今年、3月に全線復旧した常磐線。最後まで残った富岡 - 浪江間を乗りつぶしてきました。 |
先ずは日立駅で下車し、自由通路と橋上駅舎。 |
設計は、プリツカー賞を受賞した日立生まれの妹島和世。 |
駅、正面。 |
片持ち梁のバス、タクシー乗り場。 |
日立からいわき経由、2017.10.21 に復旧した富岡駅へ。 富岡駅の海岸側。中央奥は福島第2原発。廃炉が決定しています。 |
東京電力廃炉資料館は、2018.11 開設。福島第2原発の広報を行っていた「エネルギー館」の建屋を流用しています。 |
2階が事故、1階が廃炉作業の紹介です。 |
コロナの影響で予約制。私の回はマンツーマンでの説明となりました。 |
次いで、2020.3.14 に復旧した浪江駅へ。 車窓からの帰還困難区域と双葉駅。双葉駅、大野駅、夜ノ森駅は駅舎と周辺の道路等のみが避難指示区域から解除されています。 |
浪江駅の周辺。ここは避難指示が解除された区域です。 |
歩き 4km |
手白澤温泉は、1935年(昭和10年)に開業。電気が通じたのは1982年。現在の建屋は1997年に建替えられたもの。床暖房で、全館ぽかぽかです。 |
朝食も多彩。3杯いただきました。 |
9:10 チェーンスパイクを履いて出発。気温は -6度。 |
今日は宿の、岳(川上犬、狼の血を引き?、後ろ足の狼爪が目立つ)が先導してくれます。 |
鬼怒川沿いの遊歩道へ行きたかったようで、先行し待ちきれずに分岐まで戻ってきました。新雪が多く我々は奥鬼怒スーパー林道ルートをとったので、やる気をなくし途中で任務放棄(0:21) |
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11:20 女夫渕駐車場に到着。土曜日なので、前日よりは混んでいます。 |
昼食は東北道佐野SAで佐野ラーメン。我が物顔の関東栃木レモン。 |
歩き 8km |
君津のWさんのお声かけで奥鬼怒の手白澤温泉へ。積雪期の下見のはずが、いきなりのスノーハイクになりました。 |
東北道から今市経由、鬼怒川本流を詰めて女夫渕に駐車。ここからの奥鬼怒スーパー林道は一般車通行不可です。13:30ガードをくぐって出発。 |
鬼怒川左岸ルートが崖崩れで閉鎖されているので、階段の仮歩道。 |
新雪が深く時間がかかりそうなので、この後、林道へエスケープ。 |
林道ではチェーンスパイクを初使用。圧縮雪を歩くのには最適です。 |
林道から手白澤温泉への分岐。あと30分。 |
16:05 到着。以前は手白澤ヒュッテと称した一軒宿。 |
通常は6組、コロナ下の今は3組限定の宿ですが、設備は非常に充実しています。 |
源泉かけ流し。カランからも、勢いよく常時かけ流し。 |
山行史上、最も豪華な夕食です。 |
歩き 8km |
奈良、3日目はレンタサイクル。 |
ベルトドライブ、内装三段変速。宮田謹製、奈良ホテル御用達。 |
朱雀門と第一次大極殿院南門の間を駆ける近鉄奈良線。平城遷都1300年祭に際し、特例的に新設された踏切。 |
奈良時代は710年から794年。長岡京に遷都されてからほどなく農地に。1914年に開業した大阪電気軌道(近鉄奈良線)は、乾田や湿田の中を走る。 |
第一次大極殿院南門。 |
2010年に復原された第一次大極殿。右上は復原の最終的な形。「築地回廊」も復原するようです。 |
唐招提寺。正面が平成の大修理(解体修理)を終えた金堂。国宝。 |
薬師寺東塔。手前が東院堂。共に国宝。 |
薬師寺東塔(右)は2020年に解体修理完了、西塔は1981年に再建。中央の南門は重文。 |
薬師寺の守り神、休ヶ岡八幡宮。豊臣秀頼の寄進によって1603年に造立、重文。 |
郡山城天守台から。正面は奈良市から移設された旧奈良県立図書館。 |
稗田環濠集落。環濠内にある式内社の賣太神社(めたじんじゃ)、祭神は稗田阿礼。ただし、中世には「祭神不詳」とされていたもよう。 |
30km |
(つづき)若草山を下り春日大社から志賀直哉旧居のある高畑へ。春日大社本殿前は有料だったので入らず。 |
奈良公園に戻り旧奈良県物産陳列所(1902年竣工)。現在は仏教美術資料研究センター。国の重文ですが、一時は取り壊しの危機がありました。 |
旧帝国奈良博物館本館(1894年竣工)国の重文。ここの地下食堂で遅い昼食。 |
次いで、興福寺国宝館。阿修羅像。これを見たら日本の像は、もう見なくていい。(個人の感想です) |
興福寺 東金堂、五重塔、中金堂、南円堂、北円堂。 |
北円堂の裏手には紅葉が残っていました。 |
いったんホテルに戻り休憩の後、高畑の頭塔(ずとう)。奈良時代の土塔という以外、よくわからないらしい。 |
奈良町散策。 |
地割の奥行が長く、通路を設けている住居が多くありました。 |
夜の興福寺。 |
歩き TOTAL 21km |