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DAHON K3

DAHON K3
2019年購入。14 inch,7.8kg,3速。

KHS F20-R451

KHS F20-R451
2015年、台北で購入。そのまま阿里山、塔塔加へ。

KHS F20-T3

KHS F20-T3
2012年、台北で購入、そのまま中部横貫公路越え。

Bianchi Lupo

Bianchi Lupo
イタリア製と思いきや台湾製。基本パーツはSHIMANO TIAGRA。クロモリです。

KHS F20-T2

KHS F20-T2
2009年、台北で購入、そのまま一周。けっこう走れます。2019年、退役。

mayfly 2

mayfly 2

MARIN Pine Mountain

MARIN Pine Mountain
1992年 米国製。SHIMANO DEORE DX は25年間ノートラブル。2017年、退役。
 
 

JA東とくしま産直店

2014年7月31日木曜日

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 夏休み前半も、ほとんど走らないまま終了。最終日も、以前 smakさんに教えてもらったJAの産直店への買い出しでお茶をにごすことに。
 大きな店舗で、小松島港の海産物や和田島のしらすも並んでいます。農作物は生産者毎に同じ作物が並んでいますので、種類は少ないです。
 JA東とくしまは、小松島市+勝浦郡のようです。
 先行き不透明なJA。管轄地域を調べてみると、消滅した阿波郡、麻植郡の名称が残っています。不思議な感じを受けますが、地名保持の意味では喜ばしいです(笑)
 27.74km

阿波鉄道沿線名所図絵と大坂峠

2014年7月26日土曜日

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 定番の大坂峠へ。今日はJR鳴門線立道駅から撫養街道に沿って走ることにします。
 隣の駅は教会前。板東俘虜収容所がらみかと思いましたが、天理教撫養大教会。確かに教会です。
 次の駅は金比羅前。JR鳴門線、元は私鉄の阿波鉄道で、吉田初三郎による「阿波鉄道沿線名所図絵」が残っています。一応地図なので、昭和6年由良要塞司令部検閲済み。
 エビス前駅は、現在の撫養駅。撫養駅は現在の鳴門駅です。戦前まで鳴門は渦潮のことで、街の名前は撫養でした。
 撫養街道は古い道筋がそのまま使われています。"うだつ" の痕跡を残す近代家屋が興味を引きます。
 昼飯は、鳴門北灘漁協直営のうずしお食堂で鮑丼。リーズナブルなんでしょうが、決して安くはありません。
 大坂峠。いつもは引田と海なので、今日は山方向の写真。
 73.70km

大川原高原と林道府能線

2014年7月24日木曜日

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 実家に帰るとテレビがありますが、ニュースの時間に「今日は暑いので熱中症に注意。こまめに水分を取れ」と言っています。この10年位、夏は毎日言っている気がします。この国は、大丈夫なのか。
 佐那河内からノーマルルートで大川原高原へ。キャップのつばから汗が滴り落ちる上り。アジサイは、少し遅かったみたいです。
 帰路は、府能隧道へ下り旧道を走りたかったが、林道府能線を下っていくと新しいトンネルの東側へ下りてしまいました。
 59.99km

 グルノーブルから1級山岳ロタレ峠(2058m)を経てリゾルへの山岳コース。6月に走ったルートとかなりの部分で重なります。
 放送を見ていると、見覚えのある景色が。
 ヴィジーユ城。泊まったホテルのすぐ前。
 リヴ川に沿ったD1091線。近代化遺産と言っていいような水力発電施設が目についたルートです。
 756mのChanbonトンネル。
 ロタレ峠。
 Rif Blancトンネル。雪渓を回避するトンネルだと思います。
 泊めてもらったフレッドのコテージのあるル・モネイエ・レ・バン。ローマ時代からの温泉地だと紹介されていました。

徳島、蓮根畑など

2014年7月19日土曜日

 あまりにも走らなすぎ。ということで、近場の蓮根畑など。
 ハスの向こうはジャストシステム徳島本社。個人情報漏洩事件のある種被害者ですが、通信教育分野に進出するのは、ナイーブ過ぎるのかも。
 実家のテレビ環境は抜群で、6/15に偶然遭遇した「クリテリウム・ドゥ・ドーフィネ2014 第8ステージ」の再放送を見ることができました。泊まったホテルから見える橋を、フルームやコンタドールが走りぬけていきました。
 17.39km

サイゴン~ミトーの廃線跡

2014年7月9日水曜日

 少し時間が空いてしまいましたが、5月のベトナム行では、サイゴンからメコンデルタの玄関口のミトーまで延びていた廃線跡を探索しました。
 サイゴン~ミトー線は、仏領インドシナの最初の鉄道として1885年に開通し、インドシナ戦争での破壊、修復を経て1958年まで運用されました。詳しくは、ここ。HISTORIC VIETNAM
 ベトナム旧版地図として重宝している米陸軍1/50000地形図は、廃線後の1970年版しか入手できなかったので、日本の外邦地図の佛領印度支那230号「カップ・サン・ジュク」1/100000 を元に路線をたどることにします。この地図はフランス印度支那總督府地理局(1926年測量)が作成したものを、日本の陸地測量部が昭和15年に発行したものです。これ、今なら盗用ですが、たぶん各国やってました。
 現QL1(国道1号線)と並行していた路線は、チョロン南西 Cho Den川を越える場所で国道を離れ、専用軌道を取っています。Googleの航空写真を見ると、路線の跡を明確に見出すことができます。
 QL1からの分岐点から先。路線跡に沿うように道が続いています。この道もしくは、右手の工場脇が路線跡と思われます。
 この道は、唐突に行き止まり。
 工場脇のから、チョロン方面を振り返ると・・。椰子の木に沿って鉄路があったのかも?
 ここで川を越えたばずですが、橋台跡のようなものは見つかりませんでした。
 QL1で川を渡り、対岸を探索してみましょう。
 曲線を描くこの道。周囲は池や湿地なので廃線跡に間違いないでしょう。
 ミトー近く。旧道が廃線跡ですが、道は広く痕跡は見つかりませんでした。

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 帰国後、初サイクリングは、鎌倉&ゴクラクカリー。鎌倉の山越えは2回目、前回は葛原岡神社から銭洗弁財天へ下りましたが、今回は源氏山公園の頼朝像から寿福寺方面へ下りました。
 鎌倉七口のひとつ、化粧坂(けわいざか)は、歩きで。
 源氏山公園の南半分は車両進入禁止なので押しで入りましたが、直ぐ下に見えている街に下るには、担ぎも必要でした。
 最後は、鎌倉定番のゴクラクカリー。以前は帰国すると先ず、家系ラーメンでしたが、今はゴクラクカリーになりました。
 78.4km

スイス、フランス 2014

2014年7月3日木曜日

 
6/06 Geneve (37.36km)
6/07 Geneve - Lausanne - Moudon (91.43km)
6/08 Moudon - Bern - Thun (106.41km)
6/09 Thun - Grindelwald (49.95km)
6/10 Jungfraujoch - foot of Eiger (0km)
6/11 Grosse Scheidegg - Bachsee (35.89km)
6/12 Grindelwald - Spiez - Boltigen (74.53km)
6/13 Boltigen - Evian (106.50km)
6/14 Evian - Annecy (92.12km)
6/15 Annecy - La Lechere (70.83km)
6/16 La Lechere - Col de Madeleine - St. Pierre (69.52km)
6/17 St. Pierre - Col du Galibier - Le Monetier les Bains (70.76km)
6/18 Le Monetier les Bains - Col du LautaretLe - Bourg d'Oisans (49.31km)
6/19 Le Bourg d'Oisans - L'Alpe-d'Huez - Vizille (68.80km)
6/20 Vizille - Virieu (68.04km)
6/21 Virieu - Aeroport de Lyon-Saint Exupery (69.49km)

TOTAL 1060.94km

LABELS


mail: boso.cycle@gmail.com