加しました。集合は三軒茶屋キャロットタワー下に 12:00。スタート前にタワー26Fから、まっすぐ延びる水道道をチェック。 |
参加者は50名あまり。任意で集まり、この人数でスムースに動けるのはスリバチ学会の強みです。今日は水道道を歩くので、原則フラットで真っ直ぐ。 |
電柱の番札は水道支、水道用地の境界石。 |
駒沢給水塔では風景資産保存会の方から説明をしていただきました。旧澁谷町町営の給水所として、1924年(大正13年)3月に供用開始。それぞれの塔の内径13.93m、高さ22.72m。土木学会選奨土木遺産に選ばています。1999年に運用停止。 |
昭和6年発行の 1/25000 「東京西南部」では、水道給水場と注記。街はずれの丘の上に立つ2つの塔。谷戸は水田です。現在の地理院地図に塔が記載されていないのはなぜでしょうか。戦時改描を思わせます。 |
岡本には仲代達矢、宮崎恭子の無名塾。 |
澁谷水道の水は多摩川の伏流水を砧下浄水所からポンプで駒沢給水塔(標高46m)まで揚げ、渋谷までは自然流下させていました。途中の岡本八幡宮の台地を穿つのが岡本隧道。隧道の出口(駒沢側)から岡本八幡宮の山越え。 |
燈籠を寄進したのは有名なご夫婦。隧道の入口(砧側)、こちらには銘板があります。 |
岩崎家廟堂のある静嘉堂緑地と岡本公園あたり。国分寺崖線の下には六郷用水。1969年までは東急玉川線砧支線が延びていました。 |
野川を渡り東京都水道局砧下浄水所。1932年(昭和7年)の東京市大合併に合わせて澁谷町から移管されました。施設は現役で、浄水能力は東京都全体の1%ほど。現在の給水経路は、水道局サイトでは紹介されていません。複雑に多重化されているようです。 |
バスの待合所になっている砧本村駅の遺構。多摩川伏流水の取入口(空気弁か?)を経て、二子玉川で反省会。 |
その後、急遽開催された夜のブラツバキで川崎へ越境、二子新地を徘徊しました。川崎国はベルヌ条約非加盟です。 |
11.8km |
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