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| 昨年(2017)11月に呑川とセットでロケハンした羽田空港 View Point。flightradar24 で、着陸している滑走路を確認して、城南島海浜公園へ。 |
| 次いで京浜島つばさ公園 |
| タイムラプス、城南島海浜公園より(0:25) |
| 56.24km、3h56m |
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| 青春18きっぷで岡山県山間部の吹屋へ。徳島駅 6:11、高松、岡山で乗り換えて、倉敷からは伯備線。西側から迫ってくるのは井原鉄道高梁川橋梁。車窓からでも迫力満点でした。 |
| 備中川面駅 11:24。べんがらの街、吹屋までは上り基調の17km。高梁川に架かる田井橋は室戸台風の復興で掛けられた土木学会選奨土木遺産。きつい上りはありませんが、長々と坂を上って行きます。 |
| 豪邸その1:元仲田邸。江戸中期の建築。酒造業も行っていた庄屋。ここ、泊まれます。 |
| 豪邸その2:広兼邸。江戸後期。銅山経営とべんがらの原料となるローハ(硫酸鉄)の製造で富を築いた庄屋。 |
| 山あいに唐突に建つ豪邸。映画「八つ墓村」のロケ地にも使われました。石垣の半分は地中に埋まっている。 |
| 笹畝鉱山(吹屋銅山笹畝坑)。江戸期は住友、大塚、明治から昭和初めは岩崎(三菱)の経営。 |
| ベンガラ館。ベンガラ(弁柄)は赤色の着色材で、陶器、漆器、建材の塗料として使用された。ベンガラ館は、1974年、最後に廃業した田村工場跡地。 |
| 吹屋の街並み。 |
| 屋根は石州瓦。石州瓦の赤は、ベンガラでなく出雲で採れる鉄土石「来待石」を釉薬に使用したもの。 |
| 旧吹屋小学校は改修中。2020年完成予定。 |
| 吹屋からの下り道で、吉岡鉱山跡の看板を見て、規格外の急坂を下っていきます。吉岡鉱山は、明治6年に三菱が最初に手掛けた鉱山。整備されていませんが、遺構が多数残っています。 |
| 豪邸その3:西江邸。江戸中期。惣代庄屋と代官を兼ね、ベンガラの大量生産をした豪農商。現在も西江邸。 |
| 西江邸のしめ縄。この形は初見です。お隣の辰口八幡宮にも同じしめ縄がありました。このあたり、豪邸が普通。今は新見市になった旧哲多町(てったちょう)、平成になったから建てられた国旗掲揚塔や出征兵士の碑、色々謎が多い地域です。帰路は石蟹駅(いしがえき)から輪行、吉岡鉱山で時間を使い、徳島帰着は終電になりました。 |
| 吹屋の街並み、手持ち動画(0:56) |
| 43.3km。 |
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| 寒い。西向き斜面なので明るくなっても陽はさしません。しっかり朝食をとって、9:30に出発。 |
| 帰路は山越えの林道で。ぐんぐん高度を増し、宿は眼下に。 |
| 昭和初期の地形図では川沿いに道はありません。この道が昔のメインルート。 |
| 那賀町木沢支所(元の木沢村役場)が見えてきます。 |
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国の天然記念物の露頭が「坂州不整合」と呼ばれ、旧木沢村に大字木頭があるのは、下記の理由。 1889年、木頭村・坂洲村・当山村・出羽村・木頭名村・阿津江村の区域をもって坂州木頭村(さかしゅうきとうそん)が発足。坂州木頭村は、1943年に坂州村に改称。村役場は坂州。1955年、坂州村と沢谷村が合併して木沢村。一方、奥木頭村は1933年に木頭村へ改称。なので、旧木沢村に大字木頭がある。2005年、鷲敷町・相生町・上那賀町・木沢村・木頭村が合併して那賀町に。合成地名の木沢は無くなり旧木沢村木頭は那賀町木頭に、旧木頭村○○は那賀町木頭○○に。 |
| 那賀川に沿ったR193,R195 を下っていきます。この辺の那賀川は蛇行がデフォルト。 |
| 桜谷隧道(旧道)の長さは 79m ですが、この前後を川で下れば 6km以上あります。 |
| もみじ谷温泉で、鹿肉ダムカレーと迷った末、あめご天丼(1150円)を食べ徳島へ。氷結に備え、SPDペダルにトレッキングシューズだったので、妙な疲労感が残りました。 |
| 84.3km。 |
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11月に四季美谷温泉へ行った帰りに立ち寄った「杉の子」に泊まりで行くことにします。八重原峠は氷結してそうなので、SPDペダルに街歩きシューズで向かいます。 2013年に続き、 福川のよろずやのおばあさんのオーラルストーリー (備忘) ①90歳になった。終戦の時は18歳、小松島の紡績工場へ動員されていた。竹やりの練習をした。「つけっ、つけっ」 ②福川でも、上空を飛ぶB29を見た。灯火管制もあった。お母さんが、小松島にいる私の無事を拝んでもらいに行った帰り、溝に落ちて右手をけがした。 ③大八車に着物を積んで、山奥の蔵に運んだ。今思うたらおかしいけど、ほんときは必死やった。 ④肺病でようけ死んだ。ここらで、3人も5人も死んだ。 ⑤小松島へ行くときは、トラックの荷台の材木の上に乗っていった。帰る時は、バスに乗ったら、もういっぱい。車掌さんが押して押して。終戦の時は、小松島。玉音放送は、聞いてなさそう。 ⑥聞いた話では、大昔は50くらいになると、そこの(指さして)○川との境に姥捨て山があって、子が背負って連れていった。ものが食べれんように、歯ぁ切って連れていった。無殺生やったんやな。 |
| きつかった北西風も山間では弱まり八重地の上り口までは順調。 |
| 標高800mを越えると、山の陰には雪が残る。乗ったり押したり。午後3時前でも、日没間近の雰囲気。 |
| 峠(970m)のトンネルを抜けると西斜面に雪はなく、乗って下れました。恐れていた、押して下って日没は回避。 |
| 明るいうちに宿に着きました。 |
| 宿は築150年の古民家を改修したもの。初めて1年半、日本人は口コミ、今年6組来た外国人は Airbnb が多いとのこと。 |
| 夕食は柚子酢でしめた寿司、椀は蕎麦ごめ、小鉢は隼人瓜。客は私だけなのに、土間の台所で丁寧に作ってくれました。風呂は水戸黄門風。 |
| 夜は関東出身の宿主と、浄瑠璃、地名、町おこしの話など。 |
| 55.2km。 |
| スマホアプリ「こちずぶらり」に徳島市街全圖(1936年)が加わったので、ママチャリでぶらり。 |
| 住宅地の唐突に現れる鹽竈神社。昭和11年では、水田と塩田の境目でした。 |
| 製塩の神様、鹽竈神社。塩田に向かって建っています。 |
| 旧塩田側の方か高い。堰堤部分だけでなく、面域が高いのは謎。 |
| ここだけ開渠。年季の入った石油タンク、さすがに、戦前のものではないでしょう。 |
| 県庁(左奥)の当時の建屋(設計:佐藤利器)は、移設して文書館に。昭和4年建築の三河病院は健在。三河家住宅として国の重文に指定されました。ここは公開してほしい。 |
| 飲み屋街の栄町。
職業由来の地名が多く残っていました。裏原宿ならぬ裏秋田町も。 |
| 元の水路に向かって、店が並んでいます。 |
| 地元の人に聞くと、戦後も長く水路だった。各戸の玄関に私橋を渡していたそうです。 |
| 水路跡を辿っていくと元の遊郭。栄町と舟で行き来できたのかも。 |
| ママチャリ 5km。 |

















































