朝の「リングシュトラーセ」(19C半ばに役目を終えた市壁と堀の趾に造られた環状道路)を走り、ウィーン国立歌劇場 |
マリア・テレジア像とウィーン自然史博物館。朝早いので、人がいません。 |
国会議事堂 |
ドナウ川を人・自転車橋の Steinitzsteg で渡り対岸へ。Steinitzsteg は、並行する自動車道の工事用に作られたものを転用したもの。 |
河岸で朝食。 |
Donauschleuse Greifenstein(ドナウシュレーゼ・グライフェンシュタイン)閘門の説明。 |
補給できるお店がまったくない中、牛乳の無人販売店がありました。0.5リットル 1ユーロ。 |
ザンクト・ペルテン駅到着。 |
翌日のインスブルック行き列車は満席。日曜日の指定乗車券+指定自転車券購入。114ユーロ(19,848円)、これは高い。予備日を一日失いました。 ÖBB(オーストリア連邦鉄道)の構造は複雑で、路線+運行の国有持株会社で一部の列車は民営という感じか? |
Hotel MUSE。朝食付き 12,882円。他も同様ですが、実際のカード支払いは 13,135円。 |
夕食は、スーパーLIDLで 1,021円 |
58.6km |
ドバイ空港は、総2階のエアバスA380が並ぶエミレーツ航空の拠点ハブ。 |
ウィーン空港着。自転車は、ベルトコンベアでなく、壊れやすいもの専用口で受け取りました。 |
走り出してすぐ。走ってはいけない道を走り問題発生。事前に引いた紫色(B9)を走るはずが、ジャンクションでミスり、自動車専用道路のA4に入ってしまいました。 |
すぐ気づきましたが、日本の高速道路と異なり料金所のないフリーウェイなので、一般道へ簡単に戻れると思って走っていました。しかし、有刺鉄線が続いています。ICを目指して、路肩走行。 |
やり取りは割愛。日本のように、自転車(=無敵の弱者)扱いではありません。パトカーで護送されたので署へ連行の覚悟をしましましたが、一般道に入りそこで解放。 入国直後なのも情状酌量の要素となったと思います。解放時には、体調の確認も。ご迷惑をお掛けし申し訳ありません。 |
県道相当のB9を走り、事前に予約したホテルへ。 |
ウィーン郊外。古い建屋をリノベしたような宿です。ドイツからのボーイスカウト風の学生が多く泊まっていました。 |
JUFA Hotel Wien City、14,230円(83.96ユーロ) |
宿の周りの建物群が妙にかっこいい。google レンズで調べると「この住宅団地は2013年から2014年にかけてヴィアー州からの資金援助を受けて建設されました」とのこと。 |
調布のぬりかべクライミングと違って、ボルダリングの練習になる。子ども達だけで挑戦していました。 |
夕食の買い出しに近所の食品スーパーへ。 |
今日の夕食。本番のレッドブルなど。 |
27.1km |
国立公文書館から千代田線二重橋前駅から一本。44分でJR南柏駅。13時集合、総勢45名あまりでスタート。 |
松ヶ丘野馬土手。 |
律令期ではなく、江戸幕府による牧。下総に六ケ所の牧を設け、地元の有力農民を「牧士(もくし)」として苗字帯刀を許し維持管理を行わせた。 |
2重の土手の間は野馬除堀。堀の土で土手をつくった。 |
明治はじめ。いたるところに土手記号(=野馬土手) |
流山市立南流山中学校。東洋学園大学旧校舎を流用とな。 |
鰭ヶ崎三本松古墳跡。「江戸時代に古墳を守った名主が建てた石碑を移設」とあるが、名主の思いは令和までは届かず。古墳は2017年に区画整理で消滅。 |
流鉄流山線。 |
枕木が木。 |
東福寺奥之院。2022年建立の新しい鰭ヶ崎大仏。最後は、南流山駅(武蔵野線、つくばエクスプレス)で解散。 |
10km |